旅が終わり、無事家に戻りました。いま、先週の素晴らし思い出に浸っています。
あなた方がされた旅の準備に感謝します。多くの困難を乗り越え、この旅を大変楽しいものにしてくれたことにお礼を述べます。
直江津での滞在はとても感動的でした。それ故、お互いの間に友好の絆を結びより強固なものとするために努力された皆様へ、私たちは皆等しく感謝するのです。感情的なものを言葉で表すことは難しいですが、この旅の思い出は長く、長く心に留まることでしょう。
今回、私たちが直江津に降り立った時、あたりは一面の銀世界でした。皮肉なことに、1942年に300名のオーストラリア人を迎えた日と同じように。しかし、あの寒さと雪に接したからこそ、直江津の人たちのみならず私たちの捕虜に与えた影響と苦難を理解することができたのです。
平和公園をみんなが訪れる所として発展させようと、引き続き努力される皆様を賞賛いたします。資料館開館はこの目的への大きな一歩となりますし、完成の暁には、訪れる人々を感銘させる源となるでしょう。素晴らしい仕事をされました。
(訳者注:以下は2つ目のメールより)
オーストラリアへ帰ってきて以来、資料館が開館されることが常に頭の片隅にあります。そのため、キャンベラの戦争記念館へ手紙を書き、太平洋戦争に関連した品を寄贈して欲しいと言うそちらの希望を伝えました。資料館へ数点いただけたらよいのですが、残念ながら、今日に至るまで返事は来ません。また、パターソンさん(訳者注:平和記念公園開園当時、オーストラリア大使館に勤務され、開園式当日はもとより、何度か平和公園へ来られました。現在は母国に戻り、キャンベラの外務貿易省におられます)へも手紙を出して直江津の平和公園の近況を報告しました。パターソンさんからの素晴らしい返信には、平和公園事業に携われている方々全員への激励と賞賛が書かれていました。このような手紙をいただくと本当に勇気づけられます。退役軍人協会のスコット氏へも手紙を書き、公園と資料館の状況を知らせました。あいにく、現在彼はガリポリ(訳者注:トルコにある地名)に滞在中で、アンザック公園に新たに造られた増築公園開園式のために忙しく働いています。
1901年にオーストラリアは国家になりました。1914年から18年の第一次大戦が起こったとき、初めてオーストラリアの若者はオーストラリア人として参戦しました。それ以前は、国家としてのオーストラリアは存在せず、英国に対して責任をまっとうする州の一員でした。現在、私たちが大切にする兄弟愛、仲間意識はこの戦争によって形成されたのです。連合軍にとっては敗戦でしたが、ガリポリはオーストラリア・ニュージーランド隊が恒久同盟を結んだ場所として受け入れられています。
現在、ガリポリを、特にアンザック・ディの4月25日に、巡礼の地として訪問するオーストラリア人の数は増え続けています。今年は12000名のオーストラリア人・ニュージーランド人、そのほとんどは若いバックパッカーです、がハワード首相や退役軍人協会会長のスコット氏と一緒にガリポリの慰霊祭に参加します。トルコは現在ガリポリをアンザック・コウブと名前を変えました。トルコ・オーストラリア両国首相はアンザック・ディに肩を並べて立ち、ガリポリで戦い、亡くなった両国兵士とそれ以後の戦争で倒れた兵士を慰霊しています。
このオーストラリア・トルコと同じ関係を日豪が築くことができたら素晴らしいことです。考えてみてください。何千人ものオーストラリア人が直江津の平和公園のような場所を訪れ、日豪両国民が揃って戦争の犠牲者を偲ぶだけでなく、戦争の無益さを思い起こす。我々両国民が戦争のことだけではなく、未来の真の平和を中心に議論することができたら、なんと有意義なことではないでしょうか。
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