Profile

1962.03.13


洋楽との出会い


中学校の音楽の授業にBeatlesの「obladi oblada」を聴いたのがはじまり。 最初に買ったLPはカーペンターズのベスト。Beatlesからメンバのsoloを聴き始める。 当時、御三家(Queen,Aerosmith,Kiss)全盛期にNHK FMで渋谷陽一のヤングジョッキーを情報源とし D.Purple /Rainbow /J.Beck等を聴き、ここからハードロック路線へ。

 

高校入学時、K.Crimson 1st/ELP 1st 2nd /P.Floyd 原子心母等を友人に薦められ 興味を持つ。FMでYesの錯乱の扉を聴き、一気にプログレ路線にのめり込む。 (当時、Yes Going for the one/P.Floyd Animals/ELP Works/k.Crimson Decipline Zep Presence) 卒業前後、YMOから渡辺香津美(kylin) 矢野顕子 R.Carlton L.Ritonar Cassiopea等の フュージョン系も聴く様になる。

 

大学1年目、音楽サークルでDrs(独学)を担当し、 CASSIOPEA等のFUSIONコピーを演っていたが、 自分の好きな音楽ができず、脱会。入会時、顔を合わせた トシ@ゲヘホフ氏(b)が入会した Rock研究会の2代目部長(g) 「井戸仙人(仮名)」と出会い、ユーロ、シンフォニック路線に大きく傾く。
(この部長と高校の同級生が ご隠居(Vo)。因みに当時、ゲヘホフ氏は、プログレ無関心の Zep−Funだった)

 

社会人になってからは Euro Symphonic Rock /Jazz Fusion 2本立て。 1988-91に、東大和市(東京都)に住み、通勤途中の新宿のレコード店はよく 通った(当時、EUFA(目白)−>EUFA2、EDISON2F(途中から林夫妻(夢幻)が店頭に立ち、 現G.SHED)、WDもこの頃、目白から遠い場所にOPEN) 六本木PITINNも何度か足を運んだ。
2000年現在は、仕事で上京の際、WD、DU新宿へ出向くのが精一杯。 KENSOのLIVEを見に行けない2児の父親。