『トータル・フィアーズ』THE SUM OF ALL FEARS(2002年・米)

監督:フィル・アルデン・ロビンソン。
出演:ベン・アフレック。モーガン・フリーマン。ジェームズ・クロムウェル。

ロシア担当のCIA分析官ジャック・ライアンはロシア大統領の急死により、新たに大統領となった人物の人物像を解析するため急遽CIA長官に召集される。その頃中東戦争の際、行方不明になっていた核ミサイルがネオ・ナチの手に渡り、彼らはロシアとアメリカ両国を互いに衝突させ、大規模な戦争を巻き起こし、自らを台頭させるというとんでもない計画が実行しようとしていた。そしてその計画は実行され、ロシアとアメリカ両国の緊張は一気に高まる。
この”ジャック・ライアン”シリーズは結構好きで全部観てるんだけど、はじめはなんでいきなりベン・アフレックまで若返る?と思っちゃった。でも観て納得。これベン・アフレックだからいいんですよね。若い彼が政府高官に無視されながらも懸命に戦争回避のために走り回るからこそ、面白味があるんですよね。この映画のベン・アフレック好きだな。硬いこと抜きにしてそれなりに楽しめる娯楽作品でした。ただひとつどーしてもひっかかった点が、CIA長官が騒然としたスタジアムの中にいるから携帯通じないって・・・(^^;)。そんなんでいいのか?しかも緊急時の連絡なのに携帯電話って・・・。ま、いっか、こんなこと言い出したらキリが無いしもしかしたら本当にこんなのかもしれないしね。

2002年8月19日(ヴァージンシネマズ泉北)

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『チョコレート』MONSTER'S BALL(2001年・米)

監督:マーク・フォスター
出演:ハル・ベリー。ビリー・ボブ・ソーントン。ヒース・レジャー。

黒人嫌いの差別主義者の父親から思想や行動を押し付けられて暮らす州立刑務所に勤めるハンクは自分の息子ソニーにも彼が父親から受けている同じ態度で接していた。そして 黒人死刑囚の刑の執行の際、ストレスに耐え切れなくなったソニーをハンクは罵倒する。そんな父親に自分への愛情を感じられず、追い詰められたソニーはハンクの目の前で自殺してしまう。息子の死をきっかけに自らを見つめなおすハンクはある日息子を車に轢かれた黒人女性レティシアと出会い、互いの喪失感を埋めあうが、彼女は自分が刑を執行した死刑囚の妻だった。その事実を隠し、彼女との生活を切望するハンクだが・・・
う〜ん・・・なんでこの映画でハル・ベリーがアカデミー主演女優賞なんだろう?あの体当たりのベッド・シーンのおかげなのか・・・としか思えなかった。しかし・・・暗い映画だねぇ。悪い映画ではないが・・・とにかく暗い。それにこの邦題ヘンだよ。私にはどう考えても、原題の「MONSTER'S BALL」の方がしっくりくるように思う。死刑執行人たちの死刑執行前夜の晩餐「MONSTER'S BALL」。この映画には実際の死刑の執行シーンはレティシアの夫だけなんだけど、すべてが刑の執行のような気がする。息子ソニーは自殺だけど、そこまで追い詰めたのはハンクだから刑の執行をしたのはハンクかもしれない。そして父親からの呪縛から逃れ、レティシアとの新しい生活を考えるハンクは父親を施設に入れる。これも一種の刑の執行だろう。息子ソニーのように実際に死は選ばなかったが、父親に押さえつけられていたハンクの心もまた父親に殺されていたと言えるんじゃないかな。そして極めつけのラスト外の階段に座り、ハンクとレティシアが二人で食べるチョコレートアイスはまさしく「MONSTER'S BALL」のような気がする。どちらが死刑執行人なのか?単純に考えると夫の死刑を執行したのがハンクだと知り、ショックを受けたレティシアがハンクを・・・とも考えられるが、そこまで単純ではないだろう。きっとその事実を知りつつもハンクに身を預けるしかないレティシアの心の死刑執行なんじゃないかなぁ。
人生毎日が「MONSTER'S BALL」・・・うわぁ!めっちゃ暗い!!(苦笑)

2002年9月1日(シネ・リーブル梅田)

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『太陽の雫』SUNSHINE(1999年)

