『サイダーハウス・ルール』

監督:ラッセ・ハルストレム
原作・脚色:ジョン・アーヴィング
出演:トビー・マグワイア。マイケル・ケイン。シャーリーズ・セロン。

メイン州ニュー・イングランドにある孤児院。院長であり医者でもあるラーチの仕事は分娩と当時禁止されていた堕胎だった。堕胎された子は秘密裏に焼却炉へ葬られ、また、無事生まれた子でも母親に抱かれることもなくそのままその孤児院で新しい家族を待つことになる。そんな孤児院で育ったホーマー・ウェルズは過去に2度里親が見つかり引き取られていったが2度とも里親の意に添わず元の孤児院に戻されていた。そんな彼をラーチ院長は特別な子なのだと思い、父親のように愛情を注ぎ、自らの医術をも彼に習得させた。やがてホーマーは青年になり、ひとりで分娩手術すら行えるようになっていたが、ラーチ院長の意に反して堕胎手術だけは決して行おうとはしなかった。そんなある日堕胎手術にやってきたキャンディとウォリーに出会ったホーマーは彼らに外の世界のあこがれを重ね、彼らと共に孤児院を出ることを決意する。ウォリーの家のリンゴ園で働くことになったホーマーにはすべてが新鮮だった。はじめて見る海、ドライブ・シアター。ウォーリーが出征して残されたキャンディとの恋。孤児院ではラーチ院長はホーマーが帰ってくることを望み、彼に診察カバンを送るが、彼からの手紙で彼が恋をしていることを悟ったラーチ院長は彼がもう帰って来ないと悲嘆にくれる。ところがすべてが充実しているはずだったホーマーがラーチ院長がくれた診察カバンを使う日がやってくる。
孤児院に堕胎・・・なんとも暗いテーマのような気がする設定ですが、見終わって清清しい気持ちになりました。これはホーマー・ウェルズの青春物語なのかもしれない。だけどσ(^-^)にはラーチ院長とホーマーの父と子の話という印象の方が強かった。父親の愛情というのは母親の愛情よりも伝わりにくいものがあるように思う。どれだけ大きな愛情を持っていたとしても母親の自己犠牲にも近い無償の愛にはある種劣ってしまうかもしれない。けれど父親の愛情とは母親の愛情にはない無骨だけれども100%思っていないと見えるけれども(中には100%ではない人もいるかもしれないけれど)心底子供を一人の人間としてみつめているそんな愛情ではないのかな?そしてこのラーチ院長も心からホーマーを思っている。だけど外の世界に旅立ちたいと願うホーマーにはわからない。これは父と子の永遠のテーマだと思うんですが、それでもやはり子は父の後姿を常に見ている。これは今の自分には必要がないんだと診察カバンを送ってくれたラーチ院長に告げたホーマーがその診察カバンを開くことになった時、彼にははっきりとわかったはず。きっとカバンを開いたときに彼の目に映ったのはきっとラーチ院長の姿だと思う。このラーチ院長のキャラがすごくいい。これがごりっぱなだけのキャラならそれこそありふれた父と子の物語で、なんとも説教臭い映画になっていたのかもしれないけど、なんともやんちゃな部分もあるし、どこか弱い部分も持っている。さすがはマイケル・ケインとうならせてくれる演技です。自分の父親が亡くなってもう10年以上になるのですが、最近になって自分が父に似ていると自分でつくづく感じるようになったんです。そしてそのことによって自分の父に対する思いもどこかかわってきて・・・。だから余計にこの映画σ(^-^)の心に響きました。ちなみに原作だとホーマーが孤児院を出てからまた孤児院に戻るまで15年間あるそうです。映画ではそれが15ヶ月・・・。なんだか原作が読みたい気になりました。

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『サウンド・オブ・ミュージック』THE SOUND OF MUSIC(1965年・米)

