.
 津軽の冬は何と言っても雪か多いこと。八甲田の麓酸ヶ湯はいつも簡単に2メートルは越える積雪で、そこからは交通止めである。今年冬の積雪は少なかったが、今月はよく降る日が続く。昔は橇を曳く馬車が道を走りましたがいまはその影もありません。山はスキーなどを愉しむ人で賑わい、その麓は温泉で温まる人で賑わいます。日本海の荒波も魅力の一つで、夕陽の感傷的なものと違い
人生の荒波を振り返り津軽の過酷な自然を改めて思います。津軽では雪し下から吹いてくるとも言われます。

 青森県の生い立ち

目の前には八甲田が見える。大昔には大爆発で空にはマグマが燃え、その灰や溶岩の流れが津軽一帯にあふれていた。そして湖や大地、そして海岸線も形造られてきた。氷河期からナウマン象等は滅びてゆく、温暖の時に小川原湖や津軽も奥深くまで海が拡がり樹木も繁茂し人が住み始めた。珈琲を飲みながらそんなことを想い出した。何か不思議な気がする。下北、津軽にも蝦夷と呼ばれる者が棲み、倭人と融合してゆく。縄文人は果たしてどの流れの人たちだったのでしょう。三内丸山には500人程が集団で生活していたと推測されている。山を見ているとつい昨日のようにも思える。三内丸山時遊館と県美術館は隣接している。歴史と文化に触れることが出来る。
                       
汗と努力の林檎

岩木山の麓、弘前、板柳等にはにりんご畑が拡がって桜の季節が去ると、今度は林檎の花の咲く頃となりますが、冬の枝剪り、春の花の受粉を、実がなると良いのだけ残して摘果します。そして大きくなると袋掛けがまっています。更に防除、袋剥ぎ、光を当てるための葉とり等、おいしい林檎を食べられるための苦労は大変です。明治の西洋リンゴを改良して種類も多く、祝い、スターキング、デリシャス、フジ系と早生から秋遅くまで収穫ができます。何と言っても収穫時の赤いリンゴの畑には感動します。青森県の収穫量は44万トンで全国の52%の生産をしています。弘前りんご公園でその作業もたのしめます。

 
山菜の宝庫・春も秋も野の味堪能

津軽地方は八甲田、岩木山、白神、津軽半島の山々があり山菜の宝庫です。野山にはウド、ワラビ、ゼンマイ、ミズ、アイコ、タラの芽、コシアブラ等山菜採りの話題は尽きません。私の庭にもウドとワラビが生えます。早朝や土日は人の方が多いくらいで、かなりの奥のほうでないと多くは採れないない状況です。秋は茸の季節です。ナメコ、マイタケ、サモダシ、シミズ等種類も豊富で居酒屋ではつまみの多くはこの山菜です。私は最近酒は弱くなりましたが、山菜はよく食べます。
 
                           
 
三方は海・豊富な魚介類
 
県としては大間のマグロ、八戸のイカ等が知られていますが、マグロは三厩、イカは小泊でもよくとれます。勿論、ヒラメ、ソイ、アイナメ、鱈、なまこ、カレイ等津軽の日本海は魚介類の宝庫でもあります。今売り出しているのは七子・八珍の魚や貝の珍品です。
         
青森の自然ー北国の土台・心の故郷

 アジア大陸の東の日本は約二千万年前に大陸から別れて移動し、大きな地溝が出来て日本海となって誕生しました。
 その当時は盛んに火山活動が行われていて、深浦の方はその溶岩流の跡が確認されています。
 鮮新世に入ると大規模なカルデラ湖を形成するような火山活動があり現在の地形の土台となりました。
 更新世には八甲田、岩木山、十和田の火山活動が始り、青森県の今の形の原型が形成されてました。

