クリシュナムルティ
どうも一言いいたくなるんです。
クリシュナムルティの本(科学者との対話であったと思います。)を以前弟子が示して、わたしも目を通ました。
「止めなさい。」
といったんです。
「云うことは間違ってはいない、でもこれを聞いて大悟徹底する人はいない。」
大悟徹底、便利な語だから使います。仏教科を出た弟子は、チベット仏教だなんだのと読み漁っていました。
「そうさ、棚ぼたのおまえさんを肯うにはいいかも知れん、でも寝てて食われるってのは、狼に食われるばっかり。」
知識という、他人の残飯、ト書き説明書きでは、しまいずたずたに破れほうけるだけだっていうんです。
とやこういうとまた怒られそうなんですが、事をうるにはたった一つでいいんです、あっちこっちじゃあっちこっちきりです。
「あなたは何かを求めておられる、そして何かの解決方法を探しておられる。探すことを続ければ、あなたは何も見つけられない。苦しみを回避することは、これを強める結果を招くことにすぎない。愉快であれ不愉快であれ、それがなんであろうと、あるがままのあなたに気づきなさい。それを正当化したり、あるいはそれに逆らったりせずに、それと共に生きなさい。真理は、結論、説明、言葉をはさませぬ観察があるときおとずれる。」
よく読んで下さい、いっていることはそのとおりです、でもいっていることから免れることができないんです、どこまでいっても、ほんとうを行ずる自分なんです、真理はという、ではそれを観察する自分は何かという問題が未解決なんです。
どこまで行ってもいいことしい、どうにも収まり切らんてことあります。
お釈迦さんはここからなんです。つまらんていったんです。
趙州因みに僧問う。如何なるか是れ道。州云く、道は籬の外にあり。僧云く、我が問うは大道なり。州云く、大道長安に通ず。
この有名な例も能書きじゃぜんぜんないんです。
垣根の外にあるよ、自分というその垣根をとっ外せば、世間出世間一切道というまえに、はっと見りゃアスファルトのほこりまるけがあるんです、この僧気がつきやいいのに、我が問うはそんな道にあらず、大道なりといった、あると思い込んでいる、そやつを大道長安です。すべての道はな−んて云わなくっていいんです。
月とすっぽんの違いってことに、どうか気がついて下さい。
クリシュナムルティの夢にも見ぬこと。
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