監督:ロバート・ワイズ
出演:ジュリー・アンドリュース。クリストファー・プラマー。

修道女になるべく修道院に入ったマリアは奔放で音楽好き。修道女には向いていないのではないかと考えた院長はこれもひとつの修行だと厳格はトラップ家へ家庭教師として赴くことを命じる。トラップ家の一筋縄ではいきそうにない7人の子供たち、そして軍隊のような規律で子供たちを指揮するトラップ大佐に始めは躊躇するマリアだが、持ち前の明るさと大好きな音楽でトラップ家に明るさと音楽を蘇らせる。やがて大佐との恋が芽生え、結ばれるがオーストリアにナチスが侵攻し、ナチスに抵抗するトラップ一家は亡命を決意する。この映画を知らない人はいないんじゃないかというくらい有名なミュージカル映画です。
この映画は本当に何度観てもいい。これで一体何回目だろう?この映画を観たことがない人でもこの映画に出てくる曲は絶対に聞き覚えがあるはずだというくらいに有名な映画ですよね。各場面で使われる音楽がすべていい曲なんですよ。明るく楽しくなる。約3時間の長い映画なんだけど、ドラマがテンポよく組み立てられている。音楽を通して子供たちと仲良くなるところから、トラップ大佐との恋。このトラップ大佐との恋の描き方もいいんだなぁ。お互いを意識しはじめるところから気持ちを打ち明けるところまでが特に大好きです。そしてナチスの侵攻という暗い部分も要所にうまく描きこんでいて、ラストの亡命シーンも無理なくって、映画の明るさを失わないように、でも決して軽くならないような作りになっている。本当にすごい映画です。ミュージカル映画としてはもちろん。ラブストーリーとしてもσ(^-^)のお気に入りの映画です。

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『ザ・ダイバー』(2000年・米)

監督:ジョージ・ティルマン,JR.
出演:ロバート・デ・ニーロ。キューバ・グッティング・Jr.。シャーリズ・セロン。

まだ、黒人差別が目に見えて色濃く残る時代。小作農の父から上を目指せと激励され希望を胸に海軍に入隊したカール・ブラシアを待っていたのは海軍に入隊しても黒人にはコックが雑役係しかさせてもらえないという現実だった。だが泳ぎが得意だった彼は運良く甲板兵になり、ダイバーの仕事を目の当たりにしダイバーになりたいという希望を持つ。しかしなんとかダイバー養成所にただ一人の黒人として入所した彼を待っていたのは過酷な差別だった。黒人ではじめてダイバーになった実在の人物カール・ブラシアの物語。
主人公が差別、いじめを乗り越えてなんとかダイバーになるまでの話かと思ってたのですが、これ男の友情、白人と黒人という違いこそあれ、自分が誇りに思う仕事にかける男の物語なんですよね。って・・・原題は『MEN of HONOR』だよ(笑)。主人公のカールとデ・ニーロ演じるサンデーの二人の関係がいいんですよね。相容れないような関係の二人が気付かないうちに心のどこかで繋がっていて最後にはすごくいい関係になる。ラストはすごく気持ちいいな。でも、これサンデーっていう人物を巧く演じているデ・ニーロの勝利かな?だって、このサンデーがいなきゃ、主人公のカールってあまりにもいい人すぎて面白味に欠けるもの(笑)。

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『ザ・ディレクター[市民ケーン]の真実』(1999年・米)

