病気になって考える

【胃がん】

2000年7月、胃がんの手術を受けた。
僕にとって大きなできごとだった。僕はがんに対して死を連想した。まさか自分ががんにかかるなどとは、夢にも思っていなかった。職場の集団検診で、胃と胆のうに異常がありそうなので再検査を受けろといわれ、それで見つかった。以前からたびたび胃が痛くなることがあったが、どうせ神経性の胃炎とかそういったものだろうと自分に言い聞かせていた。今から思うと安易なことだ。
再検査はまず胃カメラをのみ、その数日後胆のうの内視鏡検査をするというものだった。胆のうの検査の日は一日入院をすることになっていた。胃カメラの結果は胆のうの検査の日までにはわかるとのことだった。胆のうの検査の日、検査はなぜか失敗に終わった。僕は麻酔により検査後も眠っていた。病室のベッドで目が覚めた。休んでいると若い女性の内科医K先生が来られた。もちろん歳は聞かなかったが30歳くらいだと思う。もしかしたらもっと若かったかも知れない。そして胃カメラの検査の結果、がんだったと話された。大変ショックだった。K先生の説明はわかりやすくかった。対応もやさしかった。婦長という名札をつけた方からも励ましを受けた。病院で一晩過ごした翌朝には、「きっと俺はまだ大丈夫だ」という前向きな気持ちになっていた。
手術のため入院し外科へ移動した。執刀医である外科のS先生の「良かったですよ。成功しましたよ」という声で手術の麻酔から目が覚めた。その数日後、手術の際の細胞の病理検査の結果が出た。さいわいなことに早期がんであった。S先生からこの説明を受けたときは涙が流れるのを抑えられなかった。なお胆のうは胆石であり、胆のう自体を取った。

この経験から貴重なことを学んだ。
自分は家族や社会の支えがなければ生きていけないのだということがわかった。
生活には摂生が必要であることがわかった。

手術から5年が経過した。
がんで命を奪われる人は多い。がんを克服するということばがよく使われる。僕の頭のなかにも初めの頃、この言葉があった。しかし今は、この言葉は、生死すれすれの状態に陥ってしまうようながんに侵された患者に対して使われるべきものであると思う。軽々しく使うべき言葉ではない。僕のような早期の胃がんは手術を受け時間がたてば治癒する。
ただ、手術後、早期がんだとわかるまでの間、自分は運命に対して本当に無力だということを痛感していた。後輩から、お見舞いにもらったお守りを腹に巻いてさすっていた。退院してからは謙虚に生きることが大切だということを自分に言い聞かせた。今度大きな病気に侵されたときは、運命として受止めることができるような気がする。もちろん病気や運命を恨むことだろう。しかしその度合いは昔よりかなり薄いに違いない。

退院後インターネットでがん経験者の岡山県のDさんと知り合った。初めはがんの話題が多かったが、そのうち職場や家庭のことなど、などがん以外のこともメールでやり取りした。しだいにメールのやりとりは少なくなった。意志の弱い僕が自己管理をしていくうえで、勉強家のDさんには大変にお世話になった。

僕の読んだがん関係書籍(がんにならなければ絶対に読まなかったと思われる)

「胃がんと大腸がん 新版」(岩波新書) 榊原 宣
「がん告知以降」(岩波新書) 季羽倭文子
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」(文春文庫) 頼藤和寛
「がんを病む人、癒す人」(中公新書) 比企寿美子
「ガン回廊の朝」(講談社文庫) 柳田邦夫
「癌 患者になった5人の医師たち」(角川ONEテーマ21) 黒木登志夫他
「白い巨塔」(新潮文庫) 山崎豊子

内臓の名称や位置が覚えられないので娘の理科の教科書を手本に作成して勉強しました。なかなか上手にできました。

榊原 宣 「胃がんと大腸がん 新版」(岩波新書)の図を手本に作成しました。なかなか上手にできました。なお%は発病の多い部位を示しているとのことです。
                                                                  (05.12.05)


