脇岬ダブルトンボロの発達過程について
小元久仁夫・伊藤佑始 (2016):長崎県天然記念物・脇岬のビーチロックの形成年代.地学雑誌.125(3).409-419.では
誌面の都合上、脇岬ダブルトンボロの発達過程についての記述が省略されたので、このページで補足します。


縄文前期〜弥生中期
ラグーン跡〜東トンボロの脇岬遺跡(砂礫と沖積土の間、現在の平均潮位のあたり)に貝殻・人骨・土器が捨てられる。時代ごとに層序になっている。
約5,700〜4,600BP
ビーチロックC2,3とEができる。砂州は現在の海岸線より西に約120mあたりで発達していたと考えられる。
約1,900BP
ビーチロックBができる。
約1,700BP
ビーチロックC1ができる。
約1,400BP
ビーチロックAができる。
AD709年
北の山地の裾に観音寺ができる。
AD874年
トンボロ西部の高い砂丘上に堀池神社(現在は移転)ができる。
中世(14世紀)
脇岬遺跡に陶磁器が捨てられる。
約600BP
ビーチロックDができる。C周辺の砂も同年代。
A・B・Dは逆傾斜に発達していることから、ここまでトンボロ東部は未発達であった可能性と、
A・B・Dの背後にあった砂州がこの後移動した可能性が考えられる。

AD1592年
トンボロ西側の高い砂丘南端に浄福寺ができる。
AD1647年
「肥前一国絵図」でダブルトンボロが描かれる。
明治時代
東トンボロ(脇津)と弁天山の間が埋め立てられる。
昭和30年代
北の山地からラグーン跡〜東トンボロに流れる河川が埋め立てられる。
表 脇岬ダブルトンボロ年表


下の図は脇岬ダブルトンボロの発達過程を図化したものです。あくまで仮説です。
小元・伊藤(2016)では文字による説明しかできなく、分かりにくかったと思いますので参考にしてください。

脇岬ダブルトンボロ発達過程予想図
図 脇岬ダブルトンボロ発達過程予想図

参考文献
野母崎町企画課(1986):野母崎町郷土誌.野母崎町.
西村暉希(1996):長崎県の特異な地形と景観―トンボロ・ビーチロック―.大地は語る.長崎県.72-73.
長崎県教育委員会(1997):脇岬遺跡.原始・古代の長崎県―資料編Ⅱ―.長崎県教育委員会.363-371.

ページ作成 伊藤佑始
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