5日(くもりのち晴れ)中の湯(5:30)→焼岳(8:20)→焼岳山荘(9:10)→西穂山荘(12:20=13:00)→西穂独標(15:20)
6日(くもりのち雨)西穂独標(5:30)→西穂高岳(6:50)→天狗岳(9:30)→奥穂高岳(13:15)→穂高山荘(14:00)
7日(晴れ)穂高山荘(5:10)→涸沢岳(5:40)→北穂高岳(8:00)→南岳小屋(11:55=12:20)→中岳(13:40)→槍岳山荘(15:00)
8日(晴れ)槍岳山荘(3:00)→槍ヶ岳(3:30=5:00)→槍岳山荘(5:3=6:45)→双六小屋(11:20=11:45)→双六岳(12:45)→三俣蓮華岳(14:20)→三俣蓮華山荘(15:20)
9日(晴れ)三俣蓮華山荘(4:10)→黒部小舎(5:25=5:35)→黒部五郎岳(7:00=7:30)→黒部小舎(8:30=8:45)→三俣蓮華山荘(10:15=10:40)→鷲羽岳(11:30)→水晶小屋(13:10)→水晶岳→水晶小屋(14:25)→三俣蓮華山荘(16:25)
10日(晴れ)三俣蓮華山荘(7:10)→雲の平(10:00=11:15)→高天が原(14:00)
11日(曇りのち小雨)高天が原(5:00)→ワリモ分岐(8:30=8:45)→水晶小屋(9:20=9:30)→野口五郎岳(13:00)→野口五郎小屋(13:30)
12日(くもりのち小雨)野口五郎小屋(4:45)→烏帽子小屋(6:40)→烏帽子分岐(烏帽子岳ピストン8:00)→船窪岳(13:00)→船窪テン場(16:00)
13日(くもり)船窪テン場(5:30)→北葛岳(7:50)→蓮華岳(11:00)→針の木小屋(12:00=13:30)→針の木岳(15:00)→針の木鞍部(15:30)
14日(雨)針の木鞍部(6:30)→赤沢岳(8:30)→新越小屋(9:45=10:00)→種池山荘(11:45=12:50)→爺が岳(13:30)→冷池山荘(14:20)
15日(くもりのち雨)冷池山荘(7:40)→布引岳(8:25=8:50)→鹿島槍ヶ岳(9:30)→キレット小屋(11:40=12:00)→五竜岳(16:00)→五竜山荘(17:00)
16日(雨時々くもり) 停滞
17日(くもり時々晴れ)五竜山荘(17:00)→唐松岳(8:30)→天狗山荘(13:30)
18日(晴れ)天狗山荘(13:30)→白馬岳(9:20=9:40)→雪倉避難小屋(11:20)→小桜ヶ原(16:00)
19日(晴れ)小桜ヶ原(5:10)→分岐(5:30)→朝日岳(6:35=6:55)→長栂山(7:55=8:15)→黒岩平(10:25=10:35)→サワガニ山(11:40=11:55)→犬ケ岳(13:25)→栂海山荘(14:00)
20日(くもり時々晴れ)栂海山荘(5:00)→白鳥山(8:30=9:00)→坂田峠(10:55=11:15)→尻高山(11:50=12:20)→入道山(12:55)→親不知(14:10)

 

