人間の本当


 わかりやすくって、だれにも解かるようにって思うんですが、なかなかうまく行きません、でもほんとうは簡単な理屈なんです、仏教というさまざまあるものって思わないで下さい。人間のほんとう、本来ある姿っていうのは、実にたしかで間違いようがない、
「こんないいものを持っているのになぜ。」
 っていうんですよ、信じる信じないもない、生まれついてこうあって、三つのころまでは、いや十も十五までも溌剌と、楽しいっていうんですか、ものみな新鮮で生きて来たのに、なんでっていうんです、なんで自分ばっかり覗き込んで、まっくらやみで、ぽっかり浮かんで行く空の雲も見ないのか、そこに咲いた草花と生を共有しないのか、風のそよぎも水の流れも他所事にするのかってことです。

 ストレス社会いじめ学校とか世の中メタンガスみたい、将来夢も希望もないとか、若い人は私なんぞよりずっと鋭く、さまざま感じているでしょう。
 でもたとい公害世の中だって木の葉っぱは変わらないんですよ、木の葉一枚あれば全人生ってことあるんです、牢屋の中に閉じ込められていて、草が一本生えた、はるののげしの花を咲かせた、でもってほっと微笑むんです、そうして生きるんです、そういう人生がありました。人間の命について根本的に考え直すいい機会なんです。仏の教えは「答えが全部自分に書いてある。」っていうんです。どんなに思い悩もうが、他人のせい世の中のせいで事起ころうが、すべては我が一心で解決できるというんです。私は只管打坐といって、座禅を専らにする者です。どんなことも坐って解決して来ました、坐るって、自分とその思想とっきりないんですよ、仏教の勉強なんかしたことないです、でもお経だろうが仏祖師の語録だろうが、解からないってことない、自慢なんかしていません、ぴたっとそのとおりっていうんです、たといお釈迦さんだって、へんなこといったらだめっていいます。

 人間てだれだってそうできているんではないですか、ただの人、恐いものなしっていうか、だれに気兼ねなく自由自在です、ピカソもモ−ツアルトも、楽しくおもしろくって、でも月見たほうがいいやってあるんです。私は私の主人です、世の中資格も地位もお金もさっぱりだけど、そんなの爪っから先のことっていうんです。
 三つの子どものようにものみなおらあがん。
 おらあがんてね、良寛さんが人の物だろうが、手にするものみんな、おれのもの、おらあがんて書いたそうです。
 でも良寛さんは実にきちんとした人でした。はた迷惑人間じゃないんです。


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