近似値


「他人の言葉に真理を求めても無駄、突き放すのも、同情も、それはたかが方便ヒントでしかない、それをどう扱うかが問題。」

 そうかも知れない、「他人の言葉」を雪月花、いや木の葉一枚に置き換えたらどうなります。無駄といい、突き放すといい、同情といい、たかが方便ヒントという、そうやって、
「扱っている自分という余計物」
なんです。
 木の葉っぱといっしょに揺れてりゃいい、これが答えです。
 他人の言葉という、どんな学者が何いおうが、うすらバカがいおうが、子供がわめこうが、その言葉の内容如何に係わらず、なにがどうあったって真相吐露の他にはない−そうは思いませんか。
 なぜかってお互い人間という木の葉一枚です。
 その心意識を心理学とかいってマニュアル化したって、
 うす汚いだけで、いっそなんの役にも立たないということを知る、どうもそこらへんが人間いろはのいじゃないんですか。

「表に見えたり見えなかったり、それを求めて自分が動き回っても空しい。」

んですが−空しくなかったり。
 見えるものは見える、見えないものは見えない、それっきり他なし、しかも自分が空回りする、どう空回りしても不増不減。

「他人の全てを理解することは不可能だと思う、相手だって同じ。」

人の思想の内容を理解したって、うさんくさいだけだ、なぜでしょう、だれの思想だってたいていただの借り物です、他人の物差しにどう振り回されているかという問題があるっきりです。でもって理解しあえた握手とかいって、いったいなにがどうなる、もう面も見たくないとかいう、よくよくお考え下さい、人間は思想の主人です、理解するしないとかいっている、そのとやこうをひょいと入れ替えることができるんです。

「理屈でわかんなくなった所からは、結局信じるしかない〜宗教的なことを誰もが日々やっている。」

 そのような面倒な手続きがいらない、手足を動かすのに、ただやってりゃいいんでしょう。
 石っころ一つわかんなくなったからって、信ずる信じないもない、宗教だから月の光が青くなったってことないんです−青くなっちまったり。
「なんかどっかがおかしい。」
そう思いませんか。
 なにがおかしい、自分がいらん情識に振り回されているところがおかしい。
 元はまったくおかしくないんです。


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