オーストラリア訪問記 1996 | |
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カウラ収容所の砂地に立って | 下村 省一 |
美しい緑の平原の、収容所跡地に立った時、50余年前の日本兵捕虜1100余名の自決的出撃が、遠い夢のように思われた。
太平洋戦争中の日本人は、まさにオウム真理教の信者のようであった。そして日本列島は巨大なサティアンであり、閉ざされた収容所でもあった。 基本的人権の無視と弾圧、偏狭独善の皇国史観と、軍国主義思想による徹底的な国民の洗脳教育。その結果が太平洋戦争の悲惨となり、カウラの悲劇となり、直江津捕虜収容所の悲劇となった。 異国の地に眠る幾百人の日本人墓標は、「再び過ちを繰り返さないで…」と強く訴えているように思われた。 |