 とくに十和田の三度の火砕流は県下を覆う大規模なもので、70万年前の八甲田火山の大噴火は房総半島まで火山灰が届いたといわれています。
 更世紀の中期には氷河性の海水準変動の激化になり、海成段丘が形成され、前田野目層が形成され、その頃虎、ナウマン象等が渡ってきたと考えられています。
 
この青森形成の過程でも分るように火山の跡の温泉が豊富で、特に津軽では各市町村に温泉施設があり、癒しに効果を上げています。
 
どごさ行ってもいい湯っこさ入るにいいよ

<青森市・浅虫温泉花の湯の島
青森市は江戸時代に奥州街道の終点として新しく開港された港町で、明治に紆余曲折を経て県都となった商業と観光の街である。
戦災にもあったが商業都市として成長した。北海道への連絡船も昭和63年まで活躍した。南に八甲田、東には東岳があり日本海からの雪が街に降り都市としては全国一位の豪雪の町である。南西側には三内丸山があり縄文の時代から人間が暮らしていた。駅前には観光施設アスパムを中心とする青い海公園があり、いま「ねぶた団地」でテントが並び制作が見られる。ねぶたまつりは330万人が訪れる東北1位のまつりになりました。寺山修司、太宰治、高木恭造、棟方志功、沢田教一等の縁の地でもある。
三内丸山、棟方志功館、美術館、近代文学館等の見所がある。そして八甲田、奥入瀬、十和田湖の玄関口である。本町界隈は昔から飲屋街として楽しまれている。奥座敷として浅虫温泉が有名で、文人も多く訪れている。浅虫水族館があり、海に浮かぶ小さな島、標高132メートル名前は湯の島のカタクリ、キバナのアマナ等の野草は春の風物詩です。気軽に風呂に入れる道の駅「ゆーさ浅虫」も人気です。

<十和田湖・火山の足跡とヒメマス>

十和田湖は標高400メートル、およそ8500年前の大火山で形成されたもので深さ327メートル。明治32年に和井内がヒメマスを支笏湖から仕入れ養殖し今では名産物として知られています。高村光太郎の乙女の像、遊覧船等愉しめます。

渓流の散策で有名な奥入瀬は約14キロ、屏風岩、馬門岩等は溶結凝灰岩の板状節理で北八甲田の激しい火山活動から生じました。渓流は石ヶ戸付近や阿修羅の流れ等水と岩、樹木の彩りが素敵です。

<奥入瀬方面ー温泉・新緑・紅葉生命力をリフレッシュ>

 焼け山から十和田湖の子の口まで約14キロは奥入瀬渓流で親しまれています。いずれ激しい火山活動でこの風光明媚な土地がうまれ、その経緯から周辺では温泉が多いのです。
 奥入瀬には青森駅からJRバスが出ていますが、夏場は萱野茶屋、酸ヶ湯を通り焼け山へと向かいます。萱野茶屋高原からは八甲田連峰が四季美しく眺められます。茶屋筍おでんは生姜味噌のたれで名物です。茶屋を過ぎるとブナ林の中をロープウエーの駅、城ヶ倉、酸ヶ湯と行きます。酸ヶ湯からはアオモリトドマツ、ダケカンバ、ナナカマドがよく見られます。更に猿倉温泉を過ぎ傘松峠がこの道で一番高い標高1040メートル、十和田市に入ります。そして睡蓮沼、谷地温泉、蔦温泉を通り焼山へ、蔦温泉は単純泉で湯船はヒバの暖かい風呂です。大町桂月が愛してここで死去しました。温泉から小径を通り蔦沼に行けます。山に囲まれた沼は神秘的で紅葉の映えるところです。また、4つの小さな沼を鳥の声を楽しみながら廻るコースもあり家族に人気です。そして蔦付近は太めのブナの林が多く新緑が最高の所です。蔦川沿いは砂防が整備されカエデ等景観が私たちを惹きつけます。川には吊り橋もありそれを過ぎると奥入瀬川に合流します。奥入瀬渓流館で一休みして更に石ヶ戸に着きます。石ヶ戸の休憩所付近は、川幅も広く流れも比較的静かで、トチ、ミズナラ、カツラ、ブナ等木の種類も多く少し遊歩道を下ればまた急な流れや倒木が自然を満喫させてくれます。また、上流は正に渓流で、流は岩に翻弄されながら光り踊る様は写真や絵のポイントとなっております。対岸には屏風岩が厳然と立ちはだかっており、火山活動の地球の歴史を感じます。更に視界を覆う馬門岩が目前に迫り阿修羅の流れに辿り着きます。
 阿修羅の流れを過ぎると様々な清冽な滝が心を洗ってくれます。そして銚子大滝の水のカーテンを堪能して暫くで子の口に着きます。新緑と紅葉は最高の自然のお贈りもです。
ラ、ミズナラ、イタヤカエデ等様々な木があるのでさまざまな葉の形、色の新緑、さらには岩に根を絡ませて生きている生命の力を感じさせてくれる姿と正に活力を与えてくれます。
 また、イチリンソウ、ニリンソウ、ヤマツツジ、トリカブト等の花々も咲き彩りを添えてくれます。歩くことは、単に見るのでなく、身体ごと自然浸るのでリフレッシュできます。
 