監督:イシュトヴァーン・サボー
出演:レイフ・ファインズ。レイチェル・ワイズ。ローズマリー・ハリス。ウィリアム・ハート。

19世紀後半。父の死により家族を養うためにブタペストの醸造所で働くことになったエマヌエル・ゾネンシャインは25歳で独立し、父の残した薬草酒のレシピを元に「サンシャインの味」を造り成功を収める。ユダヤ人であることに誇りを持ち、二人の息子と養女とした弟の娘と妻、家族仲むつまじく暮らす彼らだが・・・。エマヌエルの息子、孫、そして曾孫。ゾネンシャイン一族3代の歴史がハンガリーの君主制、ファシズム、共産主義と大きく変動する歴史と共に描かれる。
こういう一大叙事詩と言われる作品も結構好きなので、かなり期待していたのだが・・・。いや、決して面白くないわけではないんですよ。ゾネンシャイン一族の話として歴史、政治に翻弄される人々を描いていて十分に堪能できる作品ではあると思うんですけどね。なんだろ?なんか今ひとつ物足りなさを感じてしまうんですよね。ベルトリッチの『1900年』と並び評されると記されていたんだけど、私は『1900年』の方がずっと好き。このあとどうなるんだろう?というワクワク度がこの作品薄かったのかなぁ。もしかしたらレイフ・ファインズがこの3代全部演じているから面白み半減してしまったのかな。3時間の長さに飽きはこなかったけど、感動した!とまではいかなかったな。そうそうこの映画観ててすごく気になっていたのが年老いたヴァレリーと若い日のヴァレリーがすごく似ていて、老けメイクにしたらすごすぎるなぁ〜、違うよなぁ・・・とすごく気になっていたのですが、この二人親子だそうで・・・。そりゃ似てるよ(笑)。でもこういうのって違和感ないから、このパターンこれからも多様して欲しいですね。

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『トーク・トゥ・ハー』TALK TO HER(2002年・スペイン)

監督:ペドロ・アルモドバル。
出演:レオノール・ワトリング。ハビエル・カマラ。ダリオ・グランディネッティ。

病院の一室。事故で昏睡状態となり、目覚めることのない女性アリシアに優しく話しかけながら彼女の体を拭き、髪や爪の手入れをする看護士のベニグノ。その姿をドアの隙間から見つめる一人の男マルコ。彼の彼女である女闘牛士のリディアも競技中の事故でアリシアと同じく昏睡状態で入院していた。ドアの外のマルコに気付き彼を招き入れるベニグノ。彼が以前観に行ったピナ・バウシュのステージで涙を流しながらステージをみつめていた男性だったことを思い出したベニグノは彼にアリシアへの愛を語る。愛しているからこそ献身的に彼女の世話をするベニグノ。愛しているはずの彼女に触れることも話しかけることも出来ないマルコ。いつしか深い友情で結ばれる二人だが、ベニグノのアリシアへの愛はとんでもない事件へと発展する。
映画の隅々に散りばめられた対比が秀逸だ。語り、微笑み、愛を与え続ける男。そしてその男はその愛に満足している。一方、何も語らず、泣き、愛を求め続ける男。そしてその男は自らの愛だけでは心は満たされることはないと知っている。ベニグノがマルコにアリシアと結婚したいと打ち明けたときマルコは言う「一人芝居じゃないか!」この言葉が重い。しかしベニグノにはこの言葉の意味は理解出来なかったんじゃないだろうか?ベニグノが感動したサイレント映画『縮みゆく恋人』この映画を観て愛しているからこそ彼女の一部になりたいと願うベニグノだが、私はこのサイレント映画のラストとこの映画本体のラストとが重なっているような気がする。自らの愛する思いに溺れた者は消えゆくしかない・・・。受け取り手のいない愛は狂気でしかない。ということなのかもしれない。

2003年7月20日(心斎橋シネマ・ドゥ)

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『デブラ・ウィンガーを探して』FEARCHING FOR DEBRA WINGER(2002年・米)

監督:ロザンナ・アークエット。
出演:パトリシア・アークェット。メグ・ライアン。ウーピー・ゴールドバーグ。

女優であるロザンナ・アークエットは、女優であり母であるということの両立に悩み、『愛と青春の旅立ち』で一世を風靡し、女優としての確実なキャリアを積みながら突然引退した女優デブラ・ウィンガーはどう考えていたのだろうか?と考えた。そして出来上がったのが本作、デブラ・ウィンガーをはじめ総勢34人の映画界で活躍する女優たちへのインタビュー映画である。
ハリウッド女優の本音がバンバン。すごく楽しかった。これに出演している女優さんたちみんなのファンになってしまいそうでした。母親であり女優である悩みには同じ女性として大変なんだなぁ・・・としみじみ感心し、女優として30代40代である彼女たちの話には映画ファンとして、確かにおかしいよ。とうなずいてしまう。「36を過ぎた女優のほとんどは整形に走る・・・」(苦笑)・・・確かにそうなんだろうなぁ。でもこの映画に出ている彼女たちは言う。自然でいいじゃない。これ女優に限った話じゃないよなぁ・・・と自分を振り返り反省(笑)。そんなにかまっているつもりじゃなくってもどっかに持ってるんですよね「若さ信仰」。自然に年とった40代、50代、60代の女性の素敵な物語の映画を観てみたいものです。そしてジェーン・フォンダの話には思わず鳥肌たっちゃった。女優って・・・俳優ってやはりすごいですよね。光の輪の中に入り最高の演技をする。それが出来たときには飛行機が滑走してすっと飛び立つようにその人物になれる。そしてあとはダンスを踊っているような気分になる。しかし彼女は49本の作品に出演したけれど本当にそんな体験が出来たのは8回か10回だと言う。この映画は彼女たちの素顔と本音だけでなくプロとしての彼女たちのすごさも垣間見ることが出来て本当に面白い作品でした。

