ロッドさんの車で走ったオーストラリア
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シドニーは冬の盛りと思っていたら、意外に日差しは強く、太陽が出ていさえいれば、 日中は半袖シャツでも過ごせる程暖かく、何ともうらやましい気候でした。
空港からシャトルバスでウインヤードグランドホテルへ着くなり、さっそく一人で市内のレコード屋へCDをあさりに出かけました。途中、会う人ごとにレコード屋の場所を聞くけれども、オーストラリア英語がむずかしく、結局5人目に聞いた人が向かいの店を指して「There」と答えてくれ、思わず苦笑しました。
さすがオーストラリア第一の都会、高田の「多田金」とは比較にならない大きな店で、クラシックのコーナーだけでも日本の一店くらい置いてあり、CDを3枚買ったら1枚おまけに付けてもらい大感激。もし来られたらこの次も必ずこの店に来ようと思いました。
同行の近藤さんと長谷川さんは、その間中ホテルで熟睡、残念でした。
お昼頃、元捕虜の息子さんのロッドが現れ、その後ずっと彼のお世話になるのも知らず軽く握手。初対面はなかなかまともな人に見えましたが、その後の彼の大物ぶりにはびっくり、人は見かけだけでは分からないものです。
午後から夜まで彼の車で市内観光。オペラハウス、ボンダイビーチ、ダブルベイ等々。それにオーストラリアでも初期に出来たというパブで、ギネスというビールを飲みました。ベリーデリシャス!
そうそう、植物園を歩いていたら変な筒を持ったお兄さん。何かと聞いたら、アボリジニーの楽器。とても上手に吹いてくれました。これにも大感激。その日は一日、めずらしいものを見て感激の連続でした。シドニーは自然と人工がうまく調和している都市と見ました。
翌日はロッドさんの車で、ジャック・ミューディさんを訪問しました。記念公園のパーティの席以来でした。
湖の見える広いダイニングルームでの食事はとても印象的でした。娘さん夫婦もご一緒され、楽しいディナーでしたが、出された食事はゆうに二人分はあり食べきれずに残してしまったのが非常に残念でした。皆さん、ミューディさん宅でディナーをごちそうになるときは、少なくとも昼食は抜いて行かれた方が良いようですよ。
その時初めて聞いた話ですが、ミューディさんが直江津におられた時に脱走の計画を持っていたそうです。船を奪って佐渡へ渡り、裏側まで歩いてから、また船を奪い、中国かロシアに逃げ込むという計画だったそうです。カウラでの日本人捕虜の脱走計画と比較すると、実現性のないような計画であっても、生きて自分の国に帰りたいという気持ちが伝わってきました。
翌日はいよいよカウラへ向かい出発です。その日の夜には石塚さん、西沢さんに会えると思うと、気持ちもうきうきしてきます。スリーシスターズ、ジェノランケイブ(鍾乳洞)を経由して、夜7時ころカウラに入りました。
夜遅くなってカウラに着くやいなや、石塚さん、西沢さんに会え、とても嬉しくホットしました。
その夜はドリンキングパーティでした。西沢さんの持っていたオパール、キャンベラで買ったというあれほしかったな。
カウラのことはいろいろ説明があったと思いますので省きます。印象は・・・とても寒かったです。
カウラで2泊、その後シドニーへ。シドニーでもう一度ミューディさん夫婦に会い、翌日日本に帰ってきたわけです。気候は正反対で、大阪はひどく暑かった。
ロッドさんには、オーストラリアにいる間お世話になりっぱなしでした。とてもいい人です。
オーストラリアは自国の生産物でほとんど生活できるので、外貨を集める必要もなく、またアメリカのように世界のリーダーになろうという野心もないので、とてものんびりした国のように感じました。みんな自分の生活を楽しみ、ゆったりと自分の人生を過ごしているような、うらやましい雰囲気でした。年をとったらオーストラリアの生活もいいなと考えた次第です。