5年ぶりの同行記

近藤 芳一


「5年前もオーストラリアのゲストを迎えるため、同じように上京したな。」
3月24日、帝国ホテルでのレセプションに出席するため、そう思いながら東京行きの電車に乗った。当時、来日される方は皆初対面の人たちで、私の心は期待と不安で相半ばだった。しかし、今回は違う。この5年間に何度か会い、親交を深めてきた。彼らをゲストとして迎えるのではなく、友人として互いの再会を喜ぶのだ。心が軽い。5年前に較べれば短縮されたはずの上越・東京間の乗車時間も長く感じる。気持ちはもう会場の帝国ホテルだ。早く友人に会いたい。

レセプション会場前のホールにはすでに石塚会長が到着されており、「愛の鉄道」の千葉監督夫妻と歓談されていた。しばらくして、5年前ボス・バーバーさんが再会したいと言われ、新聞社が探し出した田中さんが杖を片手に現れた。映画学校の生徒さんが田中さんや会場廻りをビデオカメラに納める。千葉監督は田中さんへインタビューする。そうこうする内に、ホールの端に5〜6人の人影。待ちに待ったオーストラリアの友人であろう。はやる心で早足になった。ビデオカメラが後に、やはり早足で続く。

ジェニーとリネットがミューディーさんの車椅子を押している。バーバーさん、娘のゲール、またヘンダーソン夫妻、ヒル夫妻もすこぶるお元気。パット、テリーの姿もある。今回のツアーリーダーのロッドはまだ姿を見せない。皆との再会を喜び、挨拶を交わした。おっとり刀でロッドが上着を着ながら現れた。彼は参加者全員の世話をする役割を担っているのだ。

定刻通り、レセプションが始まった。オーストラリアの友人を除けば廻りは知らない方ばかり。唯一、豪日交流基金のホワイトさんは例外。日豪・ニュージーランド協会会長長谷川さんのスピーチが始まる。次のスピーチはミューディーさんだ。いつもながら彼のスピーチは力強い。直江津の平和公園を引き合いに出し、家庭で、地域社会で平和教育を押し進めるよう力説された。その後は和やかな会食である。私と同じテーブルには、石塚会長、佐藤さん、長沢さん、ロッド、パット、テリーがいた。

佐藤さんは何度も噂には聞いていたが、今回が初対面。お母さんに似た快活な女性で、ホームステイのホストであったテリーとの話しに花が咲く。長沢さんとも初対面であるが、いかにも山の手の奥様という実に上品なお人柄。ロッドは寿司を一皿たいらげた後、別のテーブルへ移り、外務省の井上氏となにやら話し込んでいる。「井上氏は私たちの草の根運動を理解してくれた」とロッドは後日話していたが、もしそうなら、彼の話術は相当なものだ。日豪・ニュージーランド協会理事の高橋さんが私のテーブルへ来てくださった。5年前のことや平和公園開園式でのミューディーさんのスピーチについてひとくさり。大変楽しい方で、もっと長い時間ご一緒できればと思った。宴会も終わりに近づいた頃、司会者がかの有名な同時通訳者、村松増美さんであると気付く。彼の元へ行き二言三言。なんと気さくな方だろう。これら新しい出会いは今後の活動にとって宝物になるに違いない。

翌日は快晴。バスで上越に向かう。エスコート兼通訳の渡辺さんのユーモア溢れる話術のおかげで楽しい旅になった。バスがトンネルを抜けて雪国に入ると、皆から歓声が上る。無理もない。それまでの春の陽気から一転、あたり一面銀世界で、雪も降っている。みんな、手に持ったカメラのシャッターを切った。バスにはカラオケがあり、意外にもいつも口数少ないバーバーさんが最初にマイクを握られ自慢ののどを披露してくれた。

バスが上越に近づくにつれ、雪はなくなった。バスの終点、直江津駅は目の前である。進行方向に新しい直江津駅が見えてくる。私が、
「駅舎が新しくなりました!」
と言うとオーストラリアの友人は体をかがめ、前を見て口々に、
「オー、グッド!」
と叫びながら、拍手喝采。この人たちは皆ノリがいい。

5年ぶりの上越である。東京の快晴とは違い、ここはみぞれが降り寒い。しかし、ここが今回の旅の出発点だ。ここがあなた達の日本の友人、兄弟、家族が住む上越である。バスの中の人はバスが減速すると同時に、手に荷物を持ち腰をあげた。外の人はバスに向かって歩き始めた。ドアが開いた。そして、日本人もオーストラリア人も久しぶりの友の名を口にした。

Australian friends arrived in Joetsu.
日本人もオーストラリア人も久しぶりの友の名を口にした。