<八甲田ー癒しの山>
 
八甲田は連峰で大岳(1584、8メートル)、小岳、井戸岳、高田大岳等の北八甲田と 南八甲田の櫛ヶ峰、横岳等が総称されている。本当の山好きは南が良いという人もいるが北のほうが一般的にはしたしまれている。麓には酸ヶ湯、寒沢、城ヶ倉、猿倉、八甲田と温泉がひしめいていて、とくに酸ヶ湯は混浴の古くからの観光ナンバー1の温泉として名高い。登山は酸ヶ湯から登るのが一般的だすが、ロープウェーを利用して赤倉を通る方法や城ヶ倉から毛無岱を通って登ることも出来ます。酸ヶ湯からは三時間程で大岳に行けます。最近、酸ヶ湯の上の駐車場に情報センターが開設されトイレもきれいになりました。酸ヶ湯から地獄沼、睡蓮沼等の見所を経て谷地温泉、蔦温泉と行きます。南八甲田は猿倉温泉から登る人が多くいます。
これからは沢山の高山植物が皆さんをまっています。
毛無岱は標高1100付近の下毛無とその100メートル上の毛無があり、舌状の溶岩流でできています。初夏チングルマ、ワタスゲ、キンコウカ等の高山植物が見られます。
 冬はスキー場として親しまれロープウェーは賑わいます。しかし、酸ヶ湯から谷地は通行不能でバスは田代方面を迂回して運行されます。

<酸ヶ湯温泉ー混浴の秘湯>
 
1684年地元の猟師が鹿を撃つ猟をして発見したと言われ鹿湯温泉とよばれていましたが、昭和8年株式会社となり、翌9年にはバスも開通しました。そして10年大浴場も完成したのです。ヒバの仙人風呂が有名で、今でも木造の風情が情感あり愛されています。脱衣所は男女別々ですが風呂場は一緒、湯船には境界の札が立っています。白濁した酸性の湯で少しヒリヒリします。近には地獄沼、自然植物園等の見所もあります。
 ここは版画家棟方志功が愛したところで、ここの使用人であった鹿内辰五郎が「志功はきっと偉くなる」と言ったのを励みに世界の棟方になったという逸話があります。
志功は民芸の柳宗悦氏等との交流から版画の独自の作風を築いた世界的版画家ですが、辰五郎も詰め襟服に帽子姿でいつも笛を腰にして仙人と呼ばれていました。大町桂月や牧野富太郎の案内役をしたり雪中行軍遭難の救助をしたりで八甲田を熟知し愛した人です。酸ヶ湯の広場には案内板と記念の湧き清水があります。
 また、この酸ヶ湯創設にかかる郡場直世の次男寛氏は八甲田の植物の研究家で母や辰五郎の助けを借りて研究に励み、弘前大学の学長にもなり、この大岳に散骨されました。