監督:ベンジャミン・ロス
出演:リーブ・シュライバー。ジョン・マルコヴィッチ。ジェームズ・クロムウェル

1940年。演劇界の天才児と持て囃されているオーソン・ウェルズはRKOの社長に招かれ、ハリウッド進出を果たす。そして彼の記念すべきハリウッド第一作に注目が集まる中彼が題材に選んだのはハリウッドを影で牛耳る新聞王ハーストだった。このハリウッドではそれはタブーだと止める友人であり脚本家でもあるマンクを説得し、脚本を仕上げ極秘に撮影は進められた。やがて完成した『市民ケーン』が自分の私生活を暴露したものであるとしったハーストにより様々な公開の妨害が始まる。
実際の映画『市民ケーン』の製作に関わる実話だそうだ。実はσ(^-^)『市民ケーン』って観たことないんですよね。(^^;) やはりこの映画は『市民ケーン』を観た上で観た方がよかったのかなぁ?でも観てたからってどうにもなんない映画のような気がするんだけど・・・・。なんて言うのかなぁ、どうもこの映画の登場人物のほとんどが面白くないんですよね。特に主人公のオーソン・ウェルズがつまんない。ハーストもイマイチつまんない。なんだかテレビの「知ってるつもり」を観たような感じ。映画を観た。って気になれない映画ですね。ふ〜ん。『市民ケーン』ってそんな映画だったんだぁ〜。だからどうしたぁ?って感じ。「おぉ!そんなことがあったのかぁ!そんな映画だったんだぁ!」という感嘆文は全く出てこない。実話を元にしてこんなにつまんない映画もめずらしいな。

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『サンセット大通り』(1950年・米)

監督・脚本:ビリー・ワイルダー
出演:グロリア・スワンソン。ウィリアム・ホールデン。エリッヒ・フォン・シュトロハイム。

売れない脚本家のギリスは車のローンが滞り、車を取り上げられようとしていた。家にやってきた取立て屋に車は友人に貸してあると嘘をつきなんとかその場を凌ぎ、映画会社へ脚本の売り込みに行くが断られ、借金まで断られてしまう。成す術もなく車を走らせている所を取り立て屋にみつかり逃げるギリス。そして彼が逃げ込んだ先は豪邸が立ち並ぶサンセット大通りにある一軒の屋敷。そこにはサイレント時代の大女優ノーマ・デズモンドが暮らしており、再起を夢見て自分で書いた「サロメ」の脚本の手直しをギリスに依頼する。手直しをしたところでどうにもならない脚本だとわかりながら金になると考えたギリスは手直しを承諾するが、そのことにより現実に背を向けて生きているノーマの人生に巻き込まれるギリス。やがてノーマの世界に嫌気がさしギリスはノーマの目の前で現実の世界の扉を開けるが・・・
ハリウッドの内幕もの・・・なんていう解説がついていたが、σ(^-^)はこれは恋愛映画ではないかと思う。それも見事に組み立てられた悲恋もの。過去の栄光にしがみつき、現実から目を背け、未だに自分がハリウッドの大女優であると思いつづけているノーマ・デズモンド。彼女は過去の栄光にすがりついていたのか?いや、彼女はきっと愛にしがみついていたのだと思う。大女優としてもてはやされ、誰からも愛された時代。その時代の愛に固執していたのだろう。ノーマの最初の夫で元監督のマックスは彼女の欲する本来のものを知っていたからこそ、そして心から彼女を愛しく思うからこそ、彼女の執事として黙々と彼女に仕えていたのだと思う。現実を遠く離れた彼らの二人の生活だけでも悲しく哀れな悲恋劇なのに、現実に暮らし、現実そのものの男ギリスの登場。彼の登場によりますます悲恋観を増す。いやぁ、本当にすごい映画だ。そしてラスト。グロリア・スワンソンの演技もすごいが、このラストには見事に唸らされてしまった。

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『三人の妻への手紙』(1949年・米)