2003年10月18日(心斎橋シネマ・ドゥ)

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『トロイ』TROY(2004年・米)

監督:ウォルフガング・ペーターゼン。
出演:ブラッド・ピット。オーランド・ブルーム。エリック・バナ。ショーン・ビーン。ピーター・オトゥール。

ギリシャの侵攻を避けるためにその連合国であるスパルタとの同盟を結んだトロイだが、その同盟の使者としてスパルタへ訪れていたトロイの王子パリスは、スパルタの王妃ヘレンと許されぬ恋に落ちていた。そして若さ故の情熱からヘレンをスパルタから奪い去ってしまう。スパルタの王メネラウスからこのことを聞かされたギリシャの王アガメムノンはトロイ侵攻の絶好の機会を得、トロイへの進撃を開始する。ギリシャ最強の戦士アキレスはアガメムノンに反感を抱き、当初参戦を拒むが自らの名を残すために参戦する。
派手で豪華でそれなりに楽しめました。物語としての面白さは・・・ちょっとね。って感じですが、まずまずの超大作ではないでしょうか。根本的にこの物語って冷静に考えてしまうともっとちゃんと考えて行動しろよ。ってことでどう考えても納得のいかない物語なのですが、史実なんだから仕方ない(笑)。きれいなお兄さんのオーランド・ブルーム扮するパリスってなんかすごくはまり役って感じですね。若くてきれいで頼りなくって、情けなくって・・・。それに途中奮起して弓の練習しているシーンでは、これは『ロード・オブ・ザ・リング』絡みのサービスショットかと思ってしまいましたよ。ピッ君もがんばってたんじゃないですかねぇ。あの殺陣のシーンには見惚れてしまいました。しかしピーター・オトゥールはすごい。なんだか彼の場面だけ雰囲気が違ってるような気がしました。

2004年5月30日(TOHOシネマズ泉北)

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『デイ・アフター・トゥモロー』THE DAY AFTER TOMORROW(2004年・米)

監督:ローランド・エメリッヒ。
出演:デニス・クエイド。ジェイク・ギレンホール。イアン・ホルム。エミー・ロッサム。

二酸化炭素の大量排出に伴ない地球温暖化が深刻化する中、古代気候学者のジャックは南極での調査結果からこのまま温暖化が進めば、北半球は氷河期に突入していくとニューデリーで開かれた地球温暖化国連会議で発表するが、そんな何十年も先の話で経済コストをあげるわけにはいかないとアメリカ副大統領に一笑されてしまう。ところが、時期をまたずして世界各国が前例のない異常気象に見舞われ、巨大ハリケーンがロスを襲い、大津波がマンハッタンを呑み込み、ニューヨークを寒波が襲い、ジャックが予想した北半球の氷河期への突入がまさに今起ころうとしていた。
すごい。この映像のすごさはやはり劇場で観てこそ・・・のものですね。この映像を観ただけでこの映画を観た甲斐がある。大掛かりな映像で、すごいパニック映画かと思いきや・・・父と子のヒューマンドラマってのがこれまたすごい(笑)。さすが今やアメリカの父親をやらせるのはこの人以外いないだろうというぐらいにアメリカの理想の父親となったデニス・クエイド主演作品ですね。いや、別にくさしてるわけじゃないんですよ。これもありだな・・・というより、ここまで壮大な異常気象による氷河期化なんてものを持ってきたら、どう納まりつけていいかわかんなくなるところを親子愛、家族愛に持ってきてるという力技に感激してるんですよ。決してつまんない映画ではないです。こういうすごい映像シーンを作れるっていうのはやはりさすがハリウッドですねぇ。堪能しましたよ。

2004年6月7日(TOHOシネマズ泉北)

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『トスカーナの休日』UNDER THE TUSCAN SUN(2003年・米)

