オーストラリアからのメール
  
ロッド・イェイツ Rod Yates

ジェニファー・ウォルッシュ Jennifer Walsh

ジョン・クック John Cook


 
ロッド・イェイツ Rod Yates
Rod and Yoshi, Giving a Toast
乾杯の発声をするロッド
 
直江津を訪れた今回の旅には大きな意義があります。国に帰り静かに、しかし、じっくり考えてみました。そして気がついたのです。直江津の人々が5年前にこの事業を始められ、引き続き努力されていることがいかに素晴らしいことであるかと。現在、私たちは同様の価値観を共有しています。また何故、今後持続可能な方法で共存していく術を学ばなければならないかも良く知っています。過去において、戦争や誤解により多くのものが失われました。戦争では、国を問わず人間の恐ろしいまでの残忍さが顕わになりました。平和裡に人間味溢れる世の中で、意義のある生活を続けることは戦争をするより困難なのです。それ故、生きていれば私の父はきっとこの平和公園事業を高く評価したでしょう。父は直江津での経験について多くを語りませんでした。ただ、覚真寺の円理和尚が親切で、また、いかに勇敢であったかを話しました。日本人には円理和尚が示したような度量があると思いますし、それは大変高潔なものです。このように、私たち普通の人でも影響力を持ち得るのですから、私は皆様と同じ友好親善の精神をこれからも持ち続けます。

岡本鉄二氏作の平和友好像をオーストラリアに建てようと計画中です。友好像を通し、オーストラリア人が日本人の本当の国民性をもっと理解できれば、と願っています。もしオーストラリアへ来られるなら、連絡してください。宿泊場所を提供できるかもしれません。日本の友人はいつでも歓迎します。


ジェニファー・ウォルッシュ Jennifer Walsh
Jennier, her father and Yoshi
印象深い一言をいただきました。
 
旅が終わり、無事家に戻りました。いま、先週の素晴らし思い出に浸っています。

あなた方がされた旅の準備に感謝します。多くの困難を乗り越え、この旅を大変楽しいものにしてくれたことにお礼を述べます。

直江津での滞在はとても感動的でした。それ故、お互いの間に友好の絆を結びより強固なものとするために努力された皆様へ、私たちは皆等しく感謝するのです。感情的なものを言葉で表すことは難しいですが、この旅の思い出は長く、長く心に留まることでしょう。
今回、私たちが直江津に降り立った時、あたりは一面の銀世界でした。皮肉なことに、1942年に300名のオーストラリア人を迎えた日と同じように。しかし、あの寒さと雪に接したからこそ、直江津の人たちのみならず私たちの捕虜に与えた影響と苦難を理解することができたのです。

平和公園をみんなが訪れる所として発展させようと、引き続き努力される皆様を賞賛いたします。資料館開館はこの目的への大きな一歩となりますし、完成の暁には、訪れる人々を感銘させる源となるでしょう。素晴らしい仕事をされました。

(訳者注:以下は2つ目のメールより)
オーストラリアへ帰ってきて以来、資料館が開館されることが常に頭の片隅にあります。そのため、キャンベラの戦争記念館へ手紙を書き、太平洋戦争に関連した品を寄贈して欲しいと言うそちらの希望を伝えました。資料館へ数点いただけたらよいのですが、残念ながら、今日に至るまで返事は来ません。また、パターソンさん(訳者注:平和記念公園開園当時、オーストラリア大使館に勤務され、開園式当日はもとより、何度か平和公園へ来られました。現在は母国に戻り、キャンベラの外務貿易省におられます)へも手紙を出して直江津の平和公園の近況を報告しました。パターソンさんからの素晴らしい返信には、平和公園事業に携われている方々全員への激励と賞賛が書かれていました。このような手紙をいただくと本当に勇気づけられます。退役軍人協会のスコット氏へも手紙を書き、公園と資料館の状況を知らせました。あいにく、現在彼はガリポリ(訳者注:トルコにある地名)に滞在中で、アンザック公園に新たに造られた増築公園開園式のために忙しく働いています。

1901年にオーストラリアは国家になりました。1914年から18年の第一次大戦が起こったとき、初めてオーストラリアの若者はオーストラリア人として参戦しました。それ以前は、国家としてのオーストラリアは存在せず、英国に対して責任をまっとうする州の一員でした。現在、私たちが大切にする兄弟愛、仲間意識はこの戦争によって形成されたのです。連合軍にとっては敗戦でしたが、ガリポリはオーストラリア・ニュージーランド隊が恒久同盟を結んだ場所として受け入れられています。

現在、ガリポリを、特にアンザック・ディの4月25日に、巡礼の地として訪問するオーストラリア人の数は増え続けています。今年は12000名のオーストラリア人・ニュージーランド人、そのほとんどは若いバックパッカーです、がハワード首相や退役軍人協会会長のスコット氏と一緒にガリポリの慰霊祭に参加します。トルコは現在ガリポリをアンザック・コウブと名前を変えました。トルコ・オーストラリア両国首相はアンザック・ディに肩を並べて立ち、ガリポリで戦い、亡くなった両国兵士とそれ以後の戦争で倒れた兵士を慰霊しています。

このオーストラリア・トルコと同じ関係を日豪が築くことができたら素晴らしいことです。考えてみてください。何千人ものオーストラリア人が直江津の平和公園のような場所を訪れ、日豪両国民が揃って戦争の犠牲者を偲ぶだけでなく、戦争の無益さを思い起こす。我々両国民が戦争のことだけではなく、未来の真の平和を中心に議論することができたら、なんと有意義なことではないでしょうか。 



ジョン・クック John Cook
Pat, Terry and JASJ members
レセプションのパット(左)とテリー(右)
 
私はこの手紙を書いて妻、テリーの日本訪問を成功に導いた皆様全員の努力に感謝を表します。妻は一行が日本滞在中に起こった素晴らしい事柄を語ってくれました。残念なことに、テリーは日本へ向かう飛行機の中で大変悪い風邪にかかってしまい、自分の行動をある程度制限せざるおえませんでした。洋子さんはたぶん平和公園を訪れたときにひいた風邪だろうと思っているようです。ジューン・ヘンダーソンさんも機内で風邪をひきました。だから、洋子さんが心配する必要はありません。直江津の天気のせいではないのです。でも公園で慰霊祭をした日は確かに悪い天気のようでしたが。

空港に帰国した一行を出迎えたとき、皆は口々に日本での素晴らしい体験を話しました。宿泊施設、食事そして交通機関のすべてが一流だったそうです。これを聞いて、私は行くことができず、大変残念に思いました。しかし、今でも自分の健康に注意を払わなければならない状態なのです。

妻は近藤さんの子供たちがとても可愛らしかったと言っています。抱きしめてあげたかったのですが、風邪をうつすといけないのでしませんでした。阿部さんは日本滞在中に撮った写真をたくさん送ってくれました。写真のおかげで日本でどのようなことが行われたかを容易に想像できます。私にとって興味深かったのは資料館と入り口にあるコアラ像です。妻は素晴らしい木工事に感心したようです。私の娘も写真を見て、阿部さんのようなカメラを欲しくなったと言っています。これまで見た中でもっとも素晴らしい写真の複製なのですから。