田を植えると朴の花が咲く、葉っぱも大きいが花も大きく、けっこう匂いがきつい、その実と来たら、鬼の生首みたいにごつい、どんとみのって落ちている。お盆には朴の葉に野菜を刻んで載せて、お墓に供える、卵搭はわしが三十六世だから、三十五基と、忘僧といって、修行中になくなったお墓が二十ほどある、そのうちの二つはわしの弟子だった。

いにしへは飯を盛るとふ朴柏おほにし咲けば人恋ほしかも
朴柏おほにし咲けばいにしへもつばくろ問へり四天王門


山門には仁王さんが四つ、どういうこったって聞かれるけど、仁王さんと同じ大きさの、というのは日本一大きいんだそうで、鎌倉彫刻の四天王がある。東方持国天、西方広目天、南方増長天、北方多聞天。仁王さんと違って極彩色で、あんまり剥げちょろけたので塗り替えしたら、どえらいお金がかかって、これは女手というか、以前の方がよっぽど迫力があった。

山門から入って来るむかしからの道にねじ花が咲く、美しい花だ、身をねじ花のという。詩経国風にもある、丘の辺にねじ花が咲いているのだけれど、石ごろの道で行かれないというのだ、川原とかそんな所に生える。弟子が草といっしょに刈ってしまう。

夏草は茂く生ふれどねじ花の汝をし愛ほし過がてにせり
ねじ花の汝を愛ほしと過ぎがての門の草を刈らしきはたれ


・門かなと、金具でできた門ということらしい、もん、かど、三つのがないので使った。

・過ぎがて、過ぎて行きにくい。去りがたい

坊主が野鯉を釣っていたら、かっこうかっこうと鳴きわたる、刈谷田川が信濃河へ入るところ、時過ぎにけりで、鯉はばったり釣れない。田植えが終わったあたりを云うのだろうか、もの蒔いたってもう駄目だよって。万葉にあるそくり同じ歌を、守門なる〜と変えただけ。中之島村の守門と粟ケ岳の雪と睨めっこ、すっかり消えるともう夏だ。

守門なる刈谷川辺に郭公の鳴きわたらへば時過ぎにけり
守門なる雪のはだれも消えぬらん与板の橋をわたらへや君


加治川の上流へ行ったら、橋のたもとに猿がいた、剣呑で車を下りるのをためらう。

谷は深い、奥へ行くと温泉があって、物好きが月を仰ぎながら入浴も、がけ崩れで途絶。

恋痛み加治川橋と行き通ひ哀れや猿の物乞ひしつれ
恋痛み加治川橋と行き通ひ哀れや月の影を追ふなる


あしびきの山川なべに住まふ鳥鳴きわたらひて広神へ行く

三島郡鳥越町には変な坊主がいたな、坊主のこれが相場なんだが、法式に詳しくそれなり用いられて、双六の上がりが御開山禅師ゆかり宝筺寺の師家になる、雲衲引き連れて行ない清ますには、
「悟ったりすると人は阿呆になる。」
とかいって、なんというんだろう、仏教とは無縁の、聞いたふうな物まね、淋しく死んだと聞く。
淋しいって、葬式稼業の坊主。
たまたま行ってみた、いい所だった。にっと笑う元気のいい女の子がいたり、山は深く、物部神社というお宮があった。

老ひ行くは淋しきものを鳥越の椎の葉末に言問ひよさめ
夏来れば椎いをわたる風さへに袖吹き返し咲まへる子らは
山を越ゆ鳥にしあらね乙女らが衣手返し磯の辺に行く
物部の香椎の宮の乙女らが早苗取る手に言問ひ忘れ


西会津に実川という、険しい谷川がある。杉の林に五十嵐の家という、朱字で看板がぶら下がって、平家の落ち人であろうか、今もなほひっそりと暮らす集落がある。見学するには気が引けた。

実川の奥あへ深み五十嵐のいにしへの家を問ひ難しかも
代々をしも住みなしけんや実川の五十嵐の家を言問ひ難し


奥川はもう一つ向こうの水系。

飯豊なる流れを速み吹き散らふ花の門を言問ひがたし
飯豊なるいついつ雪は消ゆれども代々に伝へむ花と月影


十日町魚沼の辺り、六月にはまだ雪。空家もあったし、芦原なった田圃もある。中高年が山菜取りに入る、車ならどこへでも行ける。やまあらしという、なんでもむしって取ってしまうし、空缶はポイ捨て、どうにもこうにもで、ごみ捨て専門、車ごと捨てて行くのもいて、入山禁止の立て札が目立つ。

