宗門坊主


 どうにもこうにもそのアホさ加減というか、どっちしたってお布施稼いで葬式稼業の、仏も仏教も使えるものあればなんだっていいという、その上お寺に生まれりゃ説教だ、お釈迦さん以来の血脈だってそりゃもう、地球上最悪最低のなめくじ人間な、シャバ人の遠く及ばぬ腐れ睾丸いい加減さ、でもって真面目にやろうだってさ、思っただけで胃が悪くなっちまうで、平然やってられないです。
 坊主だけはどうしようもない、情けなやこれが30年勤続坊主のわしの感慨です。一カ月に1、2度会えばあとは知らん顔で過ごせるからやって来た。さぼってばかりの、宗門の云うことなるたけやらんのが宗門の為とな。
 どうにかならんかって、どうにもならんな。
 こうしてシャバ人に痛切に指摘されることが良薬。
 宗門とうのむかしに命脈尽きて仏教のぶの字もないこと、僧堂といったって修行のノウハウもない、ただもう資格取ってかっこつけて、−
 ちったわかったと見えてこのごろ宗門はシャバ人雇って説教させてる、アッハッハつまりもう葬式稼業御坊の他ないって白状な。
 聞きに行けってえから怒鳴ったことあったっけ−大人げなあ。
 あれわしとしたことがぼやいてらあ。
 悟後の修行というでしょう、悟ったのとをどうするっていうんです。それは悟らぬ人が云うんです。悟った人は悟ったあとしかないんです。でもって道元禅師は悟れって云わなくなったんです、もう一度悟ろうっていう、そりゃどういうこった、なにを企んでるってこってす。
 わかりますか。
 仏祖師方はそりゃ悟る以前、従前の我に振り回されていたことを知っていて、それによって指導するんですけども、いつかそんなこと忘れちまうんですよ。かくの如くかくの如くある、どうしてそうならんのだ、迷悟中のことやってるんだ、たとい迷悟中だって、迷悟中がそのまんまとやるんです。
 でもってそれ正しいんですけど、だから悟らなくっていいっていったら、それっこそなんにもならない、
「このま−んま」
と云われて、道元禅師は是、あなたは不是ってとこから、ようやく参禅なんです。
 これしきのことわからん坊主ってそりゃ、脳味噌欠落してるか、わざとやってるうちに壊死しちまってふ−らりふ−ら、心理学の対象物ってわけです、てめえのかあちゃん殺人しても救えないってやつ−恥ずかしいったらな。
 そうなんですよ、
「悟る前はむちゃくちゃ何やってもかまわん」
でも、
「悟ったら修行があります」
ということなんです。
 修行の中身がちゃ−んとあるんです、一寸坐れば一寸の仏です、さぼったら面白くないです、僧堂清規の如くに毎日が行く、悟る前の人はやってやり切れんのでしょう、息抜きが欲しい、いいねえちゃんやる、仏はしからず、いいねえちゃんも息抜きも坐中っていう、まったく同じなんです。
 こ−んな面白いことないんです。


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