思考ということ
考えるというと、受験勉強しか知らない、せいぜいコマ−シャルソングってほどの、なんというのかなあガキ世代。
自分というアレルギ−症状のあ−だこ−だ能書きしかないのを思考という、ゴジラ出てそこらじゅうぶっこわしてくれってのが答えだったり、すっきりしないの多いよ。「倫理性のない思考というのが、どだい成り立たない」といったら、なんていうだろうか。
仏と道徳っていうのはこれ別ものにしたって、およそ人間の面付してないってふうの、これ仏教もへちまもない。どっかなんまんだぶつの仏典復興会だっけか、なんかそんな名前のがパンフレットを送って来た。前にも送って来て、なんというのだろその説きっぷりに辟易した。仏を説きながらなめくじっていったらなめくじに怒られる。観念倒れというより、もうどうしようもないひとりよがり、
「それをちっとでもぶち破るのが仏の道だろうが。」
といったって、ちっとでもわかりそうにないから黙っていた。
また送ってきた、第一禅寺へ見ずてんで送りつける恥っさらしっての、気がつかないその恥さらし。見ると仏典知識の押しつけ以外になく、それじゃカルトと同じじゃないか、かのテンポラル現象と同じく、仏は、
「いいからいいんだ」
以外になんにも持たず、ただもうそれを押しつける、つまり数を増やしお布施が欲しいっきりない、
「他の苦しみを見てなんとかしてこれを」
という切実な願い、ことの本質に欠如する。
でもって臆面もなくtelして来て読んだかだってさ。
こういうのを思考というだろうか、思考欠如とは云うであろう。
あっちこっちまさにこんなふうだ。
「考えたことあるの」
って改めて聞きたくなる。他人さん理論も呆れて物がいえぬところがある、八正道というのを聞きかじって、これをどうだというから、ちっとは思考のヒントを云ってやったのに、人の云うことがまるっきり理解できない、なぜか、かつてOXの他にやったことがない、思考欠如−まるばつものさしに計って、あてはまらなければダメってやつで、ダメってのに二つ三つ種類がある、じゃその一つにはめこんでという、でおまえをやっつけた、おまえよりおれがOだ、看板と女取ろうって、アッハッハ倫理感ていうよりまんがだ。
自分がまんがということに気がつかない、これが問題だ。なぜにそんなことになったのか。
あっちこっちの坊主、坊主に生まれりゃ説教という、生まれついての解脱底なんてない、これを知るにはいったん自分を失い去る必要がある、これを省いて仏教だという、さすがにどっか変な気がすると見えて、へ理屈理論をおったてる。でもこの連中の思考欠如倫理観のなさは、特筆に値する、どうにもこうにも形容の言葉がない。
ただもう反吐を吐きたくなるっきりだ。
思考とは何か。
論文がなんにも論じていないことを知るといい、五七五の定型にしたって歌にも詩にもならぬことを知るといい、仏教を知ったってなんの仏教にもならぬことを知るにいい、自分を知るとは自分を忘れることだと知るにいい、たやすいという危険を知るにいい、思い込みと現実の違いを知るにいい。どんなにすばらしいことでも一瞬とどまらぬのを知るにいい。
考えるとは何か、いまだかつて考えることをしなかったと気がつくことが先決だ。
あらゆる物差しを捨てる、物差しとはそういう椅子だ、腰掛けて思考ストップ。
思考とは何か、相手があるのです。
おおかたの思考は一人相撲、自閉症だということを知る、なんにもならない、面白くないというのは、他人の云ったこと絵空事をなでくって、それを思考したと思い込んでいる。
思考とは何か、あとさきまったくないことです。思考している自分を観察しないんです、これができた人は云って下さい、三世の諸仏かえって知らず、ほんとうの思考があります。
断じてかすじゃないんです。
科学は思考というより思考ストップの分が圧倒的に多いんです、よって科学は人も地球をも幸福にしないってこと、どうぞ思考してみて下さい。
人知に比べりゃ花と昆虫の一億年のほうがとんでもない思考能力。
花の思考は「知らない」自分を知らない思考なんです、知らない思考100%の思考です、どうかこのこと思考して下さい。
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