かもしかの足掻く田代が雪のへもなほ萌え出ずる幾つ村字
こしみちはぜんまひ取りの夏ならん雪に問へるは汝が木漏れ日も
尋ね入る嶺いの道と思しきや曲がりしだへて花にしぞ咲く
村の井のこごみ摘みつつわたらへば残んの雪のおほにしもあれ
帰り来て十二た年の夏なれやたれに会はなむ雪をけ荒


栄町も守門や粟ケ岳の雪代が見える、今井野新田から信濃河は中之口河との二流れになる。

田を植えてなんに恋らむつばくろや守門がなへのはだれ消えつつ
田を植えてなんに恋らむつばくろや二別れ行く信濃河波


加茂川の芦辺に宿る鳥さへにつがひに舞ふか夏の雲いを

与板の辺り島が幾つかあって、畑や田んぼを作る、舟に乗って耕しに行く、舟が用なしになると夏。
町軽井には舟をもやって艶話もあった。地名の起こりは知らない。信濃川の辺り。

越し人のもやへる舟を芦辺にか信濃大河夏いやまさる
芦辺なし月さし出でて町軽井もやへる舟はたを待つらむか
越し人のもやへる舟を芦辺にか野鯉は釣れじ夏なほまさる
束の間もよしやあしやの信濃河暮れ入るさへや行々子かも

くちなしの妹はも風邪に引き籠もり暮れあへ行けば雨のかそけさ
信濃河流らひわたる水鳥の舞ひ舞ひ戻り芦辺を茂み
波のものいずこわたらへ鵜の鳥やその日輪に問ふても聞かな
いざ子ども茂みへい行け田之倉のえ深き水尾に舟を浮かべて
太夫浜暮れ行くまでに波の面に遊び惚けて月さし出でぬ


越後から会津へ抜ける八十里越えと、六十里越えという道がある、山中を通い今も残る、戊申の役に破れた河合継之介は八十里越えの途中に、鉄砲傷が悪化して死んだ。

ずくなしという卯の花の遠い親戚が、うすももいろの花を咲かせる、田植え冷えの頃、鶯も時鳥も百舌鳥もいっしょに鳴く。

時鳥月に逐はれて卯の花のおぼろ会津へ八十里越え
破間の月を迎えんずくなしの花の会津へ六十里越え


ようやく雪の消える魚沼の夏。

雪代のたぎつる瀬々と思しきや茂み都を魚の寄り合ふ
行く行くは信濃の河にさしいれて橋を越ゆれば芹沢の郷
吾妹子が松之山なむ問ひ越せねこは龍人の池とぞ云はむ
釣り人の鮎を追ふては暮れなずみこは龍人の池とぞ云はめ
川を越えいずこへ行かむ十日町夏咲く花と忘らへにけり


五月の半ばに春蝉が鳴く、みーんみーんとぼやけたみんみん蝉のように、十日余り鳴き、しゃくやくが咲き、葛が生い伸びる、二十年も住んで、青い美しいその姿を初に見る、今まで咲かなかった変わり種の梅が咲く、なにかいいことがあるって、なんにもなかった。

真葛生ふる山のまにして春蝉の長鳴きつつに年はへにけり
春蝉の長鳴きつつに山を越え風の頼りもうらみ葛の葉


梅雨になる空を烏どもが群れあう、繁殖期かな。

いやひこの田は植えずけむ谷内烏なんに舞ひ行く沖つへ曇る
いやひこの田は植え終えむ谷内烏なんに群れあへ風さへに吹く


ひぐらしが鳴くと本格夏だ、早朝鳴くと辛い淋しい感じ、夕暮れに鳴き、雨に降りあい鳴く、寺は蒲原平野の山のとっつき。

蒲原のこのうら田井を夏なれや朝な夕なにかなかなの鳴く
いやひこの蒲原の田井を住み憂くや朝な夕なにかなかなの鳴く
蒲原のはざうら田井を住み憂くや雨に降りあへかなかなの鳴く
住み憂くてなんの夏なへいやひこのこのうら田辺にかなかなの鳴く


