良寛さんの五合庵


 良寛さんの五合庵てね、人を案内するのにあんな困るものないんです、なんせたったの五分、ひと目見りゃおしまいの、あとどうするかったって、寺泊に魚買いに行ったり、だからきっと印象にないんです。
 出家したてに、庵主さんにつれられて、墨染め着て五合庵から、潮騒の路を、毒消し売りの宿によって、角田浜まで行ったことがありました、今は観光道路になっていますが、波のしぶきが衣の裾にかかって、それっこそにわか良寛さん。

 良寛を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘ずるなり。新潟には良寛学者良寛博士がいっぱいいます、もっとも付き合いたくない連中です。
「良寛さんに一番遠い者。」
はっと気がつく人も少うしはあるんですが。
 良寛さんにばったり出会ったらどうします、三拝九拝お引き取り願おうって魂胆? それとも、
「蚤たけんでくれよなあ、おれ現代人だから。」
とかいってがきの付き合い! 良寛さんあっていうんですよ、すると良寛坊主あとそっくり返る、あというたんび反り返って、ついにはぶっ倒れる。
「おれも年だからあれだけは止めるよう、子どもらにいってくれ。」
と良寛さん、
「なら自分でいやいいに。」
たってね、良寛僧堂は長年にわたって、子どもらだった、そうですよ、子どもら絶対っていう修行方法は、たいていじゃない。
(子どもらはうそではない=他に仲間はない、だから。)というんですが、たとえば隠れんぼうをして、しっとかいって、日の暮れるまで隠れている、良寛さ−んとだれか呼ぶ、は−いと出る、だ−れもいない、そのぼかっとした顔が面白いといって、良寛さ−ん、は−いって、半日もやってるんです。

 そこへおのれを置く=忘れ去るの修行です。とんでもない修行です、他のだれもおそらくやったことがなかった。自分でいやいいにってわけに行かない。
 良寛さんあというのは、物売りが大声を上げて、あっと反っくり返った良寛さんが、面白かったというんです。面白かった、人為のものじゃないからです、身心のない、忘我に近いんです、ぴしっと音立てたって、どわっと来るんです。
 出雲崎へは三十分、柏崎には高速道路で三十分。とっつかまらなければ二十分。
 失禁の涙ではなし良寛坊主。


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