67歳のホームステイ
オーストラリア、モーロングへ
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がさがさっと音がしたと思ったらコツコツと何かが窓ガラスをつついている。目がさめて「ああ、モーロングだった」と気が付く。寝ぼけ眼でベッドを降りて窓のカーテンをめくると、見たことのないもず位の大きさの鳥が3羽飛び回っている。裏庭のユーカリの木と窓の間を行ったり来たりしている。
時計を見るとまだ5時前、今日は1997年8月16日、オーストラリアは真冬である。 湯たんぽ代わりに入れて貰った、ヒートバッグがまだ温かい。枕を小さくした様な物で、中には大麦の殻が入っている。電子レンジで3分間暖めてから寝床へ入れて貰ったのがほかほかと一晩中温かかった。 家の中はまだひっそりとしている。もうひと寝入りしようと布団をかぶってはみたものの眠れそうにない。またベッドから降りて今度はカーテンをすっかり開け放つ、静かに…静かに…。 旅行バッグからスケジュール表を出して、ホストファミリーの名前を確かめる。ご主人のサリバン・トレバー、50代始めくらい?奥さんキャシー40代後半?4女ケリー中学1年生、ここにいる間私はケリーと行動を共にすることになっている。50歳以上も年の違う彼女と、うまくやっていけるかなと一寸心配。長女、次女、3女は共に結婚して同じモーロングに住んでいる。 8月25日にはカウラの(国際若者の集い)に出席する事になっており、私は「戦後50年の日本とオーストラリアの関係と未来について」と言う題で、短いスピーチをする事になっていた。私には難しい話は無理なので、市民運動によって直江津の平和記念公園に記念像を、建てたことを話すつもりで原稿を書いてきた。
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スケジュール表を片づけてスピーチの原稿を取り出す。時計を見ながら声に出して読んでみるが、指定されている5分ではなかなか読み切れない。1日10回、10日で100回読めば何とかなると開き直ることにする。そうでもしないと誰も聞いていなくても上がってしまう。私は緊張症の上、人前で話す機会がめったにない。
しばらく小声で原稿を繰り返し読んでいたら、「ヨーコ」とキャシーの大きな声がして朝食にしようと言う。冷蔵庫から出すだけのメニューだが、私はサンドウィッチ、紅茶、バナナを選ぶ。 今日は羊の「キャストレィシャン」をするのだという。「えっ?」と聞き返したら英和辞典を開いて見せてくれる。この家は毎年日本からのホームステイを受け入れているので、かなり慣れているようだ。 辞書には去勢とあった。怖いけれど興味もあり、朝食の後カメラを用意して待ちかまえる。青空が広がってオーストラリア晴れである。 近所(かなりはなれている)の人達や娘さん達夫婦と子供達が次々にやって来る。上越から私と一緒に来ている西沢さん(71歳)も、小学生から赤ちゃんまで、子供が四人いる家族と共にやって来た。 家の回りは1ヘクタールもある広い牧場で動物の糞だらけなので長靴を借りる。豚小屋には4、5頭の親豚と30匹位の子豚がいる。2、3頭の山羊と、白や茶色の鶏は、柵はあるものの殆ど放し飼いで、鶏は300羽まで数えたが、正確には数えられなかった。 一カ所の柵の中には300頭程の親子の羊が集められている。トレバーお父さんが白衣、と言っても血や泥で汚れていて決して白いとは言えない物を着る。 中学生のケリーも注射器に薬を詰める仕事を受け持っている。3人の娘さんのご主人達も、それぞれ羊を追ったり捕まえたり、台にくくりつけたりの役目を引き受けている。生後7週間位からの羊の手術を行うという。 私も含めて見物人も20名近い。一度に6匹は乗せられる円形の台に、あばれて泣く子羊を次々にくくりつけると、ケリー達女性が化膿止めの注射をする。メスを持ったお父さんが先ず力いっぱいで尾を短く切る。長い尾は腹部の毛を泥で汚して羊毛の価値を下げるのだ。次に去勢、最後に耳を鋏で切る。持ち主によって切り方を変えて名前の代わりだ。 私は遠くから恐る恐るカメラを向けていたのだが、手術が終わった子羊が親羊の方へ向かって「めえぇめえぇ」と悲しそうになく声を聞いていると、自分の泣き声の様に思えて仕方がなかった。まだ慣れない家でのいきなりの体験で、少し神経質になっていたらしい。 人間の都合で痛い目にあっている羊が哀れで哀れでたまらなかった。お昼までには百匹分位の尾が地べたにたまったのも悲しかった。 そのくせ、焼き肉を中心にご馳走がたくさん並べられたランチを、大勢で楽しく美味しく食べてしまったのだから、我ながらあきれてしまう。 食後近所の子供達とケリーが、大きな荷台つきのバイクで牧場内を走り回る。前後に1人ずつ、荷台に3人も乗せているが、ヒヤヒヤしているのは私だけで誰も気にしていない。中1の男の子タッドに「乗らないか」と誘われたが、免許があるわけもない子供の運転ではと尻込みをする。西沢さんは喜んで白髪をなびかせて乗っている。 そのうちに一歳の赤ん坊まで乗って、きゃっきゃっとあまりにも楽しそうなので、とうとう乗せて貰うことにする。牧場は思ったよりでこぼこで、平気な顔をするのが大変だったが、始めての暴走体験は以外に面白かった。 気がつくと私はすっかりサリバン家の一員になっていて、大人も子供も何のこだわりも見せないでつき合ってくれていた。 |