仏陀


 仏陀は各種行なわれていた修行他一切にけりを付けています。乃至難行苦行にもけりをつける、
「たしかにあなたの云われるようにやってみた、しかしわたしの疑問を解決するものではない。」
ということです、すべての書は読まれたり、肉は悲しとは西欧詩人の言い種ですが、一切事において役立たずを知る大力量=真っ正直だったです。
 ついに刀折れ矢尽きて、ガンジス河のほとり菩提樹下に坐す。そうして明星一見の事、我と有情と同時成道を知るんです。
「何を求める必要もなかった、もとあるがまんま=すべてが解決済み。」
を知るんです。如来来たる如しの道です。他の一切宗教と違います、仏陀の目には他の如何なる宗教も、こうすればこうなるという邪教です、迷いの上の迷いにしか見えなかったです。
 現在の仏教といって、ほとんど100%どうも、わたしも曹洞宗門としてまことに申し訳ないんですが、いろんな仏教というもなく、仏教とは云われんのです。
 まっすぐに、真っ正直に見て下さい、自分にとって何が必要かということです。古来仏教が欲しいか自分自身が欲しいのかという問題だったです。他所っことじゃないんです。この事一切事において役立たずの、仏陀の道をたった今も同じに通る他ないです。便法はありません。たとい座禅もあ−だこ−だいってるうちはなんにもならんです。修行途中で逃げ出したろうが、そんなこと一向にかまわんです、でも自分から逃げ出したらだめです。
 人の噂に惑わされんで下さい、知っている人はこれと云い、知らぬ人はあれと云います、よく聞いているとわかります。一応の目安になります。
 ねはんと無常は諦めじゃない明きらめなんです。大喜悦大安心ということがあります。他にはなんにもいらない、
 雪月花をほんとうに雪月花と知るんです。如来あるがまんままというのは、実にそうできているからです。そうでなきゃわれわれの存在自体の意味がないんです。花も月も人間以外みな如来、だのにどうして人間だけそぐわないという、即ちこれが仏教の命題なんです。


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