監督:オードリー・ウェルズ。
出演:ダイアン・レイン。サンドラ・オー。リンゼイ・ダンカン。ラウル・ボヴァ。

作家のフランシスは思ってもみなかった離婚から、立ち直れず傷心の日々を過ごしていた。そんな彼女をみかねた友人のパティはフランシスに10日間のトスカーナ旅行をプレゼントする。トスカーナに着いても気持ちの晴れないフランシスだったが、ふとみかけた“ブラマソーレ(太陽に焦がれる者)”という名の家に惹かれ、衝動的に購入してしまう。築300年の家の修復工事をするうちに、自分らしさを取り戻していくフランシス・・・。
なんともラストの気持ちいい清清しい映画でした。明るい太陽の下で大きく手を広げて明るい日差しを浴びて過ごすことって誰にとっても最高の再生法なのかもしれない。この映画の舞台トスカーナの映像は、観ているだけでも心地のいい風景でした。それにしても唯一納得のいかないのが、あの離婚調停。売れないダンナを養ってやってたのに、そのダンナが浮気して離婚。それなのにダンナに慰謝料支払わなきゃならないって、一体どうういこと!?あんまりだ・・・。あ、そうそうこの映画の中でネットで恋愛していて年齢がわかってふられちゃって落ち込むおばあちゃんかわいいなぁ。いくつになっても恋をするって素敵なことですよね。

2004年8月2日(OS劇場C・A・P)

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『天国の青い蝶』THE BLUE BUTTERFLY(2004年・カナダ/英)

監督:レア・プール。
出演:ウィリアム・ハート。マーク・ドネイト。パスカル・ブシェール。

末期の脳腫瘍に侵され余命いくばくもない10歳の少年ピート。彼の夢は中南米の熱帯雨林にしか生息しない幻の青い蝶ブルーモルフォを自分の手で捕まえることだった。息子の夢を知った母親テレサはなんとしても彼の願いを叶えたいと昆虫学者アラン・オズボーンを訪ねる。ブルーモルフォを捕らえるには時期が遅すぎる・・・まして車椅子の少年をジャングルに連れて行くことなんか出来ないと最初はあっさりと断ったアランだが、ピートの熱意に負け、彼の願いを聞き入れる。アランと共に念願の夢を叶えるためにジャングルへと進むピート。そこで彼を待っていたのは幻の青い蝶がもたらす奇跡だった。
この物語は10数年前に起こった奇跡的な実話がもとになっている。奇跡の物語、そして絶対に造り得ない本物の壮大な自然の風景、そこに息づく様々な昆虫たち。虫が苦手な私でも彼らの自然と溶け合う映像に見入ってしまった。何よりもこの映画うれしかったのはいつもは知的な優男風の役柄の多いウィリアム・ハートが昆虫学者という知的ではあるが、どちらかというと肉体派、体力勝負の役柄だったこと(笑)。ま、確かに齢を経て体力派的な体型になってはいるのですが・・・(^^;)。すみません白状します。この映画途中から実話でラストがわかってるもんだから、ウィリアム・ハート演じるアランとピートの母親テレサのラブストーリーに替わってくれないかしら・・・などと不届きなこと考えながら観てました。全体的な映画の出来はというと・・・映像は本当に心洗われるくらいにきれいだし、物語も心安らぐ奇跡のお話。決して悪くはないんですが、いかんせん「実話」という枠に縛られすぎたのか、あっさりしすぎでしたね。私としてはもっとオーバー気味の方が映画にのれたような気がします。とか言いながらウィリアム・ハートがよかったからそれだけで充分なんですけどね(笑)。

2004年9月13日(シネ・リーブル梅田)

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『大統領の理髪師』THE PRESIDENT'S BARBER(2004年・韓国)

監督:イム・チャンサン。
出演:ソン・ガンホ。ムン・ソリ。リュ・スンス。

1960年代の韓国。大統領官邸のある町で床屋を営むソン・ハンモは学はないが、大人しくマジメでその町に住む他の人たち同様、ただただ大統領の住む町に住んでいるということだけで大統領支持者で、李承晩大統領の選挙では不正な手段に手を貸し、軍事クーデターで大統領が朴正熙に替われば店に朴正熙大統領の写真を飾るという政治には程遠い善意の人。そんな彼がある日大統領官邸に出入りする大統領専用の理髪師に選ばれてしまう。そして彼は朴大統領の就任から暗殺まで、大統領官邸に出入りし、政治の裏と表を目撃することになる。
この映画を観ながら韓国ってこんな国だったのか・・・と思わず絶句してしまった。こんなに近い国なのに韓国の歴史ってホント何にも知らないんですよね。何本もの韓国映画を観ているくせに・・・反省。一般市民の代表のようなソン・ハンモの目を通して歴史的事実がコミカルに描かれてはいるものの笑えない。コミカルにわかり易く描かれているからこそ余計に笑えないのかもしれませんが。北朝鮮のゲリラ部隊の進入事件で彼らが下痢をしていたからと、下痢をしているものが怪しいと無差別で理不尽なスパイ狩り。真面目で大人しい一般市民が政治家に踊らされてというわけでもなく、ただその真面目さと大人しさ故に巻き込まれ、被らされる被害。しかしこの映画のラストを見てこの映画は過去の歴史を批判しているわけでも朴大統領の独裁を批判しているのではなく、無自覚に無批判に時の権力に自らを委ねていた善良な人々・・・委ねている善良な人々に対し、自らの決断を・・・とやんわりと訴えているような気がした。