何年か以前もの目標であったこの計画。この計画が実行できることが決まってからルートをどのように取るかが次の問題となるが、ルートを決めるにあたってどこを通って親不知の海岸に立つかを決めるので非常に悩んでしまった。
北アルプスの名峰を全て登るには1ヶ月近くかかってしまう。
そんなことは出来ないので常念岳や表銀座ルート、そして笠が岳はあきらめることになる。
次に薬師岳と剣岳が非常に行きたかったので裏銀座ルートをあきらめ針の木谷を遡行し本線に戻ることにした。
こうしてルートは中の湯をスタートに焼岳→西穂高→奥穂高→槍ヶ岳→双六→三俣蓮華→黒部五郎→三俣→鷲羽→水晶→三俣→雲の平→高天が原→薬師岳→五色ヶ原→立山→剣岳→黒部湖→針の木岳→爺が岳→鹿島槍ヶ岳→五竜岳→唐松岳→白馬岳→雪倉岳→朝日岳→栂海新道→親不知というルートが完成した。
また今回は長期縦走であるのでルートが決定した後、2個所にデポをすることとした。
場所は槍岳山荘と冷池山荘にすることとした。冷池山荘にデポしに行った時は雨の中置きに行く事となる。
槍岳山荘に置きに行った時は、休みが3日あったので足を伸ばして笠が岳まで縦走をする。
この日は全て非常に天気が良かったが、一人で行ったので槍岳までの荷揚げは非常に疲れた。という事で2個所のデポが終了したら後は行く出発をするのみ。
この山行の難関は西穂高岳→ジャンダルム→穂高岳、涸沢岳→北穂高岳→飛騨泣き→長谷川ピーク→大切戸→南岳と鹿島槍ヶ岳→八峰キレット→五竜岳、唐松岳→不帰嶮の、栂海新道であった。
問題の箇所はほとんど最初であって後の方は前が行ければ栂海新道は体力勝負であると考えていた。
こうして今回の山行のルートと問題点を上げチェックを行った。 いざ出発し登山口へむかう。
今回の出発ポイントは焼岳登山口 北アルプス最南端の登山口でもある中の湯から全山縦走のスタートをする。
焼岳までの登りは天候も悪くガスの中を登って行く。荷は非常に重かったので日が出てなく恵まれたスタートとなる。
焼岳まではすぐに到着をしその後、焼岳山荘を経て西穂高山荘へ向かう。
この間のルートはなだらかな登りだといわれてきたが、そうではなく非常に急な坂を3〜4回登りやっとの思いで到着した。
西穂高山荘からこの日は独標までいってビバークとする。翌日朝からガスに阻まれ霧雨が降っていたので出発を躊躇する。
2時間位して奥穂高岳の山頂まで見渡すことが出来るようになってきたので出発をし西穂高岳の山頂を目指す。
独標から先は岩稜帯の所を進んで行き西穂高の山頂に到着する。ここから先は非常に危険な縦走路で一歩間違えると死が待っている世界である。
気を引き締め、奥穂高岳の山頂を目指して出発をする。ここから約6時間位の行程で奥穂高岳の山頂に到着することを頭に入れて出発をする。
天狗のコルまでは5回位のアップダウンを繰り返すが、非常にガレているので落石に気を払いながら天狗のコルまで向かう。
天狗のコルからは、岩稜帯の登りであるがコルは2500m位の高度であるのでそこから約700mもの登りである。
この頃から雨が降り始め最悪のコンディションとなってくる。ここからが全山縦走の核心部でも有るのに最悪の状態となってきた。
それでも何とか登りきりジャンダルムの基部まで到着する。ジャンダルムの基部からジャンダルムをトラバースする。
ジャンダルムをクリアした後、最低暗部まではかなり岩が脆くなっておりまた危険な箇所も有ったのでかなり苦戦させられた。
北アルプス全山縦走
最後の馬の背の登りは簡単にクリアし奥穂高岳の山頂に到着する。
雨が降っていたので穂高岳山荘に下りこの日は行動を終了する。翌日は天気になる。
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
北穂高岳より穂高岳望む
北アルプス全山縦走
北穂高岳より槍ヶ岳を望む
涸沢岳からの下りと北穂高岳の下りがかなりガレており昨年の地震で鎖は崩壊してしまったが、今年は新しいのがしっかり掛けてあり簡単にクリアする。北アルプス全山縦走
槍ヶ岳の山頂までは非常に天気が良かったのでこのルートはアップダウンが多いので体力面できつい物があった。
槍ヶ岳の山荘に着いてデポしておいたものを回収する。また山の会のメンバーもきてくれたのでこの日は非常にすばらしい食事を取る。
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
槍ヶ岳山頂にて
翌朝2時に起き槍ヶ岳の山頂を目指す。
この日に結婚式を挙げることにしていたので3時には出発し頂上に3時半には到着する。
ここで一生の誓いの言葉をみんなの前で言った。この日も非常に天気が良かったので朝日を拝むことができた。
ここからルートは西鎌尾根から三叉蓮華まで移動するが非常に荷が重いのでここで黒部五郎岳.鷲羽岳.水晶岳をピストンして翌日雲の平を通って高天が原温泉にビバークする。
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
翌日はここから薬師岳を回って剣岳に行く予定であったが日程的に厳しいので主稜線にもどり烏帽子岳方面に向かってルートをとる。
しかしこの日から雨が降り始め彼女の方も疲れが出てきたのでこの日は野口五郎岳でビバークととする。
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
翌日体調を取り戻したので一気に船窪岳を目指して一気に進もうとするがこの縦走中で一番最悪個所となった場所となる。
ルートは信州側がほとんど崩落しており歩く場所がほとんどなくあったとしても足を滑らせると死につながるような個所で精神的に一番疲れた場所となってしまう。
この日運の良かったのは多少の雨が降っていたので地質は砂岩であったので多少地面に水が含んだので歩きやすい状態となった。
そして船窪岳からの下りからテン場までの上りがこの縦走路でも最悪でまず下りはガレ場のような場所を駆け下りるような感じとなる。