監督・脚本:ジョゼフ・L・マンキーウィッツ
出演:ジーン・クレイン。カーク・ダグラス。リンダ・ダーネル。

子供たちの野外キャンプの付き添いで出かける3人の元に「いずれかのご主人と駈落ちします」という手紙がそれぞれの主人といわくのある町一番の美女アディから届いた。今すぐにでも事実を確かめたい彼女たちだったが、すでにキャンプ場へ向かう船は出港し一日彼女らはそれぞれの思いに駆られる日を送る。軍で夫と知り会い結婚したデボラは除隊し、町に住むようになり農家出身の自分の身分を卑下し、自分に自信が持てずに過ごしていた。リタは教師である夫よりも稼ぎがあり、仕事中心で夫のことを顧みていなかった。ローラメイは貧しさから脱却したくて金目当てに結婚したが、それだけでは割り切れないものを抱えていた。日頃から彼女たちの心にまとわりついていたアディという存在。それがこの一通の手紙で大きくなり、帰り道を急ぐ彼女たちを待っていた真実は・・・
なんてしゃれた映画なんだろ。演出が見事です。彼女たちの生活に必ず登場する美人で聡明なアディ・・・でも最後まで彼女の姿は出てきません。このアディを狂言回しに徹しさせたところがこの映画の巧さなんでしょうねぇ。このアディが出てこないことによって観ているこちらもそのアディが妙に気になる。3人の妻たちの心境に近い状態になってしまうんですよ(笑)。だから余計に見入ってしまう。好きだなぁ。こういう作り。これも一種のラブストーリーかもしれませんね。最後に男はそんなにバカじゃりませんよってことを匂わせてるし・・・。観終わって思わずニヤリとしてしまった作品です。

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『桑港<サンフランシスコ>』(1936年・米)

監督:W・S・ヴァン・ダイク。
出演:クラーク・ゲーブル。スペンサー・トレーシー。ジャネット・マクドナルド。

サンフランシスコでクラブを経営するブラッキーは神を信じないやくざな男。そんな彼が雇い入れたのはオペラ歌手志望の牧師の娘メアリー。やがて彼女に惹かれはじめるブラッキー、しかしメアリーは彼に惹かれているものの彼の粗野な愛に馴染めず、彼の心を計りきれずにいた。そのため彼女はオペラ座のオーナーであるバーリーの引き抜きに応じる。そしてバーリーは彼女を自分のものにするために金と権力を使いブラッキーの店を封鎖する。そんなこととは知らずブラッキーに心を残しながらもバーリーとの結婚を決めたメアリーがバーリーの企みを知ったときサンフランシスコを大地震が襲う。
これはラブストーリーではないですね。いくらブラッキーがちょっとやくざな男だとしてもあまりにも乱暴な愛情表現だと思うし、彼を愛しているんだかいないんだかメアリーの態度もイマイチ解せない。う〜ん・・・となんでこんなに冷めて観ているんだろう?と思ったら、ハタとその理由に気が付いた。そうなんですよ。中に入っているオペラ座のオペラのシーンが長いんだ。実はσ(^-^)音楽は大抵好きなんですけど、このオペラってのは苦手なんですよねぇ(^^;)。このオペラでσ(^-^)の心が少し萎えてしまったようです。オペラが好きな人は結構のれるんじゃないですかねぇ。メアリー役のジャネット・マクドナルドの歌は本当にきれいで上手いですから。ところがこの少し萎えた気持ちを見事に元に戻してくれる後半がすごい。ステージでノリノリで歌うメアリーの「サンフランシスコ」がいいんですよ。で、そのあとの大地震のシーン。SFXを使った大地震のシーンってパッケージにあったんですが、何分製作は1936年。大したことないだろうなとタカをくくっていたのですが、大間違いでした。この当時でもうこれだけのもの作れるようになってたんですねぇ。やはりハリウッドはすごい。最初少し物足りなさを感じながら観ていたんですが、この後半ですっかり満たされました。

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『ジェラシック・パーク3』(2001年・米)