2005年4月11日(パラダイススクエア)

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『単騎、千里を走る。』(2005年中国)

監督:チャン・イーモウ。
日本編監督:降旗康男。
出演:高倉健。リー・ジャーミン。ジャン・ウェン。チュー・リン。寺島しのぶ。

小さな漁村で一人暮らす高田の元に息子健一の嫁から、健一が緊急入院したとの連絡が入る。長年の確執から言葉を交わすことすらなくなった二人。今なら和解できるのではという嫁の言葉に病室まで行くが、その病室から聞こえる息子の拒絶の声。そしてその時嫁から渡された一本のビデオにより、健一が中国麗江市に古くから伝わる仮面舞踏劇に魅せられていた事、仮面劇の一つである「単騎、千里を走る。」を撮影するために再度中国を訪れる約束をしていたことを知る。息子のために出来ることは自らが息子の代わりに「単騎、千里を走る。」を撮影することだと考えた高田は単身中国へと渡る。そしてそこで高田が得たものは・・・。
網走からとうとう中国の刑務所まで行っちゃった健さんですが、そんなとこまで行っても健さんは健さんでしたねぇ(笑)。チャン・イーモウ監督がぜひとも健さんで!と言った理由がこんなにもあっさり簡単にわかってしまう映画も珍しい。この作品は間違いなく健さんだからこその映画ですね。「不器用ですから・・・」寡黙で直球勝負しか出来ない男の生き様そのもののような映画です。いくらなんでもいきなり中国行ってどうするの?って話なんですが、息子のために「単騎、千里を走る。」を撮影するという目的よりも案外、遠く離れてしまった息子の心に少しでも近づきたい。そんな想いで息子の立った場所に立ちたかっただけなのかもしれません。それでも行った限りは撮影したい。なんせ「不器用ですから・・・」(笑)。でもね、この健さんの不器用な男ぶりに感動するのもいいのですが、これ少し視点を変えると人間ってどっか不器用なんですよね。同じ言葉を話していても話の通じないことは多々ある。説明すれば説明するだけだんだん腹立ってきて嫌になる。はなっから言葉が通じなかったらどうだろう?心に問いかけるしかない。そんなことをこの映画は言葉が通じたって、説明すらしない出来ないとことん不器用な健さんを持ってきて描いているような気がする。だからと言って私が感動したか?って言うと・・・(^^;)・・・ハハハ・・・。ここまで不器用な男はねぇ(笑)。

2006年1月30日(TOHOシネマズ泉北)

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『ダ・ヴィンチ・コード』THE DA VINCI CODE(2006年・米)

監督:ロン・ハワード。
出演:トム・ハンクス。オドレイ・トトゥ。イアン・マッケラン。ジャン・レノ。

ある日、ルーブル美術館内で館長のジャック・ソニエールが何者かに殺害される。全裸で奇妙な形で横たわる死体の周りには不可解な暗号らしきものが記されていた。そしてその容疑者として講演のためにパリに滞在していた宗教象徴学者であるハーバード大教授ロバート・ラングドンが、事件現場に連行される。ソニエールとの会見の約束があったことで、事情を聞かれるために呼び出されたと思っていたラングドンだが、そこに現れた暗号解読官ソフィー・ヌヴーから彼を呼び出したファーシュ警部の真意を聞き、死体の側の暗号を解き事件を解決するためにはラングドンの協力が必要だとするソフィーと共に警察の手を逃れルーブル美術館を後にする。死体の側にあった暗号はソニエールの手によるダイイングメッセージだった。そしてその暗号が示すものは・・・。
う〜ん・・・それなりには楽しめた。わかり難いこともなかったし・・・だけど、なんちゅうか・・・はしょりすぎなのか、詰め込みすぎなのか・・・(^^;)。妙な案配ですな。物語は詰め込みすぎ。暗号解読ははしょりすぎ。って感じかな。そら、これだけの作品を一本の映画に纏めなきゃなんないんですから、暗号解読をチマチマやってる場合じゃないっていうのはわかるんですが、大元の物語よりもこの暗号解読をやることによって、少しづつ紐解かれる聖杯伝説が面白いのが原作だと思うんで、その面白味をとっぱらっちゃったらなんか無理があるような気がするんですよねぇ。それでなくても原作ですらラストはなんじゃそら?って気になっちゃったのに(笑)。大風呂敷広げて大作っぽい宣伝しておりましたが、決してそういう作品ではないですな。それにしてもなんでも、この作品の前作『天使と悪魔』も映画化の企画はじまったとか・・・(^^;)。大丈夫なんだろうか?しかも原作者はラングドン教授シリーズとして第三作目を執筆中らしいし・・・。人間引き際が大事だと思うんですけど・・・。

2006年6月5日(TOHOシネマズ泉北)

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『太陽』The Sun(2005年・露)

