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スペースシャトル


 それまでの宇宙船といえば1回ごとに使い捨てでったことから、コスト削減のため、再利用可能な宇宙船の開発に取り組むことになります。

 そして、できたのがスペースシャトルでした。



 ロケットエンジンで宇宙にいって帰りは飛行機のように着陸。これが成功すれば、今までよりはるかに低コストで宇宙に行けるということで時の大統領リチャード・ニクソンはスペースシャトル計画にGOサインを出します。

 そして、1977年8月には試験機のエンタープライズ号が弾丸飛行に成功。1981年にはコロンビア号が初の有人飛行に成功し、チャレンジャー号、ディスカバリー号、アトランティス号と次々に実用化されていくことになります。

 しかし、再利用することにより低コストに抑えられると思われていたスペースシャトルでしたが、思わぬ誤算が発生します。

 2度にわたる大参事を起こし、その後は徹底した安全管理のため打ち上げ費用がどんどんかさんでいくことになるのです。

 1度目の大参事は、1986年1月28日のチャレンジャー号の爆発事故。打ち上げの際の推力を担う固体ロケットブースターの異常が事故の原因といわれています。この事故により7名の宇宙飛行士全員が死亡します。

 2度目は、2003年2月1日のコロンビア号の空中分解事故。20年以上も活躍したコロンビア号でしたが耐熱パネルがはがれたことにより、帰還中に空中爆発。この爆破事故により再び7名の飛行士の命が奪われることになりました。

計画名 計画の目標 結果 内容 
1977年8月 エンタープライズ号:初めての大気圏内自由飛行
1981年4月 コロンビア号:初めての有人宇宙飛行(実験飛行)
1982年11月 コロンビア号:4人を乗せての実用飛行開始。
1983年4月 チャレンジャー号:初飛行
1984年8月 ディスカバリー号:初飛行
1985年10月 アトランティス号:初飛行
1986年1月 チャレンジャー号:爆破事故。7名の乗組員全員が死亡
1988年9月 ディスカバリー号:チャレンジャー号の事故以来2年8か月ぶりの飛行再開
1990年4月 ディスカバリー号:ハッブル宇宙望遠鏡を軌道上に放出
1992年5月 エンデバー号:初飛行
1992年9月 エンデバー号:日本人初の宇宙飛行士として毛利衛さんが飛び立つ
1994年7月 コロンビア号:日本人女性初の宇宙飛行士として向井千秋さんが飛び立つ
1995年6月 アトランティス号:ロシアの宇宙ステーション「ミール」と初のドッキング成功
1997年11月 コロンビア号:土井隆雄さん日本人初の船外活動
1998年12月 エンデバー号:国際ステーションとドッキング
2003年1月 コロンビア号:帰還の際、大気圏突入時に空中分解事故。7名全員が死亡。
2005年7月 ディスカバリー号:野口聡一さんが搭乗
2008年5月 ディスカバリー号:星出彰彦さんが搭乗
2010年4月 ディスカバリー号:山崎直子さんが搭乗
2011年2月 ディスカバリー号:最後の飛行 
2011年5月  エンデバー号:最後の飛行 
2011年7月 アトランティス号:最後の飛行 

 30年以上も活躍してきたスペースシャトルでしたが、結局はかさんでいく膨大な運用コストのため引退することとなりました。