監督:ジョー・ジョンストン
出演:サム・ニール。ウィリアム・H・メイシー。

恐竜たちが生存する「サイトB」のあるコスタリア沖にあるイスラ・ソルナ島近くで少しでも恐竜を見ようとパラセイリングを楽しんでいた12歳の少年エリックと彼の母の友人ベンが消息を絶った。どうしても息子達を助けたいエリックの両親は冒険好きな事業家だと偽り、あの島をよく知る古生物学者のグラント博士を訪れあの島上空を回るツアーの案内を依頼する。上空を廻るだけならと依頼を受けたグラント博士を乗せた飛行機は博士の意に反して島へ着陸する。しかし実際の恐竜の恐怖に慌てた彼らが離陸しようとした時操縦を誤り飛行機は林の中へ突っ込み大破してしまう。エリックを探しながら自分たちの脱出ルートを探す彼らに次々と襲いかかる恐竜たち。
アハハ・・・。さすがに3回めとなると設定にちょっと無理があるかなぁ。そりゃ、そうだよね。恐竜がいるってわかってて危ないってとこにいそいそ出かけて行く人がそうそういるもんじゃないですしね。恐竜が出てきてワ〜楽しい!っていうだけの映画だと言えばそれまでかもしれない。でも・・・ひそかにウィリアム・H・メイシー好きのσ(^-^)としては非常に楽しかった。だって、彼の役すごくおいしいんだもん。ちょっと情けない親父がだんだんかっこよくなっていく。それだけで十分楽しめました。映画の楽しみ方としてはちょっと間違えているかもしれませんけどね。ま、この映画を観て言えることは、もう4はないだろうな・・・ってこと。(笑)おまけにラストは「おいおい・・・それでいいのか?・・・」と思わずつぶやいてしまいましたよ。

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『死刑台のメロディ』(1970年・伊)

監督:ジュリアーノ・モンタルド
出演:ジャン・マリア・ボロンテ 。リカルド・クッチョーラ。シリル・キューザック 。

1920年。アナーキストや共産主義者。社会主義者への強行な取締を行っていたアメリカで実際に起こった冤罪事件を元にしたもの。イタリア移民のサッコとヴァンゼッテイはアナーキストで警察の捜索を逃れるために反政府ビラを別の場所に移動しようとしていたところ警察に捕まり、銃の不法所持で逮捕される。アナーキストであるための尋問であると思った二人は嘘の供述で何とか逃れようとしていたが、いつしか二人は身の覚えの無い強盗殺人事件の容疑者にされてしまう。事実に関係なくアナーキスト、イタリア移民である二人をどんなことをしても有罪にしたい検察と判事、それに戦いを挑む弁護士。そしてサッコとヴァンゼッティ。しかし彼らの行く先は電気椅子だった。
なんて重たい映画なんだろう・・・。しかもこれは現実に起こった事件。こんなにも胸の痛くなる映画ははじめてだ。検察側がでっちあげる証人、証拠。確実でさえあるアリバイさえも捻じ曲げてしまう横暴な裁判。そして本当の犯人を探そうとした時点で明らかになる証拠隠滅。観ていてとても気分が悪くなった。しかしこの映画をアメリカの汚点を明らかにするための映画として観てはいけない。そう感じさせたのは知事と面談したヴァンゼッティが部屋を去るときに検事が言った一言。「人間を助けるのか?シンボルを助けるのか?」彼らは単純な冤罪事件の被害者ではない。この事件により反政府主義者たちのシンボルになってしまっていたんだ。そんな彼らを政府が、アメリカ国家が助けることが出来ただろうか?確かに彼らに行われた裁判は到底まともなものではない。だけど・・・。一体何が正義なんだろう?政治って何なんだろう?民主主義って一体何?思いっきりとんでもない課題を投げつけられた・・・そんな映画でした。
ちなみにこの映画もシューテツさんのHP「KUMONOS」の『再会したい隠れた名画』で知った作品です。

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『史上最大の作戦』(1962年・米)

