解脱の道は標準が自分


 欲しいとか欲しくないとか、説法するとか、普通に暮らすとかのこっちゃないんでしょう、強いていえばどれもみんなあって、怒る切ないこんちくしょうとか、地球破壊爆弾とか、きれいなお尻とかあって、存分な世の中です。悟ってこれなしあっちだめなら、悟らないほうがいい、だからね、どっか根本的に、考え直す必要あるんです。ことは自分が自分に関わる、つまりとやこうやっているその自分というから厄介なんです。

 他のものは標準があって、つまり物差しをあてがって、ちょい違いもう少しとやればいい、でも悟る解脱の道は標準が自分なんです。それが間違ってるって、だれ判断するんです。でもってどうしたって、経験者に導かれってことあります、でないとどっち行っちゃうかわからない。
 でも科学より厳密まちがいようがないのは、観察者という別ものを置かないからです。自分が標準という醍醐味を知るんです。

 欲望ってね、欲望を殺さないんです、なにものも殺さない、一OO%あるいは二OO%生かす方法です、手つかずの法、只管打坐です。そうして欲望を収めることを知っています、悲痛苦しみ他一切、あるがまんま手を付けぬ方法を知っています。ほんとうの生活です。手を付けないと、起こって消える、念起念滅です。
 たいていこれが出来ないんで苦しむんです。
 苦しむ人に手をさしのべたいんです。
 実際はほっとくことの方が多いんですがね。
 
 悟りというのをなんか遠くに置かないんです。生活必需品といっていいんです。そう長くはかからない、他に求めるってことさへ止めればじきです。


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