その後岩場が出てくるがそこには鎖が1本もない状況である。(普通のルートなら必ず鎖がある場所である。)
また暗部に下ってからの上りもかなりの急で岩ももろそうな場所であるが鎖がほとんどない状況である。
この後も何度かそのような場所がありまたルートが崩壊した場所については崖を攀じ登るような感じであった。
このルートはまた地図上には出ていないアップダウンもありコースタイムの3倍はかかってしまった。
このほかの縦走路はコースタイムより早いか同じ位かで歩いているのにここだけはおかしすぎると思った。
やっとの思いでテン場に着いたがここでもひどいことがあったが、水場が非常に危険な場所でほかの個所は砂岩で崩壊しているのに水場はその崩壊しそうな斜面の真ん中にあったのである。
今回はここで水をくまざるを得なかったが一歩間違えたら死の世界であることは間違いない場所であった。
翌日何日か降った雨もやみ一路蓮華岳を経て針の木岳まで目指す。この日のつらい場所は蓮華岳に登る蓮華の大下りであった。
蓮華岳に着いてからは人もかなり増え始め針の木山荘に着くと人の山であった。
その後時間が合ったので先まで進むことととするが途中で雷にあい一時行動を止めるが一応この日は山頂を越えて山頂暗部でビバークとする。
翌日は台風が接近してきているので大荒れの状況となってしまう。
それでもこの日の工程はなだらかな場所を歩くだけであったので雨の中を行動する。時が経つに連れ雨が激しくなってくる。
新越山荘を越える頃には風まで強くなってきた。
そして荷揚げのときに寄った種池山荘では前にあった人がしっかり覚えていてくれたので嬉しく思った。
そしてこの雨の中、広木さんも駆けつけてくれる。この雨の中3人で冷池山荘に向かう。ここではデポをしておいたのでここで荷を受け取ることになるが、
荷揚げのときにフルーツをプレゼントしたお礼ということでここでは水を6Lとバンダナを2本も頂いてしまった。
この山荘は今までの疲れをフッ飛ばしてくれるような感じとなった。
北アルプス全山縦走
翌日は雨で停滞する予定であったが朝山頂が見えたので出発することとなるが、山頂付近に着いた頃から雨が降り始める。
その後は八峰キレット付近を通過するときはガスって何も見えない。
五竜岳へのG5付近はかなり高度感のある場所を通過する場所もあったので緊張する場所の連続である。
五竜岳への山頂の登りはかなり急騰ガレ場で苦戦をさせられるが何とか山頂まで到着。五竜鹿島槍ヶ岳の付近は何度来ても天候がすっきりしない状況が今回も現れてしまった。
再度このルートは面白いので冬に来てみたいと思った場所である。雨の中山荘まで到着しテントを立てるがこの日はかなりの体力消耗をしてしまったので翌日の行動は雨も降っていたので停滞とする。
2日後最後の危険ルートでもある。
唐松岳の山頂までは平坦な場所を歩くのであるが、ここから先が不帰嶮で下りがガレてる場所であるが、いざ通過してみると鎖はしっかりをはりめぐらされているので簡単にクリアする。
この日はゆとりを持って行動することとしていたので天狗山荘で終わりとする。
翌日は雪倉岳を越えて朝日岳の暗部まで行こうとして出発。
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
白馬岳の山頂までは天気が非常に良かったので景色を見ながら歩くことが出来るが白馬岳から先は体力勝負となる。
標高が2000mから2500m位のところを歩くことになるので暑さとの対決になるがやはり彼女の方はかなりの日数も歩いているので疲れが発生しあまり進まなくなる。
この日は子桜が原ビバークとする。翌日も天気が良い。まずは朝日岳の山頂まで2ピッチで登る
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
ここから一路親不知を目指して歩いていく。栂海新道は山頂から少し下ったところから始まる。
少し歩くと長栂山に到着するがここから見た海は最高であった。またこの下にある黒岩平も最高の景色だった。
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
一度は泊まってゆっくりと海を眺めたいと思った。ここから下に見えた黒岩平まではかなりあり天気も良かったので、かなり体力の消耗はしていったがお花畑がものすごくきれいであったので疲れを忘れさせてくれた。
黒岩平から先の犬が岳まではハイマツ帯のアップダウンの繰り返しで何も望むことは出来なくなってくる。
何とか犬が岳の山頂までたどり着くがこの時には雲が覆ってきていたので
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走
山頂ついて少したった後、雨が降り出し犬が岳山荘に逃げ込む。
雨が1時間位降っていたのでこの日はここでビバークとする。翌日は天気が良くなり海が良く見えている。
この日は16日間かけて歩いた最後の日となる。ここから先は薮が高くなってくるので視界はほとんどなくなる。
白鳥山までは2回の大きなアップダウンをして到着する。白鳥山に来て一層海が近づいてくる。
これより先高い山は何もなくひたすら下るのみである。後ろを見ると犬が岳が見えている。
今まで歩いてきた北アルプスは朝日岳.雪倉岳が見えるのみでそれより南部にある山は見えなくなっていた。
北アルプス全山縦走
白鳥山から後は5時間くらい下って親不知に到着する。
最後の最後は1000m切っていたので下界の暑さが非常に身にしみた。
親不知に到着後最後の目的でもある海抜0mの海にタッチする事であったが、下山口から60m下ったところでコンクリートの階段を下るのが非常につらかったが、海にタッチしたときやっと終わったという感じになった。
この山行は計画から非常に日数をかけて計画し準備したので非常に達成感がでかく99年夏は思い出に残る今までにない充実感で満ちあふれていた。
北アルプス全山縦走

 

北アルプス全山縦走



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