監督:アレクサンドル・ソクーロフ。
出演:イッセー尾形。ロバート・ドーソン。佐野史郎。桃井かおり。

1945年8月。地下防空壕で起居する昭和天皇。戦況は日々悪化の一途を辿っているのに、本当のことが天皇には報告されない御前会議。戦争など天皇には関係ないですよとばかりに淡々と消化される毎日のスケジュール。街が焼き尽くされる夢にうなされる天皇。やがて戦争は終結し、マッカーサーとの対面により、「現人神」であった天皇が「人間」へと変わる。
イッセー尾形さん演じる昭和天皇は確かに似ている。でもあの飄々とした仕草や訥々とした話し方はかなりなお年だからだとばかり思っていたのですが・・・(^^;)。若い時からあの雰囲気だったのかな? 話題作なんでこれはぜひとも観なければ!と勢い勇んで観に行ったのですが、始まってすぐに睡魔が・・・(^^;)。淡々としすぎてたせいでしょうか? でも、マッカーサーとの会見のあたりから、昭和天皇の動きがより人間に近くなったせいか、活発になりやっと睡魔から開放されました。でもこの作品いいんだか悪いんだか・・・(^^;)。時折これはもしかして新手のコメディなのか?という不謹慎なこと思っちゃいましたよ。だって昭和天皇と年老いた侍従の動きって、どうみてもコントだよ。チョコレートを巡るやりとりに、「一人にしてくれ!」と言う天皇をしつこく部屋の隅からのぞく侍従。物語の流れにメリハリをつけるためのものだとは思うですが・・・ねぇ。なんでもいいけど「チョコレートおしまい!」ってのがインパクト強すぎて思いっきりそこだけ残っちゃいましたよ(笑)。 天皇の戦争責任云々はともかく・・・どうにもこの映画の昭和天皇はいい人過ぎましたね。いい人か悪い人かっていう点では悪い人ではないと思うんですよ。でもねぇ、やはりこの人は「昭和の怪物」だと思うわけですよ。だからその怪物っぽさ(妖怪っぽさはあったのですが)が少しスパイスとして欲しかったなって思いました。

2006年10月23日(MOVIX堺)

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『トンマッコルへようこそ』Welcome To Dongmakgol(2005年・韓国)

監督:パク・クァンヒョン。
出演:チョン・ジェヨン。シン・ハギュン。カン・ヘジョン。イム・ハリョン。ソ・ジェギョン。

1950年。朝鮮戦争の最中、一機の戦闘機が墜落。その機に乗っていた連合軍兵士スミスは山奥の小さなトンマッコルという村の村人に助けられる。彼が村人に助けられてからしばらくして2組のお客様がトンマッコルを訪れる。二人の国軍の兵士と三人の人民軍の兵士。彼らは互いに違う場所で道に迷いそれぞれに親切なトンマッコルの村人に助けられ、案内されて村にやってくる。最初は互いに敵同士ということで睨みあう二組だが、やがて武器も戦争も何も知らない村人たちの雰囲気に彼らの気持ちが次第に打ち解けていく。しかし平和でのんきなこの村にも戦争の危機がやってくる。
この作品は私は大好きです。ファンタジーと言えばファンタジーなんですが、それだけに終わらないラストがいいです。幸せで平和な村トンマッコル。出来すぎかな?私はそうは思わないんですよね。欲を持たず危険もなければ人はああいう風に生きられるんじゃないかな。村長が村をまとめる方法を問われたとき、「腹いっぱい食わせる」というようなことを言っていたんですが、まさしくその通りですよね。食えれば幸せなんですよ。以上を望むことで人は歪んでいくんじゃないでしょうか。その食べるってことで6人の兵士たちも仲良くなりましたしね。 彼らの最後の戦いに臨むシーンには目頭が熱くなった。戦う理由はただ一つ。大事なものを守るため。その大事なものが侵されなければ誰も戦う必要はないんですよね。

2006年11月6日(動物園前シネフェスタ)

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『父親たちの星条旗』Flags of Our Fathers(2006年・米)

