キリスト教


 そりゃ同じ人間のことだから、いろいろあるんです、キリスト教の人の参禅もむかしからあったんです、でももう一つ開けない、なぜか、たとい理論は精緻を尽くしても、理論理屈の上でこれを得ようとする、これは同じように見えて、まるっきり正反対なんです。おそらく、自己の潜在意識の中に神あり、宇宙であるという人も、意識思想の上でこれを確かめようとする、色即是空のこれは色なんです、どこまで行っても空にならない、あるいは空じた時点でキリスト教じゃないんです。仏は知らずといって、自分のとやこうするところを先ず捨てる、まったく捨てきって、しまい万物のこれを証するという、向こうから証明されるんです、だから金剛不壊の確かさです。自己の推量でないから、諸々の弊害を免れるんです。仏の修行のことはじめは、自分からどうこうする、その推量りを止めるんです、これができないと仏教にならない。どうかこの点をお考え下さい。
 一神教またキリスト教の、色=人間の推量です、人間の人間のための、人間による、いいですか、結局どこまで行ってもそうなんです、一神教の子どもである、科学もそうです、ひとりよがりなんです、その弊害は深刻なものがあります、常識ごとを止めて、キリスト教−アングロサクソンに占領された二十世紀という視点で、ものを見たほうがいいんです、自然と対立するっきりの宗教と決めつけるには、あんまり世故に長けていた、−


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