知る
一人でも三人でも、本当にこうあるものを知るんです。仏法といい大法というんでしょう、むかし変わらずあるんです。わたしがどうのっていうこっちゃないんです。知るチャンスがあるんです。
これは意見思想じゃないんです。
心のメカニックというのは、人の思想とか考え方の入る余地がないんです。それだから万法に効くんです。
仏教という下駄を履けば、仏教というアスファルト道路と、ことはそう行かないからへんてこです。自縄自縛する、縛り切れない分食み出す。
どこまで行ったって納り切れないんです。
そうではない、手つかずの方法。
解き放つ、悟るとは解脱、身心脱落です。
悟りおわって悟りなしとは、もとっからな−んも付け足すことのないのを知るんです。
眼横鼻直にして、他に瞞ぜられず。
掛け値なしの一個っていうことです。
大円鏡智、平等性智、妙観察智、常所作智という、もとの木阿弥です、生まれ本来の大自在をえ、ものみなと共にある本当の喜びを知るんです。
しばらく世間=自分〜意識下においても意識上においてもです、を離れる工夫です。
世間=自分をはなれる、死ぬと同じことなんです。
いったん死んで、大死一番大活現成。
自分という、物心ついてより着たきり雀の着物を脱ぐんです、うわ−ってなんていうすんばらしいったら、宇宙風呂。
脱いでみて初めてわかるんです。
くさ−いどっ穢い着物−歴史哲学社会通念理想とか現代批判とか−だって世間がそういう、一切合財自分という、わけのわからん着物です。
悪いと思うほどのものは捨てられる、いいと思うものほど捨てられない。
でもなんでも捨てなきゃ役に立たない。
死ぬとはそのこと。
自分というもの−その成立を知るんです、仏教思想とか言葉で知ったって、役に立たないんです、そういう知識を振り回すしかない、そうではない、知るとは、な−るほどそうかってしかない、だから悟りっていうんです、身心をあげてです、ぴったりってこと。
そうなんです。
いつだって同じことしかいわない、心のメカニズム、たった一つことです。
広範な知識も仏教思想もないです。
でもどんなことにだって通ずるんです。
ただの人間=心ということです。
わたしの仏教は会話−他と接するところにしかないんです。
人なければ雪といっしょに遊んでるしかない。
仏教著書なぞないんです。会話一転語、一語あるいは対になった一句で終わるんです。
どんなことでもいいんです。
この単純が世間一般すべてに通用することを知って下さい。
心理学のマニュアルじゃない、そんなものの要らないことを知るんです。
マニュアル化しない人間、それをこそです。
まっさらの目。
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