縄文前期〜弥生中期 |
ラグーン跡〜東トンボロの脇岬遺跡(砂礫と沖積土の間、現在の平均潮位のあたり)に貝殻・人骨・土器が捨てられる。時代ごとに層序になっている。 |
約5,700〜4,600BP |
ビーチロックC2,3とEができる。砂州は現在の海岸線より西に約120mあたりで発達していたと考えられる。 |
約1,900BP |
ビーチロックBができる。 |
約1,700BP |
ビーチロックC1ができる。 |
約1,400BP |
ビーチロックAができる。 |
AD709年 |
北の山地の裾に観音寺ができる。 |
AD874年 |
トンボロ西部の高い砂丘上に堀池神社(現在は移転)ができる。 |
中世(14世紀) |
脇岬遺跡に陶磁器が捨てられる。 |
約600BP |
ビーチロックDができる。C周辺の砂も同年代。 A・B・Dは逆傾斜に発達していることから、ここまでトンボロ東部は未発達であった可能性と、 A・B・Dの背後にあった砂州がこの後移動した可能性が考えられる。 |
AD1592年 |
トンボロ西側の高い砂丘南端に浄福寺ができる。 |
AD1647年 |
「肥前一国絵図」でダブルトンボロが描かれる。 |
明治時代 |
東トンボロ(脇津)と弁天山の間が埋め立てられる。 |
昭和30年代 |
北の山地からラグーン跡〜東トンボロに流れる河川が埋め立てられる。 |