茶碗の中へころり
茶碗の中へころり−これあるときできるんです、奇妙なもので言葉で云えば宇宙空間の中に自分が消えている現象なんですが、宇宙飛行士なんかめじゃないと云ったらSFぽくなるし、はあっと気がつくと有頂天の喜びの中にいたり、しごく平静な人もいます。
一つには「手に持った茶碗の中にころり」の他に、仏教も世間哲学もあれこれ色っけもみな失せきっていること−お釈迦さんの道なんです−がもっとも大切なんです。でないと擬似体験、バ−チュアルなものに終始して、それをまた振り回すということになります。本来仏の道とは別途です。
一つには無眼耳鼻舌意という、無心という、身心ともになしという、仏教の基本わざなんです、つまり人間もとこのように生まれついていたと、再確認です。だからもと無眼耳鼻舌意で、いつだってな−んにもない自分なんです、それをなぜか体あり心ありとしている、身心という架空の形骸なんです。うち破るのに手間ひまかからないはずが、わずかに自分あれば不可、あらっ茶碗の中に入っている〜気がついてもそれを見ている自分がある、繋げる馬です、さらに一歩。
そうしてこの事を得てごらんなさい、なぜだかさっぱりわからないのに、公案も仏説も掌さすんです。向こう半分も言わぬうちに答える、びったりです。目から鼻へ抜けるとか一を聞いて十を知るんじゃない、もと答えのどっぷり浸けです。
世間知の人、仏にはもっとありがたい何かあると聞く、あるいは哲学だの善だのと云う、まったく違うんです、ただ自分のてのひらになっちまえと云う、だまされたと思ってやってみて下さい。
一人でも二人でもわたしを証拠して下さい。仏説の正しいことを証明して下さい。
戻る