これはかなかなの鳴く前、

田上行く青葉嵐か吹きしのひあはが守門にはだれ消ぬれば
安兵衛の菖蒲は未だ咲かずかも河辺をわたり郭公の鳴く
水無月の花に吹き入れ阿賀野川たが客人か舟に棹さす

西会津奥川渓谷、飯豊の登山口は弥平四郎村という。熱塩加納線という別道があり、四軒だけの村がある、崖崩れで通行止めになる、押し渡って行ったら、きのこの大群落、山鳥の一年子が二十羽も道を塞いだりする、自然はこんなにも豊かに。

この村は弥平四郎の名を惜しみ散りしく花に会ひにけるかな
熱塩の道を行かずばしだり尾の群れ山鳥に会えずもなりな
百重なしあげは群れあふしきしまのやまと小国ぞ熱塩加納
花は失せいついつ我は奥川の十二社とわたらひ行かな
あしびきの芹の花ぞも咲き揺れて道をいずこぞ郭公の鳴く


だれかいると思って振り返ったら二十も花を付けた山百合。

守門なる笹みさ百合のゆりあへの見ししや妹が忘らえぬかも
守門なる笹みさ百合のゆりあへの人の姿にあどもへにけり


高速道路ができて、会津まで三時間で行ける、本堂大屋根の葺替えがあって、北方の工場見学に、バス一台借りて行った時は六時間かかった。苦労して銅版葺きにしたのに、それ以来あんまり雪が降らぬ。

咲花を過ぎても道を遠みかも右は会津へ阿賀野川波
柳津ゆ阿賀の川へも入り行くに夏日暮れつつ宿借るに憂き
遠路来て蛙鳴くなる柳津の灯どちが雨に流らふ
雨降れば蛙鳴くなる柳津の花は失せても人問ひわたる


上信越の県い、松之山から板倉まですばらしいドライブウエイがついて、牧場やスキー場があったりする。なを雪が残り、こぶしの花が咲く。

かもしかの足掻く田代を越え別けてこぶしの花も読み人知らず
板倉の妹を恋しや山を越え万ず代かけて雪は残んの
妹が家も継ぎてみましを大島の茂み田浦を清やにあり越せ
田を植えていくつ村字うぐいすのしのび鳴くなへ大島に行く


蒲原田圃に似合うものははざ木と雨と、根っこの生えた木に稲を掛けて干す、独特のはざ木はだがもうなくなった。

こしみちの人なる我や竿を振り信濃の河の鯉をしぞ釣る
青柳の雨の降るさへ越し人の信濃河辺に投網暮らしつ
蒲原の沖つ興野にはざ木立つ雨降るさへがなんぞわぶしき
柿の花が咲くのと、棗の芽吹くのはどっちが早いか。

夏の日は棗の花に咲き満ちて雨降り我はここに宿仮る
六十男の何を忙しみ茂みへが柿の花だもうつろへ行かな


むくげは日毎に咲いてはしぼむ。

むくげ咲く夏の夕をしのへ我が蒲原田井のま草刈りつつ
むくげ咲く寺井さ庭の草を刈りいつかな我は息も絶えなむ


祈祷大般若は各寺院持ち回りの年一回。お寺は七月の夏の真っ盛りに。

掃き清め大般若会を待ついとまつばくろ問えり四天王門

糸魚川市はかしゅーこしの国というひすいの産地。月不見の池は柳沢吉康ゆかりの地と聞いた、上越市春日山は上杉謙信の菩提寺であった、そっくり山形へ引っ越した。

勾玉のこしの長道ゆわたらへば寄せあふ波を能登の岬見ゆ
月不見の池を廻らへあらたへの藤を仰ぐか蛙鳴くなる
埋もれ木のもとないよらへ太夫浜すずきは釣れず月さし上る
五月雨の降り残してや春日山大杉なへと廻らへ行かな
五月雨の降り残してや春日山なんに鳴くなへ山時鳥


