ミューディー夫妻とアンソニー君が私たち四人を迎えてくれたのは、到着予定を大幅に過ぎた午後三時少し前であった。暫し歓談の後、ジェニーが料理したハイティーならぬ「ハイディナー」を頂く。
額に入れられたミューディーさんの詩
食後、おもむろにミューディーさんが捕虜収容所で書かれた詩をテーブルに広げられた。戦時中の詩を上越で公開したい、と言う八木さんの要請に応えるため、彼らの基準にしたがって選択するのである。ミューディー夫妻、ジェニーとロッドが討論し、時々私に原稿が渡され意見を求められた。私に廻る詩はさほど問題がないのだろう。私の「問題なし」のコメントとともに日本に向かう封筒の中に入った。四人が激論し、ミューディーさんが一度は了解しながらも、結局ロッドの、
「その詩がジャックの手を放れたら、今度はそれ自身がものを言うのだ」
の一言で考えを翻されたこともあった。最終的に渡された詩はさほど多くはない。
気づいたとき、あたりはすっかり暗くなっていた。その日はカウラ近くのジェノラン鍾乳洞で泊まる予定を変更し、ロッドが住むノースシドニーにあるホテルに向かうため、ミューディー宅を辞した。私たちの旅行はカウラ訪問以外これといった予定があるわけでなし、その日その日に予定を立てる気ままなもので、普通のパックツアーには真似のできない自由な旅である。
ホテルに向かう車中、ミューディーさんが手元に残された詩にはどんなことが書いてあったのだろうか、と思いを馳せた。それらの詩がいつかこの上越の地で日の目を見、私たちが彼の琴線に触れられるときが来たらどんなにすばらしいことだろう。
日本人は内、外の使い分けがうまいと言われる。外に対しては「ない」と言いながら、内の者は皆「ある」ことを知っている。振り返って私たち上越日豪協会にそのようなことはないだろうか。言葉の違いはあるが、日本人、オーストラリア人の区別なく同じものを受け渡しできるような、内にも外にも開いた組織であるだろうか。そうでなければならないと思った。
さて、明日はカウラで先発班の石塚さん、西沢さんと合流する。彼らは今回の旅を通してどんな体験をしたのであろうか。二人の土産話が楽しみである。
ミューディー宅にて(左から)
朝野幸雄、近藤芳一、ジョン・ウォルシュ(John
Walsh)、長谷川明寿
ジャック・ミューディー(Jack
Mudie)、ロッド・イエイツ(Rod Yates)
ジェニファー・ウォルシュ(Jennifer
Walsh)
そして、最前列はアンソニー(Anthony
Walsh)