監督:クリント・イーストウッド。
出演:ライアン・フィリップ。ジェシー・ブラッドフォード。アダム・ビーチ。バリー・ペッパー。

1945年2月16日。米軍は硫黄島へと上陸した。この島を米軍の手中に納め、日本本土攻撃の足場とするためであった。連合軍は当初、兵力の差からこの硫黄島奪取の作戦は5日間で終了する予定にしていた。ところが日本軍の猛攻は凄まじく、この小さな島で36日間に渡る戦いが繰り広げられた。 その戦いの最中、米軍兵士たちは勝利のシンボルとして摺鉢山に星条旗を掲げる。そしてその時の写真が長引く戦況に疲れたアメリカ国民の士気を高めるために大きく新聞で採り上げられ旗を掲げる兵士たちは忽ち英雄として祭り上げられる。旗を掲げた兵士6人のうち生き残ったジョン・ブラッドリー、レイニー・ギャグノン、アイラ・ヘイズの3人は、戦地から帰還させられ、硫黄島の英雄として国債販売のためのキャンペーンに借り出される。
私はこの作品に関しては全くの予備知識なしで劇場へ行ったので、戦地とアメリカ。そして現在のアメリカというシーンの転換に最初戸惑ってしまった。戦争映画=戦地。というインプットがされているものでね・・・(^^;)。でもこの手法のおかげで余計に胸がキリキリと痛んだ。そしてとてもわかり易かった。決して派手な映画ではないんですよね。まず出演者が地味だ。私なんてライアン・フィリップとバリー・ペッパーしか知らないですもん。でもこの二人とて派手な役者ではないんですよね。そうヒーロー然としていない。印象的な写真のせいで英雄に祭り上げられてしまった彼らは、英雄でなんかはなかった。というより戦場に英雄はいないんですよね。何のために戦うのか?アメリカ兵の場合は愛するものを守るためというのではなかったと思う。多分英雄になるためだったんじゃないのかな?大学出の彼らは戦争には行っていないんだっていうセリフがありましたからね。英雄にならなければならない彼らは自ら戦場に赴き、自らの死を賭けて英雄になる道を切り開く・・・だけど、実際に戦場に立った彼らには目の前に敵がいるからただ戦うだけなんですよね。英雄になろうなんて気持ちを持っている余裕なんかない。それでもなんとか戦いに勝利し、帰還しても彼らの望むものは何も手に入らなかったんじゃないだろうか?この作品で描かれる硫黄島の英雄として祭り上げられた3人の運命がそれを端的に語っているように思う。衛生兵という立場から人よりも多くの死を目の当たりにしてきたジョン・ブラッドリーが唯一、英雄の儚さと嘘に気付いていたんでしょうね。その彼が帰還後戦争での話しは一切語らずただ黙々と葬祭業を営んでいたというのは、もしかしたら助けられず、また葬ることも出来なかった戦友への思いも含んでいたのではないでしょうか?そして祭り上げられた英雄を喜びその立場を一番受け入れていたレイニー・ギャグノンは、英雄になろうとして戦争に行ったという典型かもしれません。だから無鉄砲だからと伝令を任じられたんでしょうね。戦場で英雄になる機会の得られなかった彼が一枚の写真のおかげで英雄になり、その英雄の今後は・・・とさぞかし期待していたのでしょう。でも作られた英雄は賞味期限が切れるとそれまで。そして英雄にはなれてもアメリカ人にはなれなかったアイラ・ヘイズの人生が一番哀しすぎます。戦争に善悪はない。戦争で亡くなった人たち。戦争で心潰された人たち。その加害者は敵国ではなく自分たちが信じて戦った国旗をかざす国なんですよね。

2006年11月13日(TOHOシネマズ泉北)

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『トゥモロー・ワールド』 CHILDREN OF MEN(2006年・英)

監督:アルフォンソ・キュアロン。
出演:クライヴ・オーウェン。ジュリアン・ムーア。マイケル・ケイン。

西暦2027年。人類は生殖能力をなくし、18年に渡り一人の子供が生まれず、世界各地に紛争やテロが蔓延し、多くの国が今や無政府状態となっていた。唯一政府としての機能を保ち、国家として成り立っていたイギリスは、すべての移民者を徹底して締め出していた。そんな中、エネルギー省に勤めるセオは別れた妻であり、地下組織Fishのリーダーでもあるジュリアンから、移民の少女キーをヒューマンプロジェクトに引き渡すための通行証を用意して欲しいと頼まれる。セオが用意した通行証は同行者としてセオが必要なものであったため、セオは彼らと行動を共にするが・・・。
決して悪い映画ではないと思う。地味なようで派手な映画だ。いや、派手なようで地味なのか・・・。描きたいことや、描き方には問題はないんだろう。でも、どうも軸はあるんだけど、そのつなぎが弱い。流れがかみ合わないというか、理解出来ないというか、わかり難いんですよねぇ。 とりあえずネタばれ改行。





妊娠している移民の少女キーをヒューマンプロジェクトに渡す。っていうのは、まぁわからなくはない。移民を排除しているイギリス政府の手に渡ると、なぜ彼女が妊娠出来たのか?とか実験動物的に扱われる可能性は大ですからね。でも、ここでなぜヒューマンプロジェクトなのか?一体これってどんな団体なのか?がわからない。おまけにジュリアンを殺害してまでキーを自分たちの物にして武装蜂起しようとするFishのメンバーの行動理念が全然わからない。キーとその子供を自分たちの手にして一体どうなるの?もしかしてこれってマリアとキリストって感じなのかな? 子供が生まれないということにより見えない未来。それによる恐怖と退廃。そこに指す一条の光。この流れはよ〜くわかる。そしてただ只管キーを守り抜くセオ。戦わずに守るセオの行動には深く突き刺さるものがある。・・・だけど、ヒューマンプロジェクトってなんなのさ!?Fishがなんで武装蜂起のためにキーがいるのさ?ってことは無視できでもヒューマンプロジェクトだけは無視出来ない。そこにキー渡したらどうなるの?もしかしたら信じるものが何なのかさえわからない・・・っていうのも描いているからこうなってるのかなぁ・・・。深読みも、鋭い感覚も持ち合わせていない私には不向きな作品ってことなのかも・・・。(^^;)

