これあればかれあり


死刑無期という、これは心のありよう、道徳観念とは一つ別問題として考えたらいいと思います。今のような(犯人加害者温情裁判)だと、今のような(男の子育たない)世の中になる、目には目をのハンムラビ法典だと、そういうものみなばっさりの世の中になる、といったことです。
どっちみち法律裁判とか必要悪なんです。弁護士に自分の良心を弁護して貰う、どう思います、自分とはもっとずっと厳しいものではないですか。法律が人格じゃないです。そんなこと常識だっていうのに、いつのまにか法律にさえ触れねば、裁判に勝てばという、それっきり人格が居座ってないですか。
裁判がでたらめな時代、人は死刑の宣告をどう受けとめたか、そりゃさまざまあります、恨みつらみから、(おれはこういう罪を犯した、でたらめ判決も天の示すところ)と受けとめる、前世の因縁と諦める人、あるいは次代に資すべく何ほどかの努力等−でも人の死ぬるその言やよしってことあります。たとい通り魔だろうが交通事故だろうが、侵すべからざる自分てのあります。
心無けげ−自由ってこってす。
そういうことどっかに忘れてしまってませんか、いつの時代だって人間変わりないです、木の葉も雪も変わりないです、鶯ならたとい死ぬたってホ−ホケキョって鳴きます。
そりゃ社会は住みよくしたほうがいい、でも裁判ごときに心を左右されたかないですよ。
裁判官てこのごろマスコミ世論べったりな、これじゃ陪審員制度したほうがいいよ。
でも陪審員て、ギリシャ悲劇のオレステイアにある、あれね、それは人間だというスフィンクスの謎解きから来ている、日本人になじっまないっていうより、始めっから契約事つまり嘘八だ。


戻る