監督:ケン・アナキン。ベルンハルト・ヴィッキ。アンドリュー・マートン。エルモ・ウィリアムズ
出演:ジョン・ウェイン。ヘンリー・フォンダ。ロバート・ミッチャム。

第2次世界大戦の勝敗を決した連合軍によるノルマンディー上陸作戦。作戦決行を今か今かと待ちわびる連合各軍の兵士たち。しかし天候はなかなか回復しない。ドイツ軍もこの天候では上陸はしてこないだろうとタカをくくっていた6月6日。まさに史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦は決行される。
この映画はやはり何度観てもすごい。この映画のすごさはこれだけの豪華キャストを要しながら主人公を作っていない点ではないだろうかと思う。どこかにスポットを当ててしまうとただの戦争映画となってしまうところを各局面各部隊をテンポよく織り込み、しかもただ各局面の戦闘シーンだけだとヘタするとドキュメンタリー映像のようになってしまうところを見事な演出、脚本で構成されている。本当にすごい映画だ。特にフランスのコマンド部隊の市街戦には鳥肌がたってしまった。ビルを挟んだ片側の戦闘シーンからカメラがひいて行き、ビルのもう片側の戦闘シーンもあわせて写し、カメラは俯瞰へと・・・。見事です。連合軍が侵攻してきたので戦車部隊を出して欲しいと要請するドイツ人将校が「総統がおやすみになっているのでお起こし出来ません」と言われ、敗北を確信するシーンも絶妙です。敵も味方も結局はヒトラーという1人の男に翻弄されたんですよね。そして何より、『プライベート・ライアン』のように足をふっとばされたり、腕がふっとんだりした血なまぐさい映像を見せ付けなくても十分に戦争の悲惨さを訴えることは出きるってことがこの映画を観て再確認できました。

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『自信売ります』(1947年・米)

監督:ジャック・コンウェイ
出演:クラーク・ゲーブル。デボラ・カー。

女性をくどかせても、仕事をさせてもピカ一のビクター・ノーマン通称ビックは陸軍を除隊し、元いた街ニューヨークへと戻ってきた。彼の現在の所持金は50ドル。35ドルで誠実そうにみえるネクタイを買い、広告会社への面接へと出かける。その会社は大手スポンサー”ビューティーソープ”で成り立っているため社長以下全員が”ビューティーソープ”の社長にビクビクしている。おまけにその社長は傲慢でワンマン。その傲慢な社長にビクつく周囲をよそにビックが次々と辣腕を振るっていくサクセス・ストーリーにからむ二人の子供を抱えた未亡人ケイとのラブ・ストーリーという2本立て。
少し老けたクラーク・ゲーブルもかっこいい。さすが”キング・オブ・ハリウッド”ですね。サクセス・ストーリー的な方はあまりにもトントンと行き過ぎてちょっと面白味にかけますが、ラブ・ストーリーの方はいいですねぇ。今までに観たクラーク・ゲーブルの映画はどちらかというと女性をひっぱっていく強い男って感じのが多かったんですけど、今回はそれプラスちょっと女性に甘えるみたいなところもあって、女性に媚びるような目が素敵だ。・・・って結局クラーク・ゲーブルしか観てないな(^^;)。デボラ・カーも若くて素敵でしたよ。でも、どうも『めぐり逢い』のイメージがσ(^-^)の中に焼きついているせいか、隣にいるのはクラーク・ゲーブルよりもケーリー・グラントの方が似合うって思ってしまいましたが・・・。ラスト・・・日本でもアメリカでも一緒なのね「お金なんかよりあなたの夢を追いかけて」ってセリフ女に言わせたいってのは。でもね、こんなこと言ってくれる女いないかなぁ?なんて言ってる男性の横でこんなこと言わせるくらいの男がいたらなぁって女性はきっと思ってるはずです。