  酸ヶ湯温泉  PH1、4〜2、0酸性  温度 90℃

<田代平湿原・気軽に自然に>
 田代平は火山爆発のカルデラで生物の死骸や泥等が堆積したところです。田代平湿原は東西1キロ、南北0、6キロあり木道も整備されています。ここでは何といってもワタスゲが最も知られていますが、姫石楠花、レンゲツツジ、キンコウカも見られホトトギス、鶯等多くの鳥の鳴声も楽しめます。ここは気軽にたのしめるのが人気の秘密で多くの人が訪れます。また田代平高原は広い憩いの場としてキャンプ等に利用され、レンゲツツジの群落が訪れる人を魅了します。
 湿原の入り口にある竜神池は褐鉄鉱の採掘跡で、親しまれている八甲田温泉は炭酸泉と硫黄泉の二種類を楽しめる温泉です。


津軽半島・哀愁の北のはずれ

<青森から竜飛・伝説の道>

青森から西に向かい半島に海岸沿いを行く、油川は昔港で栄えた街道の交差点である。大きな酒屋や円空の掘った観音像のある浄満寺もある。更に蟹田、平舘と外が浜街道沿いには守りの砲台の跡がのこっている。蟹田では春シロウオがとれ躍り食いが美味い。 平舘には松林が残っており街道の面影が濃い、今別は辺鄙なところで高野崎、鋳釜崎があり、津軽海峡に落ち込む断崖ではデイサイトの柱状節理がみられる。また、赤根沢の赤石、舎利石等奇岩、珍石がとれることで有名だ。袰月の部落は木造の古い家がひっそり並び、伊能忠敬が測量のため数度訪れた足跡が書かれた標柱があった。
三厩は昔北海道に渡った港である。今は義経伝説で知られている。義経一行が荒れた海を鎮めるため岩の上で三日三晩祈ったら龍馬が与えられようやく渡ることができたというものである。義経寺にも円空の像がある。この義経伝説は八戸、野内、油川にもある。北のロマンを信じている人も多い。
竜飛崎に向かうほど道は細くなり、小さな漁港や浜辺に船屋が並び木造の細い舟がぽつんとある。岩を掘って造った隧道が残っている。
津軽半島は、本州最北端というイメージにぴったりのところ、竜飛岬の風は冷たく下から吹き上げてくる。ここは北のまもりの拠点で吉田松陰も幕末心配して訪れた場所である。この強い風を利用した発電用の風車が並んでいる。
昭和63年に開通した青函トンネルの記念館もある。同時に連絡船は廃止となった。また新幹線の青森からの延長の調査が半島で行われている。

この岬ではニッコウキスゲ、ニガナ、ナデシコ、浜キクなどが咲く、そして石川さゆりの歌う「津軽海峡冬景色」が聞ける歌碑がある。灯台の下の駐車場ではおでん、焼きイカ、干たこ等売っている。
下の港には太宰 治の「津軽」の碑がある。ここは袋小路なのだ。

