オーストラリア訪問記 1996
クルージングに参加して 石塚 洋子
 
ここは、シドニーハーバーの船乗り場です。昨年直江洋で会った懐かしい顛が見えます。主人と一緒にまず、ジョイ・リ一とパット・ホールに挨拶しました。二人には是非会いたいから出席するように、ロツド・イエツツにインターネット・メールで頼んでありました。 

ジャック・ミューデイとネノ夫妻、娘さんのジェニーと坊や、息子さんのレイモンドがいました。でたらめに近い英語で主人に通訳しながら回ります。昨夜シドニー空港まで迎えに出てくれたジョン・クック夫妻と息子さん、ジョン・ロバ一トソン、今日は奥さんも、お姉さんのマージョリー・アンダーソンとご家族も一緒です。他のみんなもそれぞれに知っている顔を見付けて話し始めています。 

レイモンドが私に近づいてささやきました。「あちらにいる婦人は、アグネスといって今日初めて来た人で、ご主人が直江津でなくなったのですよ」と。「ずっと心を閉ざしていたのが、父(ミューデイ氏)が直江津の除幕式のビデオを貸してあげたら、何回も何回も、涙ながらに見て、少しずつ心が和んだようで、今日やってきたのですよ」と言う。私が「話をしてもよいかしら」と聞いたら「もう大丈夫」とのことでした。 

まだ和解に同意していない人を、一人ずつ訪ねたいと夢見ていた私は、一つ実現したような気がしました。ミューデイー氏の並々ならぬ、陰の努力が感じられました。 

私は、和解に大反対だという元捕虜のドン・アーチンに、私たちの運動について、詳しく書いた手紙を出して、会いたいと伝えていたので、来ているかも知れないと、探したのですが、見えませんでした。 
 

シドニー湾クルーズ船上での交歓風景

船の上の予約席は満員になりました。五十人以上になったでしょうか。ケビン・ニコルとシルビア夫妻、ジェス・フリーストンとスーザン・グレンジャー母娘、始めて見えたアグネスは、再婚してから生まれたという娘さん一家と一緒でした。私は「今日あなたに会えた事が一番嬉しい」と伝えました。見渡すと、周りにはいくつもグループが出来ていて、土産を手渡したり話し込んだりしています。次から次と、懐かしい顔、初めての顔に会って私はすっかり舞い上がっていました。 

気が付いたら、折角のシドニー湾の変化に富んだ景色が、いつのまにか目の前を通り過ぎていました。覚えていることは、ロツド・イエッツに教えてもらった、タロンガ動物園のある森の広さに、驚いた事くらいで、あっという間に二時間が過ぎて、船から下りました。シドニーの街には冷たい雨が降っていました。 

オーストラリアから帰ってすぐ、家の郵便受けにドン・アーチンからの手紙を見付けました。「シドニーハーバーヘ会いに行くから、日時と場所を知らせるように」とありました。私が迂闊でした。今回は昨年直江津へ来た人たちの再会のパーティでしたから、ドン・アーチンには知らせが行かなかったのです。ミューデイ氏にあらかじめ話しておくべきでした。ともかく、来年必ず会いに行きますと、今返事を書いているところです。どなたか一緒に行って下さる方はいませんか?