法とは何か


 法とはもとこの中に生まれ死に暮らしする、あるいは生まれる以前死んだ後です。人為のものではない、仏法として別にあるものじゃないんです。ですからこれを求めることは、見性といい、悟り、覚醒、気がつくというんです、もと法の通りにある、物理法則に似ているんですが、科学のように観察者を置くと近似値になってしまいます、そうではなくどっぷり浸け、どうあったってこうあったって逃れられない、観察者を置く科学の正確が人を不幸にすることを思ってみて下さい、あるいは真理だというマンガじみたオ−ムを思ってみて下さい。見えるものじゃないんです、周辺がわかりゃいいんです。

 一例−無眼耳鼻舌意、無色声味触法と般若心経にあるでしょう、わたしらの五感は目を知らない、どこに目があるか知らない、目で見る、あるいは見ると見られるの区別も付かない、だのに目を知り目の在処を知る、見る見られるとやっている、以下同文の有眼耳鼻舌身意の生活をしています、すべて教えられたもの、観念知識によるんです、法ではなく人為−つまりうそっことなんです、これちょっと確かめて下さい。
 うそっことは困ったことです、もういっぺん生まれたまんまに戻してみよう、そうしたら万事うまく行くに違いない、でもってぴったりうまく行った、というのが仏法の根幹なんです。

 「な−んだいわゆる純粋体験というやつ。」とはまるっきり別の仏教です、男一匹一生を賭けて、たとい得られぬも悔いないんです、男より女のほうが得たり、三つの子が早かったり、もと法の中にある、どっぷり浸けです、とやこうつっぱらかるの止めたら、自然にそのものです。


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