和
和ということをどう思いますか。平和といい戦争というアンチテ−ゼじゃない、だれしもの根本です、原理じゃなくってありようです。平和というイメ−ジングをする、それがすでに間違いと思いませんか。歴史上江戸時代元和エン武の300年は珍しいほうです、しかも無理強い四苦八苦の上の平和ですか、モヘンジョダロの1000年というのは人類の奇跡です、アルタミラ洞窟画のクロマニオン人はもっと平和であった、人類ってどうしようもなくどっか狂ってるんじゃないかって、アッハッハそんなふうに思うんですよ。
ではなにが平和を妨げているか、弱肉強食の風景論か適者生存の進化論か、いかに人間が説明しようたって不可解、違うんです、不可解をいうその人間ども絶滅したら、即ち平和ってことあります。弱肉強食だろうが適者生存だろうが、いっぱいいっぱいってこと、生態系に時として破綻があったろうが、じき修復する、だからという。でもどうもそんなふうにいってみてもはじまらない。
雀でもたぬきでも見ていると、食うための生活ってより、よく遊びけっこう傍若無人ですっとんきょうだ。
食うために生きてるって人間だけだ、野獣のようだってのは人間のこと。
このまあ進化のいびつから出た毛なし猿、ろくなことせん、どっかまだいびつの完成しとらんてね、春は花夏ほととぎす秋紅葉冬雪降りて涼しかりける、他にいったいなにをあくせく、人間以外み−んなちゃ−んとしてるのに、どうしてっていうんです。
わたしはこの問題に仏教お釈迦さんが答えたんだと思ってます。
自分が生み出した思想観念の奴隷になるな、それはろくなことがない、本末転倒事だっていうんです。いったんもとへっ戻そう、そうしたら人間として、ちゃ−んと完成して生まれていることに気がつく、如来来たるが如しというんです。
考え方を卒業するんです、それが坐禅です、羅漢果を得る方法です、五百羅漢平和の大集団です、眼横鼻直にして他に瞞ぜられず、まるっきりただの人。
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