風動幡動 


 六祖禅師五百生の大善知識といわれる所以は、釈尊端坐六年、大迦葉三年身を横たえず、阿難尊者実に二十年といわれる、これを目に一丁字もない人が、往来に応無所住、而生其心と聞いて大悟徹底するところにあります。、仏教ってたった一つしかないんですよ、六祖以来禅門大いに興るところは碧巌録等にくわしいんです、神秀上坐の偈、
 身は是れ菩提樹、
 心は明鏡台の如し、
 時々に務めて払拭せよ、
 塵芥を惹かしむる事勿れ。

に対して六祖禅師は、
 菩提もと樹に非ず、
 明鏡亦台にあらず、
 本来無一物、
 何れの処にか塵芥を惹かん。
といった、これ常識の至るにあらずなんです、むしろ思慮を入れんや、これを得るのに人によっては、どえらい苦労するんですよ、色気が抜けないっていえば、それまでですがね。六祖猟師の仲間に入ってしばらく時を過ごす、あるとき二僧あい争う、風になびく幡を見て、風動くか、幡動くかというんです、六祖出て、風も動かず、幡も動かず、汝が心動くなり。といって論争にけりをつけた、これ以後六祖が世に出るんです。
 風動幡動の則といいます。答えを出してごらんなさい。


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