シューテツ様

『キューブリック的、戦争の構図』

とめさんから今回この原稿を依頼された時は、正直言って少し驚きました。だって、こういう硬い話題はとめさんらしくないもの。f^_^;; 終戦記念日にちなんでの特集だそうですが、この話題を人のサイトでするのは少し度胸がいりますよね。テーマがテーマなだけにヘタな事は書けないし、ありきたりの事を書いても自分の薄っぺらさを曝け出すだけだし、まるで自分の素っ裸を人前に晒すような恥ずかしさと怖さがあります。
それと私自身のサイトでも、戦争映画に対しての私のスタンスなど以前に書いていたり、最近観た戦争映画は大体感想も書いているので、どういうテーマでどの作品を選んでよいのか困ってしまいました。
そこで、逆にとめさんの方からリクエストをしてもらったところ、『博士の異常な愛情』とか『チャップリンの独裁者』などを上げていただき、私は迷わずキューブリックを選んでしまいました。その理由の一つに原稿を書く為にはもう一度観なおさなければならないのですが、私はとりあえず今キューブリックの作品の方が観たかったからです。(笑)
キューブリックは、『博士の〜』以外で『突撃!』と『フルメタル・ジャケット』という戦争映画を作っているのですが、『突撃!』は未見だったし、他の作品も最初に鑑賞してからかなりの時間が経っていますので、もう一度合わせて一緒に観たかったのです。それと直感的にキューブリック作品だと、たんに戦争論とか平和論だけに留まらないような気がして、そちらの方が私向きだろうと思いそちらを選んでしまいました。 で、時代順に『突撃!』『博士の異常な愛情』『フルメタル・ジャケット』を観たのですが、やはり流石にキューブリック、あらためてその天才を確認させてもらいました。いつ観ても強烈で新鮮で面白い。

という事で前説はこの辺で、そろそろ本題へと入らせていただきます。
ところで、なんだかんだと言ってこの日本も終戦から既に58年の歳月が流れ、今の日本人にとっては60代以上の人しか戦争の体験や記憶が無い国となってしまった。そういう国の人間が戦争について語ると、戦争が実際に起きている国々の人達の考え方とは温度差があり、そういう国の人達からすると日本人の考え方や平和論なんて、まるで宇宙人的発想にも思われかねないという危惧をどうしても抱いてしまう。
しかし、今回これらの作品を観てまず感じた事なのだが、「戦争していない国」が本当にイコール「平和な国」であるのかという疑問だった。それと、戦争の構図の問題。 私達は普通戦争というと「自国対相手国」という構図をまず思い浮かべる。しかし、今回観た作品は戦争映画であることは間違いないのだが、相手国が現れて(描かれて)こないのだ。
キューブリックの戦争映画ではどの作品にも共通して「自国対相手国」という通常の構図ではなく「戦争をさせる者対させられる者」という構図だった事に、あらためて新鮮な驚きを感じてしまった。相手国は影のようにしか描かれていなくて、全作共通して自国内の問題点(狂気)にスポットが当てられていた。正確に言うと『フルメタル・ジャケット』の前半部までがそうなんだが、後半(というよりラスト)にやっと登場する相手国の敵というのもこの作品を観た者には解ると思うが、同じ血を流す側の人間としか描かれていない。
最近の邦画のヒット作『踊る大捜査線』の中で「事件は会議室で起きているんじゃない!」という台詞が流行ったが、キューブリックの戦争映画ではまさにこれの逆で、戦争はいつも会議室で起きている(起こして)のだと指摘している。戦争をさせられる者(血を流す者)においての真の敵は銃を向ける相手ではなく、もっと別の所に居るとキューブリックは言っている。 あと、上記で「戦争していない」イコール「平和」であるのかという疑問についてだが、上の構図というのは「別に戦争に限られたものではない」という事に作品を観ながらふと気付いた。私達の社会も殆どこれと同様の構図で全てが動いている。戦争をしているかどうかの違いがあれ、根底にある意識が同様であれば、例えば戦争をしている国の非難や蔑みなど本当にできるのか?、という疑問である。もっと解りやすく『踊る大捜査線』の例えで言うと、現場の人間ばかりに絶えず痛みを負わせる社会が本当に平和な世の中と言えるのだろうか?、という疑問である。「銃でなくても人間は傷つけあい殺しあえるんだよ!」という事である。

今回キューブリックの作品を観て、私達は「戦争」や「平和」というものをもっと違う構図(視点)で見直さなければならないのではないのか?、という事を強く感じた。そして、戦争をしている国、していない国に関わらず、仮想敵国よりいつも痛みを負う側のつながり(結束?)こそ真に必要なことなのではないのだろうか。
とはいえ、ペシミストのキューブリックがそんな人間の奇麗事など信じていたとも思えない。『突撃!』の台詞の中で、カーク・ダグラスが上官に「愛国心」について問いただされ、それに対して皮肉にも「悪党の逃げ口上」とつい洩らしてしまう諦観こそ、キューブリックの戦争観であり人間観であり本質なんだと思う。


『博士の異常な愛情
または私は如何にして心配するのをやめて水爆を愛するようになったか』(1964年・英/米)
出演:ピーター・セラーズ。ジョージ・C・スコット。
『突撃』(1957年・米)
出演:カーク・ダグラス。ラルフ・ミーカー。アドルフ・マンジュー。
『フルメタル・ジャケット』(1987年・米)
出演:マシュー・モディン。アダム・ボールドウィン。ヴィンセント・ドノフリオ。
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