2006年11月27日(TOHOシネマズ泉北)

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『ドリーム・ガールズ』Dream Girls(2006年・米)

監督:ビル・コンドン。
出演:ジェイミー・フォックス。ビヨンセ・ノウルズ。エディ・マーフィ。ジェニファー・ハドソン 。

1962年のデトロイト。エフィー、ローレル、ディーナの三人は"ドリーメッツ"というトリオを組み、デトロイト・シアターの公開新人オーディションの舞台にいた。中古車販売の傍ら、音楽業界への進出も目論んでいたカーティスは彼女たちの才能に目をつけ、オーディションの選考から彼女たちをわざと落とさせ、彼女たちをデトロイト・シアターの人気歌手ジミー・アーリーのバック・コーラスへと売り込む。ジミー・アーリーの歌声と見事にマッチした彼女たちの歌声の人気はデトロイトだけに留まらず全米の注目をも集め出した。マネージャーとしての辣腕を揮うカーティスは彼女たちをバック・コーラスからはずし"ドリーム・ガールズ"としてボーカルグループとして売り出し、彼のショー・ビジネスへの野望は留まることを知らず、やがて自分たちのレーベル"レインボー・レコード"を立ち上げる。今までの黒人の枠を破り快進撃を続ける彼らだったが、少しづつ不協和音が聞こえだす。
まずはジェニファー・ハドソンの歌唱力に驚く。ここで一気に映画の世界に引きずり込まれた。なんか久々に音楽映画として完成度の高いものを観たような気がする。これってミュージカル映画なのかな?確かに心情を歌で・・・というシーンがあるからミュージカルなのかもしれないけど、ここ最近のミュージカル映画のようなとってつけたって感じが全然しないのがいい。歌が映画の基本になってるから、ミュージカル映画によくあるいきなり歌いだしますか?という無理がない。それにこの映画観終って劇場出てすぐサントラ買ったんですが、すぐに欲しくなるくらいにすべての曲がいいんだ。歌もいいし、物語もいいし、出演者がこれまた全部いい!でもってラストがいいんだわ。一人の少女の姿に目をとめて引き付けられるように最前列の客席へと進むカーティス。ファミリーで始まって、それが崩れて、でもまたきっとファミリーなんだろうと思われせるラストにちょっぴりジーンときちゃいました。気持ちのいいラストだなぁ。

2007年2月27日(TOHOシネマズ泉北)

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『ツォツィ』 TSOTSI(2005年・英/南ア)

監督:ギャヴィン・フッド。
出演:プレスリー・チュエニヤハエ。テリー・ペート。ケネス・ンコースィ。

南アフリカのヨハネスブルグ。ツォツィ(不良)と呼ばれる少年と3人の仲間。彼らは富裕階級の人を襲い暴力で金品を奪う生活をしていた。ある日ツォツィは仲間と揉めたことで、一人で高級住宅街へ行き、黒人女性の運転する車を奪って逃走する。彼は金目のものを漁り車を乗り捨てようとするが、なんと後部座席に赤ん坊が乗っていた。一度はそのまま立ち去ろうとしたツォツィだが、なぜかその赤ん坊を紙袋に入れ自宅に連れ帰る。赤ん坊と接することで、呼び覚まされる彼の記憶。そして少しづつ彼の中の何かが変わっていく。
この物語はもちろんフィクションなんだけど、この物語の背景は現実のものらしい。貧しいから、最下層に暮らしているから、犯罪のみで生活していいなんて話はないし、そんなものが重ねていく罪の言い訳になんかなる訳がない。だけどここで描かれるフィクションに下敷きにされた現実は、人から正邪の判断を奪ってしまうに足る貧しさだ。住むところがない食べるものがない、着るものがない。そんな貧しさの上に愛がない。土管で子どもたちだけで暮らすストリート・チルドレン。名前を捨て過去を捨て、生きる意味さえもわからずに未来をも捨てたツォツィ。それでもそんな彼が赤ん坊と接することで、過去の記憶を甦らせる。その甦る記憶と、少しづつ変わって行く彼の心の機微が彼の仕草や表情に現れるんですが、この主役のプレスリー・チュエニヤハエがすごく上手い。そしてこの作品のラストに残る希望にホッとする。

2007年5月21日(シネ・リーブル梅田)

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