梅雨に入る。

今日らもか雨は降れるにほととぎす二声鳴きて蒲原に過ぐ
五月雨のしのふる軒を群雀朝な夕なにさへずり止まず
雀らが縄張りすらん軒の辺に人も住まえばこは騒がしき
守門なる西川なべを閑子鳥鳴きわたらへば雨にそほ降る
人はいさ老ひ行くものを蒲原の青葉に酔ふて鳴くなる烏


蛍が降るように出る

吾が子らは如何にそあらむ酔ひ蛍雨にうたれて二つ舞ひやる
流れては幾つ舞ひやる蛍子のけだし浮き世の明け果つるまで
寝ねやれば蚊帳にも舞へる蛍子の酒は冷やして鱒の押し鮨
恋乱れいずこ舞ひ行く蛍子のウインカーにも寄りあふ如く


鬼やんまの羽化

やんまらが羽化するあらん山門の蓮すの花はなほなほ咲かね
あしびきのなんの花ぞも咲くやらん降り降る雨をあげは舞ひ行く
問ひ行けばうねり寄せたる柏崎きす釣る人の姿さへ見ず


弟子が高清水を送ってくれる。ほっておくとお寺はねむの木とすすきになる。

我が子らが出羽よりよこす酒一升蝉の鳴くなる合歓の花辺に
蒲原も降りうつろへば夏木立夕映えしのに鳴くなる蝉は
山王の廻らひ行ける幾つ字葵咲くらん雨降りながら
山王の廻らひ行ける軒の辺も葵咲くらん空梅雨にして
我をまた降り降る雨に行き通ひ野辺はしましく花盛りする


末寺のある月岡で女の子が行方不明になった。

年はふり茂みへ寝れば冷えさひもへぐりの山に夜鷹は鳴かじ
月岡の乙女はいずこ空梅雨の降りみ降らずみ夜鷹は鳴かじ


弟子の一人が岩船のお寺へ入った、山紫水明稲穂は稔りと、いいところだが、どうなるか、人のいいっきりの男が。

女夫して月に棹させ岩舟の寄せあふ波の行方知らずも
いにしへの月を知らじやよしえやし漕ぎ別け行かむ縄文人も
岩舟の重き舵棹取りて行けよしや芦辺も月の光ぞ
岩舟のくしき舵棹取り行けば月の光も流れ笹川


小国には長谷川邸という長者屋敷が残る、渋海川を遡ると松代の町があり、さらに行くと松之山温泉がある、雪深いところだ。沢を越えてようやく水が澄む、長野県だ。

平家の落ち人秋山郷は両県にまたがる、十日町はふんどし町で、紅葉狩りに行くたって遠くて遠い、それを夏行ってみた。

こしみちの長者屋敷は掘を穿ち茂みまばゆう我他所に見つ
月読みのまかりの道も馴れにしや辿りも行かめおひらせの川
松代の街とぞ云はむなつかしき三十年代にありし如くに
十日町夏なほ夕の過ぎ行けば賑はふ郷は何処にあらん


松代松之山といって松なんぞないがといったら、あるという、たしかにあるにはあった。渋海川は信濃川に次いでの長流。

松代のしぶみの川の山百合の人に知られで住むよしもがな
松代のしぶみの川の山百合の人に忘らゆ名をこそ惜しも
田を植えて松之山なむ吾背子が腹へり食らふ笹団子をも
田を植えて松の山なむ吾妹子が茂み門とへ春を問ひ越せ

雪が残ってずくなしの花がいちめん

吾妹子が松之山なむ行く水の清きに入らむ遠き越路を
ここをかもおらが月夜を奥志賀の行けばやい行け萱の原まで


夏なほも霧らひ隠もしてしかすがに平家の郷は人知れずこそ
わさび田を右に別け越えしかすがに一つ屋敷と今宵望月


六十我が尋ね行きたや海の底山のはてなむ雪豹の道

早出川の支流仙見川は夢のように美しい川であった。

杉原の仙見の川に橋かけてなんに鳴き止む山ほととぎす
杉原の仙見の川に橋かけて山ほととぎす鳴き止まずけむ


土用には墓を建ててはいけないという風習があって、

しかすがに霧らひ明け行く米山のはざうら田井を見れど飽かぬかも
人みなの早に忘れてカンナの花やその敗戦の東久爾内閣
年のへはならぬ梅さへたらちねの母のつとめが土用干しせむ
山門を廻らふ月のくまなしや土用干しせん梅があたりも
日は照ると朴の葉末も土用なむなんにおのれが歯痛み暮らし
炎天下立ちん棒せん化粧してたしかに夕は見附の祭り
この花火ドーンと消ゆるゼニが欲しいとアルゼンチンの留学博士
守門なる八つの峰ふに雲い立ち蒲原田井を夏ならむとす


