ゴッホ自画像 


 耳を切ったあとの自画像。耳を切った、さぞや痛かったろうがと思うと、痛いのは自画像を描いている今だ、巨大な拳で殴られ、ひしゃげたようなその顔に痛みが見える。
 見たくない絵だった、ましてや部屋に飾っておくなどもっての他。
 見たくないったって、向こうが見つめるのだ、こ−っと青い、光の目ん玉になってらんらんと見つめる、こっちは金縛りになって動けない、汗をだらだらつっ立ちつくす。
 そうしてつまらないことをぼやく、なんでこんなに荒っぽい線なんだ、へたくそな絵描きだ、絵描きの安穏落ちついた生活っての知らないからだ、そりゃへたくそで一枚も売れないからだ、弟の生活まで台なしにしおって、気違いめえが、そうだ気違いだ、発狂して気がついたら喉を腫らして寝ている、耳切ったんだって覚えていない−
 ぼやいていないとこっちが発狂。

 ゴッホは巧みに絵を描いた、つい最近発見されたデッサンなぞ、他の優秀な画学生と比べてぜんぜん引けを取らない、だのに−
 日本の絵にいかれちまったからか、そりゃ一神教ヨ−ロッパ人には、広重は描けない、北斎だっててんで無理だ、せいぜいがア−ルヌ−ボ−のへんな花の絵の花瓶ぐらい。自然と人間のあいだにアイとかヘイワとかカミサマとかないと、ぶるぶるふるえちゃって早漏しちまう−しちまうと思い込んでいるから。
 ゴッホが日本振りして失うものはあっても得るものなかった。
 しかしうすうすなにかしらあったのか、答えは発狂?

 いいや不可能事ということ。
 当然だ、神さまを捨てることなんぞ思いも及ばぬ、根っからの牧師さま。
 ゴッホは人を救おうと思って絵を描いた。

 近代絵画の巨匠どもは、いったいなんのかんのいったって、絵というキャンバスの中に逃げ込んで、ほんとうのただの人ではなく、デカタンスをいいながらまさにデカタンスの十字架を背負ったとはいい難く。
 ゴッホ一人馬鹿正直、ゴッホ一人絵描きであってしかも一流の文章家であった、自分というものをまるっきり隠すことなく、ごまかすことを知らぬ、偽りを知らぬ、これはたいへんあことだ、一時いっしょに暮らしたゴ−ギャンの舌足らずと好対照。
 ゴ−ギャンの実存は絵によって支えられる。

 ゴッホの実存なんてない、人はパンのみに生くるにあらずという一項があるっきり、古典的人間といえば彼ほどまっ丁人はない、世のため人のためのほか一個の存在理由はない、個とぜんたいのかけはし、人間に課せられた永遠の命題、原始人だ乱暴なやつだ、これをそっくり絵にぶち込んだ。
 そんなことができるかって、黒という陰影というだれしも当然の権利を−あいまい住居ってやつだ、そいつを放棄する、あるのは行為という善意という色の階調と光、たといアルルの光さんらんだって一人っきり楽しむという、そんな空間は彼にはない、あまりに明るすぎる、光が強烈。
 そうさ、ピラミッドを作るんだ、愛と平和のピラミッド、たとい昨日買った安物娼婦だって、どんな不幸な人間だってここに救われる、すべてを許す、優しさ=人間さ、そうさ神さまはそっぽなんか向いてないんだ、そっぽなんか−

 神さまはなぜか知らないが、そっぽ向きっきり、ゴッホのピラミッドはサハラ砂漠のまっただ中。
 水がない。
 水をしぼり出すのさ、その絵筆に。
 そりゃそうさ人間水の申し子、水という宇宙起原のまったくの不可知論、そうさだからこそ無限にあるんだ、わしのタッチを見ろ、実に合理的だろ、永遠に水を搾り出す装置さ。
 実はそいつが原子力で作動してたって気がついた時は、暴発−原子崩壊。
 色彩が砂粒の分子になって、そいつがぶっこわれて原子粒になって−そりゃ発狂するしかないさ、人間がいったいどこに住めるというんだ。

 病者の光学のニイチェも発狂したって、そりゃそうだ病者の光学の故にな−今じゃだ−れもそのメカニックがわからない。
 骨折れ損のくたびれもうけってやつな。
 ニイチェは最大の常識家であった、たといそういう称号を贈ろう。
 常識家の最大日本人は、小林秀雄であった、豪胆最後のさむらいのこの男をぶちのめしたのはゴッホであった。もし心の問題なら、有心の問題なら、そりゃゴッホにかなうやつはいない。
 どうしようもないのだ、脱帽かそっぽ向くか。
 そっぽ向けないやつが、何人かいたのだ。
 ゴッホがその心にそっぽ向けなかったように。
 そうさ、ここにも歴史が一つ。

 信長がどうでナポレオンなんてどっか異星の歴史、そうさそんなもんな−んの関係もないよ、歴史家なんていうの人間の屑さ、もっとも歴史を知らんでもってのうのう。歴史の一頁、ゴッホの耳を切った自画像。
ゴッホを救いうる方法があるか、
「ある。」
これがわたしの出した答えだった。


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