<竜飛から市浦・幻の都とさ十三湊安東>

竜飛から小泊への道は「竜泊ライン」と言われている。山の頂上付近をカットして造った道路である。道端には枯れ木が立っている。便利の代償なのだろう気後れがする。北海道、津軽海峡、日本海が見渡せる眺望台がある。道路はくねりながら南に向かうのが見える。しばらくは海も見えなくなり急な坂になる。谷間下り再び少し登る。傾き石があり吉田松陰が通った峠の道の入り口がある。ここの海は汚れもなくきれいである。心が洗われただ無心に眺めているのが最高というところである。意地悪く言うと誰も案内したくない程である。左の小山の上にはミミナグサやセンダイハギが綺麗に咲く。まもなく七ッ滝につく、段々の滝から涼しく水の筋が幾重に堕ちている。風もひんやりと涼しい。そして一軒宿「青岩温泉」を過ぎ「ポントマリ」(アイヌ語で小さい港)という道の駅に到着する。地元の産物、食堂がある。新鮮な魚貝の料理が売り物である。そして間もなく小泊である。
小泊岬は日本海にウサギの尻尾みたいに突き出た岬で地層も古い。イカ等の漁業の町である。そして寒村の部落脇元や磯松を通り市浦に入る。ここは十三湖で知られている。鎌倉から室町時代に安東が栄た幻の湊の都があった所である。その縁り壇林寺には義経伝説もあるがいまは跡のみである。そして湖では大和シジミが獲れる。大粒で味の濃いシジミでシジミラーメンが美味い。司馬遼太郎、五木寛之等作家が多く訪れている。十三湖の中島には木道の橋を渡って行くとこの地の歴史展示館があります。

<デカタンの作家太宰 治・津軽三味線・桜の名所芦野公園>

「斜陽」や「津軽」で知られる作家太宰治の生家は金木の地主であった。明治42年に6男として生まれた。本名津島修治である。自虐的作風でその退廃的生活からデカタンの作家と称されているが、面長で鼻梁が高く、文学的風貌で女性との関わりが多い。心中で自分だけが生きた罪の意識に苦しみ、ついに心中で昭和23年6月世を去った。6月19日が桜桃忌である。
生家はいまも残って「斜陽館」として観光に一役買っている。金木はまた津軽三味線の仁太坊が生まれた土地で津軽三味線発祥の地でもある。斜陽館の向かいに三味線会館があり三味線の歴史と生演奏が聴ける。金木の芦野公園は桜の名所で太宰の碑、津軽三味線の碑もあります。また昔の駅舎が喫茶店として残っています。

<津軽の商業都市五所川原・「立佞武多の館」>

金木はいま五所川原市に合併になりました。五所川原は津軽半島の付け根の商業都市で昔はハイカラの街と言われ太宰の親戚もいた。呉服で儲けた豪商がいましたが焼け落ちました。太宰の生家(斜陽館)もその屋敷を真似て造ったと言われています。平成8年立ちねぶたが復活し「立佞武多の館」があり人気を博しています。立佞武多はまつりに170万人東北三位の観光客が訪れます。
津軽平野の母なる川岩木川は昔、船で米を十三湖に運び、鰺ヶ沢で北前船に積み替え多くの海産物等と京都、大坂方面に輸送されました。


<沼、湿地・縄文の世界・西海岸>

半島の西海岸には沼と湿地が続く花々の宝庫である。原生花園といえば北海道がしられているが、津軽は北と南の堺なので驚くほどの花々が見られる。平滝沼。大滝沼、ベンセ沼等沼は無数連なっている。ベンセ湿原は東西700、南北300メートルの湿原でニッコウキスゲ、野花ショウブ、ミズチドリ等が群生する。ここは海岸線は七里長浜と言われ自然の砂浜が美しい。また、出来島では埋没林が見られる。
この沼の周辺には縄文人が暮らしていました。晩期の遺物が多く発見されている。とくに赤などに彩色された唐草模様の土器や遮光土器が有名で亀ヶ岡遺跡として知られている。

