ピカソ  


 ピカソのゲルニカはあれ下書きが画集になって出ていて、それ見たことがあります。すると日本画伯のような下書きじゃない、だんだん集積してついに完成じゃない、ただもうどんどん描き変えるんです、一枚めも二枚めも乃至は完成間近の絵もまるっきり違う、各独立しているような感じを受ける。それでいて同じ人間のやってることだから、首尾一貫してるといえばいえるんです。でもなにかしら奇妙なことがある。ピカソ天才の秘密という映画があって、どんどん描くはしから撮影して行く、さすがはピカソと思ったんですが、中に20時間もぶっとうしに描き直すのがある、これ最初のより最後のほうがいいとは決して云えないんです。どうかというと、決着しない落着しない、なんとか答えの出るまで−じゃ答えってなんだ、ピカソの古典性か、人間喜劇の集大成のどっかパズルの一環か、いやパズルから一歩食み出すべく、付け加える一頁−じゃ結局他の画伯と同じじゃないか、いや違う、わたしは自問自答したです。これはどっかおかしいのだ。

 イメ−ジが先にあるんじゃない、絵筆が描いているうちにイメ−ジがそこにあった、じゃ筆を置こうというんです。
 後にみなこの手法を真似て、しばらく絵描きの常識となったんですが、ピカソがこうしなんです、それまでどんな絵描きもしなかったです、とんでもない手法なんです。「すべてはすでに用意されている。」ピカソはいうんです、「手足だ、手足を鍛えろ。」と。でもここには一定の危惧がある、一定の危惧なんてものじゃない、そらおそろしい何か。

 青の時代なんです、すべすべした青の壁面、卵の殻の内側です、青年ピカソとその愛人がかつかつ暮らせる空間です、よ−ろっぱルネッサンスの成れの果てといったらいいか、モ−ツアルトの成れの果てといったらいいか、真善美愛と平和です、でもせっかくto the happy fewのfewなる相手もいない、未来も次の世もないんです、なんの手も絆もなく、痩せ細って優美な微笑みをたたえて二人よりそうんです。
 それは罪と罰のラスコ−ルニコフに似ている、西欧のかつての青年の心情を−存在そのをといいたいほどの、雄弁に物語る。

 だがどうしたってそこから出なけりゃならん、空気がなくなる、卵の殻を割るんです、勇気がいる、蛮勇をふるって殻を破る、破ってみたらそこにも空気がない、現代砂漠のまっただ中といったらいいか、生きて行くものは絵筆だけというには、どうにもこうにみひっからびている、実存主義です、いやサンボリズムとかカフカとかいろんな工夫があったです。ピカソはピカソの実存だった。すざまじい絵が残ってます、半分余白を残したアルルカン、筆舌の及ぶところじゃないです、歴史ってこういうものいうんだとしかいいようがない。

 でもって、ゲルニカに戻ると、あの人はじめ部屋ん中の横たわった裸の女描いてたんです。なぜってピカソには戦争も平和もありゃしない。せっかく死に物狂いの成人式やったっていうのに、絵筆をとることと男女の愛欲の他なんにも残らなかったといっていい。それからすべてをふえんするんです、芸術家としてはそれでいいっちゃいいんですが。ピカソのいろんな絵がある、デフォルメしたのやアフリカの手法やら、そりゃ知識観念好きにゃさまざまあるんだけど、ただ見りゃいいです、標準としてはデッサン集「人間喜劇」がいい、結局ギリシャ以来のヨ−ロッパ古典なんです。アフリカなんかどうでもいい、共産主義くそくらえです。デフォルメした女の顔は古典の鏡を通すとこうなるっていうんです、それが実に達者なものだ。

 どっかテレビで子どもの作品とピカソと比べていたけど、噴飯ものです、子どもらしいとこなんかな−んもないです、一個の洗練そのものです。
 だがあれが絵といえるか、いえる、だがわたしは熊谷守一のほうが好きだ、俵屋宗達のほうが何千倍もいい−実際はそんなことないったって、そう思う何故か。
 ほんとうの独創があったのか、すでにすべてが用意されているという、ではそこに押し込めになったっきり、進歩発展がない、もしやそうではないのか。
 掘り起こすその手法は、たいていの人なら発狂を免れないであろう。

 それにしてもです。下書きから下書きへ、断崖絶壁のようなギャップです、では画面の線と空間も、色と表情もそりゃ世間風景じゃない、いわば青の卵から出てまた入っちまった頭蓋の中、ピカソ空間じゃないのか。
 すんでにわたしはそう思ったです。
 でも美しい、美しいものは自閉症じゃない、自己満足じゃないです。

 彼の唯一開かれているもの、男と女の世界、それを絵筆に用いること、そうです、ゲルニカは別れて気違い病院に入った妻への、マインカンプフ、どうもそうであるらしい、それがあるとき戦争と平和というイ−ジとしてそこにあったんです。もとから準備されていたといっちゃあ、強烈戦争場面描いて、
「ゲルニカ」
といって展示した。ことの真相はこうだと思います。
わたしがピカソと決別するきっかけになった絵です。


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