賢治のこと


 よだかの星はいいですね、私どものうら山によたかがいます、昼間はやぶっ原に置物みたいにとまっています、見るにつけ千年も前に読んだ(なんせ化石人間ですんで)賢さを思い出します、賢さというのは賢治の署名なんですよ、いい字で賢さと書いてあるんです、よたかってほんとうはちどりの仲間かなあって、いまも賢さのいいなりに思います。
 私化石人間は虔十公園林なんてずっと好きでした、オッペルと象も好きですし、黄色いトマトというのがあって、黄色いトマトって聞くと還暦越えて涙ポロっと落とすんです。
 実に人間のほんとうのって、原点っだって気がします。

 けれども彼は道人ではなく詩人でした、並みの詩人じゃない、ディッヒターと呼ばれる、人生イコールぽうえむというんですか、実にゲーテの詩と匹敵するんです。
 いーはとーぶぉに根づいて、土や雲や恋愛やうずのしゅげです。
 明治以来西向け西で来た日本人の、そうなんです、唯一賢治だけが、西欧精神をマスターしたといっていい、ものまねじゃないんです、人を感動させるんです。
 でもね、「すべての人が幸福にならなければ個人の幸福はない。」という、実に美しい語なんです。美しいこの語はヨーロッパの物です。およそこの語によってヨーロッパは退廃し滅ぶんです。

 宮沢賢治を私が熱愛したころはほんのマイナーでした。今はむしろ日本人のバイブルといっていい。ですから、「すべての人が〜」の美しい過ちは知らぬまに影響大なんです。
 これを逆にしなければならない、
「一個の人間がほんとうに解き放たれれば、ふれあう万人を救う。」
にです。
 これは東洋の心と西洋の心の違いなんです。いいですか、いま他から外れてはなんにもできないという、マスコミ一辺倒だったり、視聴率第一とかいうの、学校教育とかいうの、
「それはかまわん、でも私は私のすることをする。」
っていう、一人二人出て来ることを切望します。
 英語をしゃべればさくらマークじゃないんです。
 陪審員制度じゃだめです。
 
 ギリシャ悲劇においでぃーぷす、あがめむのーん、おれすていあの三部作があります、西欧の心というものが、砂漠-壁-人の住む世界という構造をしていることがよくわかります。スフィンクスという謎をおいての約束ごとです、外では生きられない、ほんとうよりも人間同士ってことです。だから、すべての人が幸福にならなければ個人の幸福はないんです、これね、後の一神教に受け継がれて今に至る、西向け西の日本人にどうしても理解出来ないことだったんです。心がそういう構造を持っている、恐ろしいことです、ドストエフスキーの小説はこれが崩壊の赤裸々な記述です、さすがの黒沢明が映画に仕切れなかった。そうです、ゴッホをみてその苦しみを理解する日本人はいなかった。
 ゴッホもドフトエフスキーも滅ぶんです。 
 そいつをまねるこたあないっていうんです。

 釈尊は森林に坐すんです、ガンジスの辺です。
 自然と一体化するんです。 
 一個よく百万人を救うんです。
 ちょっと荒っぽい説明ですが、大筋は間違っていないつもりです。
 みなさんどうかよくお考えになって下さい。
 賢治の現実はほんとうは、「ただの現実」だったと知って下さい。


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