中米ニグロイド大首 


 BC一万年〜五万年ほどなんだろうか、大森林にネグロイドの大首が坐っている、そうかと思うと力士像といわれる、筋肉隆々たる、頭長頭に工夫してる他は、後世の形式主義というか−シンボライズからまったく自由な風である。どうもよくわかってないらしい。でもあんまりわかる必要もないのかも知れぬ。この連中は大自然の中に、極めて生き生きと暮らしていた。狩猟の名人ジャガ−を神に奉っていたにしろ、その神さまより、どでっかい人頭を村の入り口にでんと据える。よくできの、恐れ入るってかいいようのない、すんばらしい面構え。
 四つの太陽=生け贄文明といったいどこでつながるのかって、昨日と今日つながらなくったって一向に差し支えない。
 古来詩人哲人というものは、古代を理想社会に崇め奉る、人間むかしはよかったの右代表、でも中米には恐竜と相撲を取っているテラコッタまで出る、いずれどっか突拍子もないユ−モアがあって、わたしら現代人が住み着くには、なんてったって迫力筋力不足だ。
飲んで食って生きて歌って、多少の集会あり神あり、悲しいことは号泣、死ぬには叫び、次の瞬間大笑い、怒り山を抜きという、まさに筋肉のうなりが聞こえて来そうな。
 家父長制度も村落国家も神さまもいけにえも未だまだっていう、いらんものはいらんていう、これを神代の時代と呼んだかも知れぬ。

 これ理想社会なら後世はつけたし、たとい文化文明の発展も彼らが幸福には遠く及ばない、ないに越したことはない、汚れきっている−汚れるばかりと、地球になりかわっていいたくなる。
 猿から人間になって一番困った問題は自由ということだった、けものにはない個人です、ひまといってもいい、道具を使うといってもいい、直立して広がった視野といってもいい、でも大ボス小ボスのお猿社会とは別種の何か、ふと気がつくと、毛繕いとかき−っと牙剥き出すとか、ハンコ捺す行動の他に、なにをしてもいい時間。
 自分に任された時間−どうしたらいいかです。
 そりゃいろんなことやったんだろうな、食う寝る取り合い喧嘩の他にです。でもそれうまくいったっていかなくたって、今度は次の困った問題です、群れとしてぴったり行ってたのが、どっかそぐわない、てんでんばらばらになる。

 再度ふっと気がつくと、人間一人じゃなんにもできないってこってす。
 へんな話だ、せっかく自由を獲得したのに、その自由がかえって縛る、不自由の元凶となる。
 こりゃいったいどういうことだ。
 この問題今に至るまでずうっと続いてます、たとえば厳密定型の芭蕉がいちばんの自由人であった、説明文学なんでもありありの現代人が不自由極りない、自分の意見さへ持てないとかです。
 さあなんとかせにゃならんです。

 ト−テミズムの工夫があります、われらはジャガ−の生まれ変わりだ、みんなでそう思ったとたん、一つにまとまるんです。われらが神ジャガ−にかけて、といって行ない言語する、自由というものを再認識する、あるいは享楽することはじめです。
 でもこれ取れ立ての生首のようにぴくぴくしてるほどが花です。固定観念カリカチュア−化したらおしまい、滑稽で残酷なことです。あっはっは目下の永平寺修行なんてのも、何いったらいいって気になっちまう。これも古来繰り返しのワンパタ−ンです。
 なにしろこっちが生きてりゃ神さまだって生きている、たいへんだ。

 クロマニオン人は歴史上稀に見る、この問題の−優秀なる解決者だった。
 自由であって一番先困るのは狩猟だったんでしょう、マンモスでも野牛でも一人じゃ狩れない、一糸乱れぬ集団行動です。言葉以前のものがどうしても必要だ、きっとアルタミラ−ラスコ−洞窟の祭りは、はじめは狩猟からだった。そうしてそれが、本来祭りとして脈脈生き続けたに違いない。
 描かれた野牛の、水のように優美なダイナミズム、生死を境に対いあう強烈な臨場感、敵味方の垣根が失せて、いっさいの動きが停止したような、たとえ涙の一滴のような瞬間−全世界です。
 そうです、忘我です、我のうして描くんです、トランス状態なぞ文明史家はいうけれど、そりゃ側っから見た言い種です、我をのうして−全体なんです。
 彼らはこのメカニックだけで個人−全体−全宇宙の問題を解決したんです。解決すなわち実際です。けだし賢明でした。それを尾ひれをつけて殷の神さま−饕餮みたいになったら、こりゃもうどうしようもないです。


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