【目の病気…その1】

2006年2月、しごとで字を読んでいるとき左目の前をチラチラした光のようなものが同じ周期で、同じ場所を飛ぶのが気にかかった。変だなと思いながらインターネットで調べると飛蚊症というものだとわかった。数週間すぎても同じ状態なので生まれて初めて眼科へかかった。
主治医は僕よりかなり若い女性のI先生だった。先生は手際よく診察をして、僕に結果を説明してくださった。
《見た映像を受止めるフィルムのような役割をしている網膜というものがあります。ご存知ですか。その網膜が肉体から完全に離れると網膜はく離といってこれは失明します。○○さん(僕のこと)は網膜と肉体のつながっているところが所々薄くなっていて、右目はすでに穴があいているところがあります。右目はこのままでは網膜はく離へ進む可能性があります。今の段階でレーザー治療をおこなって穴をふさぎ、つながっているところを均一化すれば進む可能性は低くなります。レーザー治療は手術です。通常は予定日を決めて行いますが、今日は比較的空いているので今日できると思います。時間はそれほどかかりません。左目も所々薄くなっていますが穴はありません。当面はこのまま状況をみるしかないでしょう。手術はどうされますか。》(概略このようにお話しをされたと記憶している)
もちろんすぐに手術をしてくださいとお願いし、そうなった。左目がおかしいと思ったのに右目の方が深刻だったのだ。
1週間後の検査では術後の経過は良好であり、今度は2週間後に行くこととなった。
このまま治癒してくれることを願っている。

実は僕の母は1年ほど前に白内障の手術をI先生から執刀していただいていた。母は入院しているとき看護士さんから先生が執筆した(「白道…眼科医、カルテの余白(桂書房))という本をもらって家へ持ち帰ってきた。母は読書をする人ではないのでそのままになっていたが僕が読んだ。僕が今回病院へいくと言ったとき診てくれるのは本の先生であろうということを家内から聞いたので、どんな方か楽しみだった。先生の本を読んだとき若く、そして忙しいだろうにも関わらず、ものごとを深く考えている人がいるものだと感心した。人生観など共感できるところも多かった。病院の眼科医は先生しかおらず、午前中は多い外来患者を一人でさばき、午後は手術にあたるとのことだ。実際、受診のスピードはすこぶる速く、そして研ぎ澄まされていた。僕は特に質問をしなかったが、すれば忙しくても丁寧に答えてくれただろう。僕は本を読んだことにより先生の人生観を知ることができた。先生の考え方も理解できた。だから安心して受診できる気持ちになっていた。ただレーザー治療は少し痛かったがこればかりはどうにもならない。
先生は自分の書いた本を誰に読んでもらいたかったのだろうか。それは自分の患者にではないだろうか。だから看護士さんは母に本をくれたのだろう。本の帯には「ひとりを生きるためにたくさんの人と結ばれる」と書かれている。(06.02.18)


網膜はく離なりかけが発覚し、手術を受けその後2回目の定期検診に行った。例によってI先生から診ていただいた。術後の経過は良好で、当面月に1回の定期検診を続けた方がよいとのことである。悪化していなくてよかった。
病院の待合室というか、待合ローカは大変な混みようである。糸魚川市に眼科の医療機関は2つしかないそうだ。だから混んで当たり前なのだが、特に年配の患者さんが多い。病気とまではいかなくても歳を取り、目の見え具合が悪くなり、心細くなって通う人も多いかも知れない。一方、受付の人は多くの患者への対応を迫られる。過去数回の受診でわが道を行くといった感じの患者さんを見かけた。
@予約が10時であるにも関わらず9時40分頃に診察を要求する横暴なおばさん。
A受付の人の対応にあまりにも見苦しくもんくを言っているおっさん。しつこくからんでいるとしか見えない。
Bその他
などである。僕はあのような場では努めて静かに、そして根気強く振舞うように心がけている。しかし、人によってはあのような場でこそ、何らかのパフォーマンスを繰り広げたくなってしまう人もいるようだ。周りの人の多くは冷ややに眺めている。(06.03.28)


