収容所の縁

朝日新聞3月25日号「窓」より


Peace Memorial Park Seen from Museum
平和公園資料館から見た3月26日の平和公園
  
新潟県上越市とオーストラリアを結びつけたのは、太平洋戦争中、市内の直江津地区に設置された捕虜収容所だった。

一九四二年(昭和十七年)二月のシンガポール陥落で捕虜になったオーストラリア兵三百人が、その年末に直江津収容所に送られてきた。

終戦までの二年九カ月間に、六十人もが寒さ、飢え、強制労働などの原因で死亡した。

他方、収容所の警備に当たった日本人八人は戦後、BC級戦犯として処刑されている。

戦後五十年を機に、うずもれていた歴史を掘り起こし、跡地に平和友好記念像を建てる運動が起こった。

両国犠牲者の追悼碑と記念像のある公園が完成したのは、九五年十月のことだ。

除幕式には、元捕虜やその家族三十二人が出席し、代表のジャック・ミューディーさんが「きょうは歴史的な日です」とあいさつした。和解がなり、友好の絆が結ばれたのだ。

「戦争がいかに残酷で理不尽なものかを、身近な歴史として次世代に語り継ぐ。友情をもって外国人と交わる。その二つを地道に積み重ねて、末永い平和を実現したい」

そんな思いをもつ市民百人ほどが翌年、上越日豪協会を発足させた。

隔週に英語学習会を開く。八月に平和の集いを、また十月には日本人犠牲者の法要を催す。日豪の相互訪問を繰り返し、七回も訪豪した七十歳の女性もいる。そうした体験は、ホームページで公開している。

昨年九月には、ミューディーさんが捕虜時代につくった英詩十九編が、対訳詩集にまとめられた。

この、ささやかな国際交流が、また一歩進む。元捕虜と家族ら十二人が二十五日に来越するのだ。会員は再会を心待ちしている。