アイスキュロス・オレステイア 


 ギリシャ悲劇アイスキュロスの三部作オイデイ−プス,アガメムノ−ン、オレステイア劇は一度読んでみるといいです。ギリシャ神話はどうもあんまり荒唐無稽のように見えて、実に人間性というものを、人間の観念生活ですか、如実にすることは現代心理学、哲学文学など足もとにも及ばない、なにしろぐさっと来ると根こそぎ持って行かれるんです。これ別にギリシャ人の独創じゃないといわれる、何千年にわたっての人類総決算、人間このとらわれの歴史、みたいとこあります。因みにギリシャ人どもはオリンポスの十二神を信じきっていたそうです。アイスキュロスはご存じトロイア戦争の横恋慕よこしま張本人。オイディ−プスはその祖先筋にあたり、スフィンクスの謎を解いて母子相姦という。オレステイアは戦争の間浮気していて、夫アガメムノ−ンを殺した母親クリュタイムネ−ストラ−を殺す、これがおまえの吸いついた乳房だといって示す母を刺し殺し、復讐の女神エリ−ニュ−スに追われる。醜悪のエリ−ニュ−スに食い殺されたら、なんにもないものになって荒野をさまよう他なく。都市神アテ−ナイによって裁判が開かれ、陪審員の評決は五分と五分であった、アテ−ナイの一票によってついに無罪となる。

 仏教方面禅坊主には関係のないといえば、ほんとうにアンチ禅坊主−東洋そのものなんです、方面をいわぬのが仏教です、ことに今ヨ−ロッパ・アングロアメリカに直面し、日本人の心が根底からおかしくなっている、明治以来先人の苦労も水の泡です、瑣末事はいらんです、根本からってことかと思います。

 ゼウス支配という、平たくいえば法と秩序のポリス社会です。そのまえはどうだったかというと巨人族の支配だった。でたらめもいいも悪いも野放図にってわけで、収拾がつかない。そういうゼウスも巨人クロノスの子です。父を殺し巨人族を平らげて、オリンポス政権の確立です、人間に火を与えたプロメ−トイスはひどい罰を受ける、彼は巨人族の生き残りです、法と秩序より哀れみのほうが優先しちゃうんです。それじゃ納りきらんとゼウスはいう。
 オイディ−プスはその巨人族の血を引いていた。父親殺し母子相姦の予言に、生まれてまもなく荒野に捨てられる、あるいはくるぶしを針で刺して歩けなくする、オイディ−プスとはその意という。荒野で羊飼いに育てられて、結局は予言通りになる、父親である王を知らずに殺し、折しもポリス城壁にスフィンクスが出て謎をかけた。解けないとぱくっと食われてしまう。王妃はもしスフィンクスの謎を解いた者を王にすると宣言した。謎とは、
「朝四本足、
 昼日本足、
 夕三本足な−んだ。」
というんです、オイディ−プスは解いた。
「それは人間だ。」
スフィンクスは消え、彼は王となってその母親と結婚する。ことの真相がわかり、母妃は身を投げて死に、オイデ−プスは目を突き刺して荒野にさまよう。

 謎の内容なんかいいんです、
「それは人間だ。」
という、解いてはならぬ答えなんです、親殺し母子相姦という、平らったくいえば秩序の破壊者、真実いえば心のよって立つところがいかれちまう。ここのところが東洋人にはわからない。「それは人間だ」ということによって成立している、西欧契約社会なんです、心のありようの根本がこれです。いわばほんとうはいわぬという、暗黙の倫理なんです。
 でもオイディ−プスは次から次へとやって来る、そりゃどうしようもないです、人間いくら縛ったってどっか必ずプロメ−トイスなんです。「それは人間だ」の枠を超える、これを悲劇というんです。
 リヤ王もハムレットもそりゃそういうこってす、ドストエ−フスキ−の罪と罰もそうです。ゲ−テもモ−ツアルトもよくよく知っている、モ−ツアルトをほんとうに好きになってごらんなさい、人畜無害じゃないです、とんでもない目に会います。
(スフィンクスの謎を解くオイディ−プス)
というのがちゃ−んとポケットに入ってるんです。
 だからに日本人がモ−ツアルト演奏しても、ちっともよくない、さすがに小沢はこれを知ってモ−ツアルトをやらんです。
 どういうことだろうか。

 お釈迦さんは求道の旅にへんだん右肩して荒野というか、普くいたるところなんです。森の中に坐って、あるいは大河の辺に坐って、我と有情と悉皆成仏、大自然と一如なることをもって真相です。もとこれ以外にはありえぬことを自知するんです。他のものを仮らんのです、如来もとあるがまんまです、でなきゃわれらの存在の意味がない。
 ですが出家してポリスの城壁を出るとどうなりますか、ギリシャ起源じゃないのは、城壁の向こうははてしのない砂漠です。砂漠に坐ったってひっからびて死ぬばかり。砂漠というのは信じられぬほどに美しいそうです。古来修行者は砂漠に出てぎりぎりのところを生き延びて帰って来る。そうです帰ってこなきゃ死んじまう。
 信じられぬ美しさ、奇跡神のみいつという、自分を明け渡すことは根本的にできない、明け渡したらとたんにミイラ、我とは別に見るものです。

 そうなんです、そういうものをお土産に持ち帰って一神教です、でも以前はもっとおおらかだった。ゼウス社会です。
「あっちがわは生きられない、こっちがわの人間だけ」人間社会−壁−自然
の構図ができて、自然は制服して行くもの、人間はポリス世界の民主主義です、神々の示す人間という観念思想です、華やかなオリンピックの勝者、そうして作りものは絶え間もなしに移り変わる、進歩発展といって落ち着くところを知らんのです。
 裁判とは陪審員制度なんです、ほんとうじゃない、それは人間だの多数決。
 それは人間だという、その人間をほんとうに救いうる手段を欠く。
 一神教も「それは人間だ」というのですよ。

 日本が陪審員制度を導入するという、笑っちまうけど、ゼニもうけ弁護士や、マスコミ一辺倒になった裁判官みてると、笑ってばっかりいられない。
 東洋にも法と秩序ポリス社会ってのそりゃある、でも法律ってそれ心じゃないです。アルファベットは螺旋一つ日本語は二重螺旋、そんな俗っぽい語で一応けりにするか。


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