「神宮寺表参道映画館」

神宮寺誠さん

『「軍旗はためく下に」と戦争へのトラウマ

軍国少年だった深作欣二が15歳の時に終戦をむかえ、価値観が一変させられて以後の、彼の戦争感、国家観をストレートに表現した作品だ。

昭和27年に戦没者遺族法が施行されていらい、その対象外とされている遺族がいた。富樫軍曹(丹波哲郎)の遺族である。戦争が終ったが富樫は帰らない。死亡通知が届いただけだった。
しかしその死亡通知は戦死ではなく死亡としか記されていない。どうやら軍法会議にかけられ銃殺されたらしい。厚生省はそのことを理由に遺族年金の支払いを拒んでいる。納得できない妻(左幸子)は厚生省から紹介を受け、富樫軍曹のかつての戦友達に本当のことを聞きに行く。そこには戦後の復興の波に乗り遅れスラム街で暮らす者(三谷昇)、かつての軍隊経験をネタにお笑いコントを演じている芸人(ラッキー7)、戦後の混乱期に戦争中の贖罪の念から酒におぼれ目を不自由にしてしまった者、米軍戦闘機が上空を飛び交う高校で教師をしている者(内藤武敏)、戦犯として戦後裁かれる事なく復興の波に乗り成功している者。さまざまな人間達だった。
やがて明かされる真実。それは聞くに堪えない戦争の狂気だった。銃殺は真実だったが、富樫の行動は本当に銃殺に値する罪だったのか?最後に彼が叫んだ「天皇陛下!!」は何が言いたかったのか?「『天皇陛下万歳』と言いたかったんでしょうか?」と問う妻に「いやそんな風には聞こえなかった。もっと何か訴えるような感じだった」と銃殺現場に居合わせた戦友は答えた。

軍隊という組織の不条理、軍隊組織のいい加減さ、戦争によってつぶされた青春、戦犯への責任、遺族への保障問題、狂った上官を殺害すると死刑で敵兵を殺すのは許されるという矛盾、極限下において人間の肉を食べることの是非、戦後の復興の波にうまく乗った人間と乗れなかった人間、そして最後に「天皇の戦争責任」についてまで言及しようとしている。
ありとあらゆる戦争映画が追求しようとした問題を全てこの一本で表現している。そのため追求の度合いがやや浅かったり、詰め込みすぎの印象もぬぐえないがそんなことはこの作品の持つパワーに比べればたいした問題ではない。
観ている間、ずっと妙な緊張感が走る。それは「富樫軍曹に何があったのか?」というミステリーの要素であると同時に「封印された戦争の記憶」というパンドラの函をあけることにより何が出てくるかわからない恐怖感だ。左幸子が訪ねていった富樫の戦友の一人が言う。「話してもいいですが、聞いててあんまり気持ちのいい話じゃないですよ」
それは各人にとって封印された記憶だ。ある者は真実を話せなくてウソをつく。それほどまでに凄惨な記憶だ。映画を観てるこちらも左幸子同様衝撃を受ける。
そして左幸子はラストに「国が勝手におっぱじめた戦争なのに、後始末は全部おらたちが引っかぶるだよ」と言い放つ。

映画において戦争は(例えば『連合艦隊』のように)「愛する人を救うために俺は戦う」というヒロイズムとして時々描かれる。もちろん「愛する人を救うために死ななければならなかった悲劇」は反戦映画として重要なキーワードだし、「自己犠牲の精神」は映画的にも面白い。画になる。そういう映画を否定するつもりはない。
だが実際の戦場の凄惨さはそんなものではないことをこの映画は教えてくれる。戦争なんてものは単なる「悲劇」ですむものではない。この『軍旗はためく下に』にはヒロイズムのかけらもない。あるのは極限状況におかれた人間の恐ろしさ、そういった極限状況に追い込む戦争の不条理だ。
言葉で訴えるのではなく、その恐怖は記憶として直接、脳裏に刻まれる。
そこには「アジアの開放」とか「欧米植民地主義から日本を守る」と言ったような戦争の大義名分はない。戦場で生きぬくということはどういうことかが理屈ではなく、本能的な記憶として刷り込まれる。
敵は何もアメリカだけじゃない。身内にだって敵はいるのだ!!

この原稿を書いているのは2003年8月初旬だ。
この秋、自衛隊は「イラク復興支援」の大義名分の名目の下に戦後初めて戦場に向かう。「どこが戦闘地域か私にわかるわけがない!」と言い放ったのは自衛隊最高司令官だが多分何か起こるだろう。もちろん何もないに越した事はないのだが、戦後「ゴジラ」としか戦闘経験のない自衛隊が戦闘に巻き込まればリドリー・スコットの『ブラックホーク・ダウン』的な大混乱になるのは必至。それとも1発の手榴弾の使用にも首相の許可が必要な『宣戦布告』的な世界か?
「国際貢献」とか「イラクの人々のために平和な国家を作る手助けをする」という、それだけ聞いていればもっともなことを政治家は常に言う。でも結局は「戦場」に行くのだし、何かあると考えるのが自然だ。
何故、いとも簡単に戦場に自衛隊が送り出される法律が出来てしまったのか?野党もマスコミも少しは騒いだがそれほどの大騒ぎではなかった。なにより日本国民が「なんとなく許してしまった」何故か?単純に言えば戦争の記憶がなくなったからだ。戦争の記憶がないから本能的に回避したくなる気にならない。
かく言う私も戦後生まれだし戦争の実体験はない。しかし幸か不幸か数々の戦争映画や戦争関連本の積み重ねが仮想体験となって本能的な恐怖感が起こるようになった。

この『軍旗はためく下に』を中学生の時に学校で見せられたという映画館主・Fさんは映画を観た後トラウマになったという。そりゃそうだ。戦友の一人、三谷昇の気味悪い目つきを見たらトラウマになるわな。女の子の中には泣き出す子がいたっておかしくない。
でもそのトラウマは戦争に対する恐怖、国家に対する不信感を生み出す。こんな映画を若い人に見せらたら絶対反戦主義者になるわな。『戦場のピアニスト』のようなじわ〜〜〜と心に残るものではない。突然平手打ちを喰らったような強烈な衝撃を感じる。
このトラウマを今の中高生も味わうべきだ。私が教師だったらこの『軍旗はためく下に』と岡本喜八の『沖縄決戦』を生徒に見せてやりたいね。そりゃ女の子の中には泣き出す子もいるだろうし、そのことで学校に怒鳴り込む頭の悪いとしか言いようのない親もいるだろう。そういったアホな親がいるからつい、先生も弱腰になる。教育問題は話がそれるのでこの辺で止めるけど、要はこの『軍旗はためく下に』をみんなに観て欲しい。
戦争とはなんなのかよくわかる。この映画を観たトラウマをみんなに抱えて生きていって欲しいものだ。
この映画の上映時間は比較的短くて1時間半だ。1時間半の映画体験で一人の反戦主義者が出来上がり。それぐらいこの映画のもつパワーはすごい。


『軍旗はためく下に』(1972年・日本/東宝)
監督:深作欣二
出演: 丹波哲郎。左幸子。三谷昇。藤田弓子。
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