卵搭は三十五つ掃き清め茂み山辺を押し照る月も

秋山郷出身の人がお寺で立職したのは二十年前、ほったらかしにしてその訃報を聞く。


平家らが落ち人となん剃髪せりし汝がみまかりし夏
しましくは会えずもなりてみまかりしこれや回向の槿花一輪


どういうわけか烏が増える、下田村に三千坊跡というのがある、鏡が一枚出たとか失せたとか。

のさばるは夏の烏か三千坊悲鳴を上げたる五助のばあさ
群れあふは夏の烏か三千坊守門の山へ雲い流らへ
この夏はなんに苦しえいやひこの蒲原田井をかなかなの鳴く
この夏もなんに淋しえいやひこの蒲原田井をかなかなの鳴く

塚野目の会へずもなりて降る雨の早稲の田浦に夕うつろへぬ


沖にはずらっと烏賊釣りの明かり、凄まじいという風情。

笹川の流れに浮かぶほんだはらか寄りかく寄り年はふりにき
玉藻刈るしいやの磯の波のむた別かれい行きし妹をし思ほゆ
柏崎寄せあふ波に暮れはてて沖つ見えむ烏賊釣りの灯
凄まじきものとや思え北海の波に列ぬる烏賊釣り明かり
出船かもなんに鳴きあへかもめ鳥沖を列ぬる烏賊釣り明かり

夏の日は暮れじといえど野積橋入りはてすらむ川面恋ほしき
夏の日は暮れじといえど与板橋行く川波がなんぞ恋ほしき


与板出雲崎良寛さんゆかりの地、塩入峠に歌碑がある。塩入というのは塩の入った井戸。

与板なる橋を渡らひ何処へか塩の入るらむ出雲崎まで
三島なる幾つ水門を越えてもや和島が郷は芦原がなへ
塩入りのいにしへ人に我あらんつばくろ追ふて蒲原の郷
塩入の牛追ひ人に我あらん与板の橋に夏日暮れなば


あじさいは夏の終わりもまだ鮮やか。

宋代のたれぞ写せし六祖像どくろ面なるそがなつかしき

39度なんていう暑さはむかしはなかったのに、強烈な日照り続きに、広い葉っぱの木から枯れ始める、

この夜さは寝やらずあるに萩を越え一つ舞ひ行く残んの蛍
くだしくに雨は降るかやこの夕万ず虫ども寄りあふ如く
さらでだに暑き夏なへあしかびの待たなむものは雨の涼しさ
モーツアルト夏の宴としるすには夜半の嵐か花の揺れあふ


大面村をおおもと読んだ客はない、だいめんおおつらなど云う、七百年前の地図には弥彦の山があって、あとこのあたりまで海だった、大面は水の関わりという、人面といって一本足りない地名もある、ひとずらと読む。米山さんは村にも米山薬師があって、弥彦と並んでこのあたり一帯の守り本尊。

大面村廻らひ行ける久しきに山尾の萩の風揺れわたる
五十嵐のわたらひ行ける久しきに穂向き寄りあへ雨降りながら


ひすいの郷を尋ねて行く、

名にしおふひすいの郷と問ひ越せどそほ降る雨を青海川波
橋立の金山掘りの跡問へば久しき夏をま葛生ふなる
米山の雲い立つらく夏なほもしの降る雨に追はれてぞ来し
米山に雲い立つなへ久しくに早稲の田浦をはざ木なふして

蒲原の茂みさ庭が百日紅四十路の夏も過ぎにけらしや
四十男の空ろ思ひを百日紅蝉の声のみあり通ひつつ
天の原群れあふ白鷺にあかねさし蒲原田辺に月さし上る
破間の八十氏川の大淀も浮かび寄せたるやませみの羽根
下関の十軒田井の外れにも木立どよもし鳴くなる蝉は



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