目利き 


 いや音楽好きなんだけど、世の中CDになってから、BSとかテレビで見るっきりになっちゃった。するとせっかく音楽もむさい髭面とか腰ひん曲がったのとか−失礼、明月や座に美しき顔もなし
 というのが、一芸に秀でた人間の世界な。いやもうベ−ト−ベンに淫した女ソロとか、せっかくバッハ睨めすえるよ−な女男とか、うわ−止めてくれ言い出す。音楽なんだから風景いらんつったって、たしかにあれ生演奏ってまるっきり違うとこある。お仕着せ拍手とか、もう体力の限界これ以上一音もダメってとこでアンコ−ルとかさ、不都合のことあるけど。わしら土田舎最前列座って目三角にしたら、なんか申し訳ないってチェロ弾きそっぽ向いたりとか。ライブそりゃぜ−んぜん違うわな。
 純粋な音楽ってのはLP華やかなりしころの幻想って、芋ねえ−ちゃんみたいのバイオリン弾いていた。えって云ってみる、音楽という何かを掘り起こす−即物ってからしいとこないその顔つきに魅せられた。客が来てテレビ消してそれっきり、現代音楽であったがねえちゃんの名もわからず仕舞い。
 純粋音楽人間にとっちゃ、作曲家第一で演奏家どこがいったい芸術家だとか、奇跡のような名演奏って、生涯に三つほどしか聞けんとか、その他だれがど−だの、音楽になってないだの、勝手放題のへ理屈並べる。
 でもわたしは音楽のおの字も知らない。歌えば音痴だし、音楽の目利きも批評もない。あるのはよかった、半分はいい、聞かないほうよかったとかそれっきり。でも一音鳴ると涙あふれとか、もうどうしようもなく−三つのがきになってわあきゃあっていうやつ。
 音楽なければ雪降ったり花咲くとか、毎日の景色でやっている。

 日本最大の目利きは本阿弥光悦だという、二十歳のころ俵屋宗達の絵を、風神雷神他ブリジストン美術館であったか本もの見て、
「こいつが日本最大の絵描き」
と決め込んで、なんだこの光悦というのは、つまらん字書いて宗達の回りうろちょろと思っていた、てめえは何様のつもりなんだって。
 本阿弥家は代々刀剣の鑑定をして、明治に至るまで唯一−つまり折り紙付ってのが本阿弥家の鑑定書であったわけだ。
 刀を鑑定する、そりゃさまざまノウハウ作法あったろうが、そうさなあ云って見れば、
「涙の雫のように刀を見る」
ということ、乱暴な云い方すりゃ刀って鉄器文明の=人間の心そのもの。
 本阿弥家の中にあって、おそらく光悦だけがこれが出来た、だからあらゆる方面において目利きだった、でなきゃ刀剣だけの鑑定家。作法にのっとってこれが粟田口だから粟田口ってやつ。そうではない、どんな刀をぬうっと差し出されても、いいわるいっていう−こりゃ素人の目だ。宗達を育て歌を描き、さまざま意匠を凝らす、大ど素人の目。こんなやつはどこにもいない。

 一休さんな、徒然草の作家、次には芭蕉かな。あれはど素人の俳句って云ったらまた怒られるけどさ、ど素人いいわるいの感性しかない。手だれになりゃなるほどに、ど素人な、西行しかり、どうあっても慣れつかぬ自分。近年では小林秀雄が目利きだった。どうしようもなく技術を洗練させるんだけど、一休さんも人ひっかけるには他の追随を許さなかった、でも本来まるっ裸。
涙の雫のような一個人。
 涙の雫っていうと、我田引水わたしの見た涙の雫は、そりゃもう日々是好日だけど、エジプトのレリ−フとか縄文の女のデフォルメとかかつてエスキモ−の木彫とか、芸術だのな−んも云わん職人とも云わん人らの作物な、ほろっと涙の、作物もこっちもなんです。
 古代のものはたいていそんなふう、ア−ケイックスマイルとニ−ルバ−ナと、そうさなあ人間はもうそれで止めときゃよかった、な−んちゃってさ。
 アルタミラ洞窟壁画の野牛の絵はありゃど迫力。

 禅僧がOを描く、今様禅僧もよく描く、どいつも物まね豚っての一目瞭然、ところが盤桂禅師のOは、ぐるっと筆回すの面倒って左右から引いて、そいつが涙の雫。
 盤桂さんは、人に悟を問われて、なんていう無惨なことを云う、一木一草どこに悟る悟らんてことがあるんですと云った。
 わたしはこういう人がなつかしいんです。
必然的に目利きなんです−たいへんなことじゃなくって、赤ん坊のようにたいへんですか、人のいじきたなさ無惨やるせなさ丸見えで、しかもまるっきりたった一人生きて行かにゃならん、だってもただの人元っここうあるだけなのに。
 もうずっと前になるけど、ブラジルのど田舎取材やってて、歌手になりたいっていう少女のへたっくそな歌聞いた、とつぜん涙が溢れてこっ恥ずかしいトイレに立った。今様音楽家音楽マシ−ンてとこある、どだいモ−ツアルトもワ−グナ−もいっしょに弾くってのが、未だによくわからない。ジュリエッタ・シュミオナ−トのケルビ−ノうわっ人間の声ってな。ジョン・サザ−ランドの埴生の宿ラストロ−ズオブサマ−絶品な。パパゲ−ノはエ−リッヒ・クンツ。ブタペストのハイドンセットや大昔ウイ−ンコンツェルトハウスの20〜23はどこ行っちまったのかな、二度と聞けない。わたしの大事の刀は錆ついて地下にありって、そりゃ人間とその作物だけさ。いくら公害たって自然はいっぱい。ダムぶっこわして川蘇らせよう、ライトアップなんて無様のこと−あれが美しいなんて信じられんだぜえ−せんたっていい。ど田舎の夜真っ暗けがいいようって、ナイタ−施設蛾がかわいそうだようって、おっとそ−ゆ−こと云うと死刑んなるぞ。


戻る