ACTIVITY IN NAOETSU
June 24, 1943 |
直江津風景
1943年6月24日 |
1
Coming upstream,
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1
川を上って来る、
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2
Dads with many
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2
養う口の多い
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3
Just across
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3
水田を
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4
Women toiling
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4
女は働く
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5
Early morning,
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5
朝早く、
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6
At times we go
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6
時には我々は
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「文芸高田」本誌九七年三月号掲載の「碧空の下で揺れるユーカリの木に」の全文を英訳し、雑誌と共にミューディーさんに送ったところ、娘さんのジェニーさんから、前後二回にわたって計16編の詩か送られてきた。いずれもミューディーさんが直江津で捕虜生活を送っている間に書いたものである。ここに掲げた「直江津風景」(原題 Activity in Naoetsu)は、その中でも一番長いものである。
ミューディー中尉は、将校として工場や港での労役は免除されたか、収容所内の雑役かあり、またP.T. (physical training)と称する連動訓練を課せられた。ここにえがかれた当時の直江津の人々や風景は、P.T.の折などに見たものを詩にまとめたものてあろう。
第五連の少年少女たちは、勤労動員でステンレスや信越化学などの工場へ通勤していた旧制中等学校生徒である。原詩でclopping noiseやclip-clopとあるところは、「カランコロン」と下駄の音として訳しておいた。訳者は旧制中学の三年の一学期から四年の八月までステンレスで働いていたが、貴重な地下足袋は作業用にとっておいて、通勤はゲートルに下駄ばきというかっこうであった。
第六連に「運動の一部として」とあるのは、収容所外へのランニングは前記のP.T.の一部で、ほかに収容所構内での運動を課せられていたからである。
なお、東京捕虜収容所第四分所は、直江津収容所といわれていたが、所在地は当時の直江津町ではなく有田村であった。したがって、ランニングの経路は、「村の通り」から荒川(関川)と保倉川の「合流点」の橋(おそらく古域橋)を渡ることになる。「町のただ一本のコンクリート舗装の道」は、直江津駅から荒川橋に至る道であろう。「メイン・ブリッジ」は、その荒川橋を指すものと思われる。
クリップ・クロツプ=下駄の音?
「文芸高田」本誌十一月号掲載のミューディー氏の詩「直江津風景」を訳すとき、勤労動員の生徒が工場の行き帰りに立てる音、clip-clopを靴音とするか、下駄の音とするか、随分迷った。内外の英語辞典十冊に共通しているのは馬蹄の音だが、これはもちろん当たらない。重いブーツを例示している辞書があったが、軍靴などとんでもない。木靴をあげているのが二冊。これだ、日本の木靴、すなわち下駄だ。早速旧制中学の同期生五、六人に電話してみる。K君一人だけ、私の記憶と一致したが、他は地下足袋またはズック説。Kと私が格別貧しかったのだろうか。
解説出典:「文芸高田」1997年11月号