【頭  痛】
数日前から左側の後頭部が痛い。右に首を回すとズキッとくる。夜、右側を向いて寝ると、少し経つと左側の後頭部が痛くなる。ただの頭痛と違うのは、いつまで経っても治まらないこと。はじめは、そのうち治るだろう、と思っていたが、日に日に痛みが増してくる。頭の病気かも知れないと心配になり、休んで病院へ行った。
頭のCTをとり、脳神経外科のS先生から診てもらった。結果は頭の病気だと思われるものはないとのことであり、私の肩や腰を揉みつつ、「かなり凝っているね〜。肩こりなんかも、頭痛の原因になるんですよ」と話していた。確かに先生から揉んで頂いたときは、気持ちが良く、凝りが解れていく感じだった。ただ、気になることをおっしゃっていた。
「48歳にしては、少し、少し、小脳が小さいく見えるね。生まれつきということもあるから、萎縮しているとは言えないけれど。萎縮はアルツハイマーの原因になるよ。私が小さいと言ったことと、今回の頭痛は全然関係はないけど。あまりお酒は飲まない方がいいかもね」
おれはアルツハイマーなのか。
あとは、今後も様子をみて、治らなければまたどうぞ、という感じで終わりました。

アルツハイマーという一言が気になり、午後図書館でアルツハイマーの本を借りた。「明日の記憶」という若年性アルツハイマー患者の小説で、僕と同じ世代が主人公。感想は「投げやり読書メモ」に書きました。
とりあえず、お酒をあまり飲まないように心がけます。(03.04.18)

網膜はく離の定期検診。例によってI先生から診てもらった。眼底検査をするのですが、毎回、外へ出ると眩しくて大変です。特に異常はないとのことなので、眩しいくらいは我慢しなければならないのですが、早く職場へ戻りたいと思うと、気が焦ります。運転には十分気を付けないとね。頭痛は少し良くなってきたけど、まだ痛い。
S先生の言っていた肩こりが気になり、家内の按摩器を使ってみたり、インターネットで肩こりを解消するマッサージといったものを検索してやってみたりしています。
気が付いたことは、凝っている部分が多いということです。念を入れて揉むとあちこち痛い。揉み過ぎても駄目だとのことですが、適度にもみ、2日、3日するとその部分の凝りが取れることがわかりました。
頭痛も肩こりが原因のような気がしてきましたので、肩を自分で揉んでいるところです。(06.04.26)


【ダイエット】
1999年の暮れも押し迫った頃、職場の検診で、お医者さんから胆のうにポリープがあると言われた。すぐではないが手術が必要だという。当時の僕は体重70s超。油っこいもの、ラーメン、インスタント食品、お酒などカロリーの馬鹿高いものが好きで、毎日食べていた。だから肥満度は年々上がり、高血圧であり、糖尿病の気配もありそうだった。
2000年1月1日から禁酒、油っこいものは食べず、毎日1時間歩くということを決めて、実践した。雨の日も風の日も歩いた。
すると6月頃には体重は10kg以上減少した。
再検査に行かなければならなかったし、胃が痛いこともあったので病院へ行った。
看護婦さんに体調の変化などを聞かれ、体重が減少したことを話すと「そんなに減るのはどこかが悪い」と言われ、僕は「そうではない。ダイエットの努力の結果だ」と反論した。
その後胃がんであることがわかるのだが、体重が減少したのはあくまでも努力の結果だったと、今でも思っている。
今は体重54s。
一度肉が落ちると、胃が小さく、食物摂取量に制約があるため体重は増えず、肉は付かない。変に運動を意識すると、肉のオブラートがないひざの関節、腰などが痛くなる。
こういう状態より、肥満から体重をしぼる方が均整のとれた体型を目指しやすいように思います。(06.09.23)

【目の病気…その2】
2006年12月、網膜はく離の定期検診を3ヶ月くらいサボってしまったので、年内には行っといた方が良いだろうと思い、12月26日(火)病院へ足を向けた。
病院で偶然に同じ病気になった同僚(女性で僕よりかなり年上)とあい、病気のことなど、いろいろ話をしているうちに順番となった。
例によってI先生です。
春にレーザー光線を当てた右目に、またまた小さな穴が空いているとのことです。
「小さな穴なので、すぐにレーザーをあてます」といって治療をしてくれた。
やっぱり定期検診はサボってはいけませんね。
I先生に感謝します。

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