直江津からカウラへ
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オーストラリアでは、ロッドさんから終始、案内していただいた。まず、カウラに向かう前に、シドニー郊外にあるジャックミューディさんのお宅を訪問し、湖の見えるリビングで素晴らしい歓待を受けた。
ミューディさんは90歳の高齢とは思えないほどお元気で、捕虜収容所から戦後50年を生き抜いたエネルギーをひしひしと感じた。棚の上には、上越日豪協会から送られた名入りの扇子がきれいに飾ってあり、直江津とオーストラリアとの距離が一気に縮まる思いがした。
さて翌日、今回の旅のメインであるカウラに向けてロッドさんの愛車(これがすごくて、車体はイスズだがエンジンはなぜかマツダで、走行距離はなんと31万キロ)で、シドニーからブルーマウンテンを通り400キロの道のりをひた走った。
ようやくカウラに着くころにはとっぷりと日が暮れ、はじめて見る南十字星が南天に輝いていた。それでも夜の顔合わせ会には間に合い、先発の石塚さんと西沢さんと感激の対面。またそこには、日本各地から訪れた日豪協会の方や、平和サークルの人達、カウラの記録映画撮影のためのグループなど、たくさんの人達の熱気がただよっていた。
翌日カウラは快晴で、まず、カウラの日本人墓地を訪れた。石塚さんが代表の一人として、当時の暴動で亡くなったオーストラリア兵の看守と日本人捕虜犠牲者の慰霊碑に花束を手向けた。石塚さんは4回カウラを訪れているという。名目でない真の国際交流の姿を目の当たりにできた。
直江津でもカウラでも、ともに捕虜収容所で起こった悲しみが、戦後50年を経て少しずつ邂逅していく。このことを誰よりも望んだのは、他ならず「死者」たちではないだろうか。当時、敵・味方で争っていた人たちは「死者」となってはじめて、国や民族の枠に閉じこもり戦争を始めることの愚かさを私たちに訴えかけている。そのメッセージを正しく受け取ることが、戦争を知らない私たち世代の責任ではないだろうか。
直江津とカウラを訪れて「国」と「時」と「距離」を越えて人間が共に生きていけることを実感した。このことを心に刻み込んでおきたい。