マッド・サイエンティスト 


 身心症神経症がウイルス性疾患であるかも知れないとは、ありうることです、なんせ医者科学者どものいうことは、三年にいっぺんひっくり返って、たんびとくとくとして弁明−吹聴するのは、面覆馬車馬=科学者の特性とするところです、原爆作っといて平気で平和運動とか、成り上がり者と同じノ−ベル賞づらとか、エイズもたしか生物兵器の副産物とか、これを要するに何をかいわんやってやつで、麻原彰晃の方がよっぽどかわいいというか、世の中に責任を持てない連中。

 檻とトランキライザ−だけの精神病棟、電気ショックとか拘束衣とかいう、とにかくゼニが儲かる工夫としては、世界最高で、出たり入ったりの他なんにもならん、なぜかっていうんです、科学じゃ心はわからん、そうですよ、なぜかっていうんです。観察者を置くからです、見るものと見られるものとの二分裂、つまり科学がすでに気違いの道、な−んていうと怒られるけど、これほんとう、成り上がり平和運動なしの、純粋科学者=マッド・サイエンティストです、自分の心の持って行きようを知らない−ウイルス性疾患なんて、あっちこうならこっちもこうってアッハッハ、そりゃ科学者大喜び。

 でも問題の本質は変わらない。心の病を癒すものは心をおいてないんです。一に本来心を知ればよい。他から教えられて知るものではない、もとあるんです=あるがまんまといってないんです。
 物差しをあてがうも心。あてがわられるも心。
 神経症とは絶えず物差しをあてがうことから始まる。
 ほんらい不可能なことをしている、どこかで不可能を知っている。心という実に単純なのに、こんぐらかり、こんぐろまりっとの始まりです。修正しようという作用が病そのものです。

 困ったことには、たといどのような精妙知識も、別口の物差しなんです。
 ついにこれを破る以外に方法はない。
 ないものをあるとする不自由から、まるっきりないの自由空間へ。
 (神経症を病気とみず、自然な心のありようだとして、薬も使わず、そのまま生きれば、神経症になりきれば、全快するというもの。もっとも、悩んでいること自体が自然なことですから全快というのもおかしいわけです。) ではこの物差しをぶち破るんです。


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