大切なのはどんな難行苦行も、おぞましい殺人もたとえようもない数々も、心をちらっとも傷つけることができないということです。これを知るんです。すると光明です、触れるものみな救われるってことがあります。
 肯定も否定も身心を挙げてということです。思想としてとか頭ん中口先の交通整理じゃないです。ここをよくごらんになってください。身心を挙げて−ぜんたいで−ただってことです、行けば行った、行かねば行かぬってこと。実はいつもみんなそうやってるんです。しかも肯定だ否定だというと、思想手段をふりまわす、奇妙っていうかなんにもならんです。うるさったいだけなんです。したがい、荒行は荒行、苦行は苦行、寝ているのは寝ている、座禅は座禅の、100%まったく過不足なくこれっこっきりです。
 ところがみんな荒行をしても苦行しても寝ても歩いても、これがこれっこっきりにならない。如来来たる如しにならないんです。するとそのお釣りの分、脇見運転の分地球のお荷物、人間の不幸ってこってす。

 ここのまり十まりつきてつきおさむ十ずつ十を百と知りせば   良寛

 君なくば千たび百たびつけりとも十ずつ十を百と知らじをや   貞心尼

 良寛さんが鞠をつく、一つ一つほんとうにつき切るんです、仏教はこれしかないんです、形而上学じゃない、乃至は世の中の幸福その他もろもろこれに尽きるというんです。


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