<岩礁に夕陽の映える西海岸・北前船>

日本海は昔航路であり、鰺ヶ沢、深浦等の港は交通の要所であった。日本海の風は冷たく強いため、地名にも風合瀬とか行合崎、艫作等という航海に関連する地名がある。また海岸線は岩礁の続く荒々しい風景が見られる。それにまたニッコウキスゲ、ハマナス、アサヅキ等が咲いている。
火山の溶岩が流れ、固まってできた大戸瀬の千畳敷等の段丘があり、更に地震によって隆起したりする変化が見られる。この海岸で美しいのは夕陽、青森県は朝日も夕陽も見れる珍しい県であり、夕陽はまた格別である。夏の大きな太陽が沈む様もいいが秋の様々な雲に赤に、黄金に、紫に陽が映え変化する様子は現世を越えるものを感じる。野鳥の宝庫十二湖の33もの湖、ブナの原生林白神山地も大地形成の跡である。また、不老不死温泉、みちのく温泉の露天風呂で夕陽を楽しむ人も多い。
湊には北前船で栄えた名残の船問屋屋号、越前屋、若狭屋、大坂屋等がみられます。深浦には太宰の縁の旅館を改造した「ふかうら文学館」や北前船や古伊万里を
展示している「北前の館」また、鰺ヶ沢には津軽の元祖大浦の居城があった種里、ミニ白神もあります。

海岸線を走る五能線には展望列車「リゾート白神」が運行されており、津軽三味線も聞けるようです。

岩木山を囲む町

<岩木山・弘前・花見とハイカラの街>

津軽平野に聳える単独峰岩木山は三度の火山活動で出来た1625メートルの山で、お山と畏敬の念で呼ばれている。峰は三つに分かれていて優美な姿を見せてくれる。秋にはお山参詣と言って長い御幣をかざし、笛太鼓の登山囃子で賑やかに練り歩く。昔は女人禁制で、男は成人になる前に登って一人前になると言われた。今は岩木スカイラインとリフトで簡単に登れる、初夏にはミチノクコザクラやミヤマキンバイが咲く、百沢や嶽温泉は年中親しまれ、マタギ飯が美味しい。麓の岩木山神社は江戸時代に建立された。
麓の城下町弘前は津軽藩が町割した大学のある学生の町で、石坂洋次郎、太宰 治、寺山修司、長部日出雄等多くの文人が出たり、住んだりしているハイカラの街でもある。とくに城郭のある公園で行われる2600本の桜が織りなす花見は最高である。また公園の近くには明治、大正の銀行や教会等の建物が沢山あり文学館等にもなっているし、藤田庭園で珈琲を飲みゆっくりするのもよい。市内郊外にはりんご公園があり岩木山とリンゴが愉しめ、美空ひばりの「りんご追分け」が聴けます。更に、夜には津軽三味線の聞ける飲み屋も多くある。

<白神・いやしの森>

ブナの原生林白神が世界遺産に登録されたのは1993年でもう13年も経ちました。しかし13万へクタールの森の価値は温暖化防止、癒しの森として増しています。
白亜紀の花崗岩の上に堆積物、火山や隆起の造山の運動で形成された1000〜1200メートル程の白神の山々の魅力は尽きることはありません。熊、猿等の野生動物、ブナ、ミズナラ、サワクルミ等樹木アオモリマンテン等の特有の植物等昔は生活をも支えてきました。森に源流のある赤石川、追良瀬川等も魚の宝庫です。
岩木山の麓の西目屋にはビジターセンターがあり、白神の紹介がされています。さらにその奥に暗門の滝があり、滝までの渓流の道等は白神のメッカとして観光客が訪れています。また、十二湖で名高い岩崎からも登山道がありこちらも人気です。



<大鰐、碇ヶ関>

青森県の西の玄関口矢立峠を過ぎて県に入れば碇ヶ関の関所の道の駅があり、温泉にも入れる。碇ヶ関も温泉地であり、大鰐も温泉地でスキー場が有名ある。

<黒石周辺>

津軽藩の家臣が治めた城下町で、「こみせ通り」という雁木、雪よけのアーケードがある。付近は作り酒屋、呉服屋、食堂等の老舗が並び、上原げんとの記念館もある。夏には「よされ踊り」が行われる風情のある街である。近くには津軽民謡「じょんから節」の発祥地や温湯や板留温泉がある。有名なのは「ランプの宿・青荷温泉」である。春には雷山でかたくりの群生を見ることが出来る。
近郷にはまた盛美園、清藤園等の有名な平川市がある。