富永賢哉ページ


「飽くなき電脳社会への挑戦」

 1946年、ペンシルベニア大学で開発された「エニアック」が世界最初のコンピュータであり、約18800本の真空管を使って弾丸の軌道計算に素晴らしい偉力を発揮したと言われています。それから半世紀、半導体の技術開発も進み、今や各人のパソコンがインターネットを介して、世界中の人々と瞬時にコンタクトがとれる電脳社会を向えました。世はまさに情報化時代、情報を制する者が世界を制するとまで言われております。

私がコンピュータとの最初の出会いは、昭和46年(36才)、文部省初等中等教育局による情報処理指導者教育に関わる内地留学制度に選ばれ、Fortran JIS7000(科学技術計算言語)を学んだことに始まります。以降、職場にもミニコンが導入され、日夜研究に没頭できましたが、当時、主メモリー(磁気コアーで16kb)が余りにも少なくソフト開発は殆ど機械語かアセンブラ言語で、π2000桁の演算に7時間位掛かりました。それだけに昭和50年代初め、NECより発売されたTK−80(8bit CPU 命令はすべて機械語)のキットを製作し、ROMの全内容解析、機械制御・音楽演奏ソフト等の開発ができた喜びは一入でした。以降、昭和57年沖電気のif-800 m50(今でもその設計思想はストラディウ゛リウスのような名器だったと思っている)を筆頭にWindows 3.1、95、98、XPと移行し、最近は曾ての技術屋仲間と時々PCによるTV電話を通してノーハウを交換しあう電脳技術を楽しんでいます。コンピュータのハード・ソフトに携わって30有余年、これから30年・50年先の電脳社会はどう変わって行くであろうか。

「磨礪(マレイ)は当(マサ)に百煉の金の如くすべし。急就(キュウシュウ)は邃養(スイヨウ)にあらず、施為(シイ)は宜しく千鈞(センキン)の弩(ド)に似たるべし。軽発は宏功なし」

 これは処世哲学「菜根譚」の第191段にありますが、これが座右の銘とするところであります。平成7年3月末定年退職しましたが、いまや一層元気溌剌・気力横溢、心身ともに壮年の域にあり。
 「晴
-歩写(歩くことと写真) 雨-ピュータ(電脳)」で、新たなる人生の創造に挑戦しております。