生死という事

 
(1)文明人一人生きるのにどれほどの自然破壊が必要か。地球宇宙にとってはた迷惑か、それを考えたら、いますぐ死んでしまうのが大正解というわけです。
 でも仏教には

(2)「死んで死んで死に切って思いにままにするわざぞよき」(至道無難)という、生きながら死ぬ方法があります。至道無難禅師は、白木屋のご先祖筋にあたるという江戸時代初期のひとです。別にこういう語があります。  

 ある人、地獄を問う、余、答えて曰く、身心に科あるを地獄と云うと。また極楽を問う、余、答えて曰く、身心に科なきを極楽と云うと。また、仏を問う、余、応えて曰く、身心無きを仏と云うと。其の人曰く、身心無ければ死人と同じ也。余、応えて曰く、然り死人と同じこれ我が宗旨也。


(3)生死を明らめることは、自分の心のありようを知るということです。身心という、もともって生まれた本来は、生きる死ぬとか云う事を、遥かに卒業して如来(来る如し)とあるものです。そのことを知る必要があります。

(4)他の解決方法は無いことを知る。殺し文句にしてやられ迷いから迷いへの旅は愚かなことです。単純な心のメカニックです。解決方法は2×2=4という程徹底しています。{心は心を知らぬ}


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