9番さん

『ジョニーは戦場へ行った』は反戦映画か?

敬愛するとめ女史から『ジョニーは戦場へ行った』について書いて、と言われてはたと困ってしまった。
なぜかと言うと今だににあの映画の扱い、自分の中ではっきりしていないから。

僕は映画と名の付くものならまあどんなものでも見る。この歳になって、アメリカ映画あたりの金を無駄に使ったお間抜けな映画はちょっとごめんこうむりたい、という気分になってきたがそういう映画が好きだという人の気持ちは分かる。バイオレンスもポルノもOK。
しかしどうしても許せない種類の映画がある。それはプロパガンダ映画だ。映画を使って観客をどこかに導こうとする行為は、僕にはとても受け入れることはできない。そんなものは新興宗教の勧誘ビデオなどと同じだと思っている。
むろん反戦映画もその範疇である。
さて『ジョニーは戦場へ行った』だが、この映画が反戦映画であるか否か。それは僕の中で今だ答えが見つからないのである。

『ジョニーは戦場へ行った』は脚本家ドルトン・トランボが65歳にしてメガホンをとった初にして唯一の監督作品である。映画の公開は1973年だが彼自身による原作は1939年第二次世界大戦ぼっ発とほぼ同時期に刊行された。刊行後すぐに反戦小説として左翼運動の旗印となり、政府により発禁されたが戦後になって再出版された。朝鮮戦争ぼっ発と共にまた絶版。戦争中は絶版になり戦後再出版を繰り返した伝説的小説である。『スパルタカス』や『パピヨン』の脚本でも知られるドルトン・トランボは国家権力の赤狩り(マッカーシズム)に真っ向から抵抗したハリウッドの10人の映画人、いわゆるハリウッド・テンの中の一人。筋金入りの左翼だ。
原題の「Johnny Got His Gun(ジョニーは銃をとった)」は第一次世界大戦時の志願兵募集の有名なキャッチコピー「ジョニーよ、銃をとれ」への痛烈な皮肉だ。

アメリカ青年ジョニーは最愛の人と結ばれることもなく第一次世界大戦のヨーロッパの戦地に向かう。ドイツ軍の爆撃にあい両腕、両脚、目、口、鼻、耳を無くす。爆発の瞬間、人間は本能的に内臓器官を守る姿勢をとる、という医師の解説がリアルだ。身元不明兵として帰還した彼は研究用として病院に置かれるが彼の意識ははっきりとしていた。しかし周りの人間は彼に正常な意識がある事に気が付いていない。他の機能と同じように脳の機能も痛めつけられていると考えられている。だがジョニーは彼の意識を周りの人間に伝える術を知らない。人間は思考しながら行動し、行動しつつ思考する動物だがジョニーには行動が奪われ思考だけが残されている。
これはまさに地獄の状況である。病院にはただ一人、ジョニーを人として扱ってくれる若い看護婦がいて、クリスマスイブの夜ジョニーの胸にメリークリスマスと指で書く。首を振って喜ぶジョニーの姿が切ない。彼は日々の日付けすら分からなかったのだ。
やがてジョニーの首の動きがモールス信号に似ていると気付いた人間により、ジョニーに意識があることが知れる。「何かして欲しいことはあるか?」とモールス信号によって聞いてみると、「サーカスに出して見せ物にしてほしい」と言う。「それが出来ないなら殺してほしい」とも。「サーカスに…」という願望は病院関係者のみならず映画を観る我々観客の思惑をも完全に超えている。映画はご丁寧にもフェリーニ映画ばりの幻想的サーカスシーンを映し出すのだ。このサーカスのエピソードによって『ジョニーは戦場に行った』はあまたある反戦映画を超越しているのかも知れない。そして、この映画のメッセージは戦争というものだけに向けられているのではなく、人間の尊厳(死)とは何かという問題にも向けられているのである。

この一文を書くにあたって、映画を再び観てみたいと思って何件かのビデオ屋を廻ってみたが、見つけることが出来なかった。DVDも存在しないらしい。この事実はこの映画を本質を如実に表している。素晴らしい映画だが、二度と観たくない、と。これほどの名作にもかかわらず、再見したいと思う人は少ないのだと思う。それほどこの映画は観る人間にある覚悟を要求するのである。


『ジョニーは戦場へ行った』JOHNNY GOT HIS GUN(1971年・米)
監督:ダルトン・トランボ
出演:ティモシー・ボトムズ。キャシー・フィールズ。ドナルド・サザーランド。
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