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『シビル・アクション』

監督:スティーブン・ザイリアン
出演:ジョン・トラボルタ。ロバート・デュバル。キャサリン・クインライン。ウイリアム・H・メイシー。

勝てる裁判しかしないという敏腕弁護士のシュリクマンは、ラジオの法律相談に出演中にかかってきた電話によりニューイングランドの田舎町で15年間に8人もの子供が白血病で死亡しているという環境汚染の話を聞き、はじめは金にならないと断るつもりだったが、現地に赴きこれは金になると判断。裁判をすすめるうちに金と割り切っていたはずの彼は正義に固執したために狡猾な企業側弁護士にしてやられ膨大な調査費用により破産してしまう。
もっと白熱した公判シーンがあるのかと思いきや・・・ありゃりゃ、ロバート・デュバル扮する企業側弁護士にあっさりとやれれてしまう青二才弁護士なのね。実話が元なのはわかりますが、何が言いたかったんだろ? 最後には彼が勝ったと言えば勝ったのだろうけど・・・ふむ? どうもσ(^-^)にはわからん。あ、結局勝ったのは訴訟を起こそうとした住民たちってことなのかな。で、正義だけじゃめし食えねぇぞってこと?ウイリアム・H・メイシー扮する経理担当がよかったな。資金繰りに必死になってあげくは宝くじに運を託そうとするところが健気でよかった。同じく経理を仕事としているσ(^-^)には非常に身につまされるものがありましたよ。(苦笑)

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『シビル・ガン 楽園を下さい』(1999年・米)

監督:アン・リー。
出演:トビー・マグワイア。スキート・ウーリッチ。ジム・カヴィーセル。

1861年。アメリカのミズーリ州。リンカーンが大統領に就任してからいくつもの南部の州が連邦を離脱するなか最後まで中立を守っていたこの州にも戦禍は色濃く立ちこめはじめていた。ドイツ系アメリカ人であるジェイクは父親から北軍のいる州へ行けと命じられるが、自分は南部の男だとはね付ける。そしてその夜幼馴染のジャックの家が北軍に襲われ、ジャックの父が殺される。やがてジャックとジェイクの二人は故郷を離れ、“ブッシュワッカー”と呼ばれる南側のゲリラ部隊に所属するが、戦況は南軍にとっては芳しくないものとなり、南部の誇りと尊厳を貫くという崇高な志を持って戦いに参加したジェイクだが、戦闘を続けるうちにこの戦いの裏側に気付き苦悩する。
人が人を傷つけるとき、最初は必ず大義名分と言える理由がある。その大義名分の大きさに酔いしれ、我こそは正義だと錯覚する。正義であればこそ何をしてもいいのだと幾重にも重なる屍に心さえ痛まない。所詮は政治に踊らされている若者たち。戦いに参加している個々の描き方はそれなりに面白かったんだけど、どうもジェイクがいい子ちゃんすぎてなんだか説得力に欠けるような気がした。同じ南軍の仲間でありながらドイツ系アメリカ人であるということで、差別され敵視されるジェイクの苦悩がもう少し出ていてもよかったのではないかなぁ。戦争の終わり、それぞれの戦いへの幕引きの描き方は好きだけど。

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『ジャンヌ・ダルク』

監督:リュック・ベッソン
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ。ジョン・マルコヴィッチ。フェイ・ダナウェイ。

15世紀英国に国土の半分を奪われたフランス。英国軍に姉を殺されたジャンヌは神のお告げにより自らを「ロレーヌの乙女」と名乗り祖国フランスのために王の戴冠式を実現させるのが自分の使命だとシャルル7世の前に現れ、その言葉通りにオルレアンを開放し、ランスでの戴冠式を実現し、なおもパリに進撃するが英国軍に囚われ、宗教裁判により火刑にされる。
聖女としてではなく一人の人間としてのジャンヌ・ダルクを描いた作品ということだが、ランスでの戴冠式までが面白く英国に囚われてから火刑まではどうにもつまんなかった。宗教的な意味合いがわからないせいだろうか? フランス国王にとって戴冠式を済ませ玉座についてしまってからはジャンヌは必要ではなくかえって邪魔な存在でさえあったんだからもう少し英国軍にジャンヌが捕えられるように仕向ける姑息な小細工を緻密に描いてもよかったんじゃないかなぁ。牢の中での彼女の良心との会話なんかより人間ジャンヌを描きたいのなら、英国軍の思惑、フランス軍の思惑。そして民衆。それらに翻弄される様をもっと織り込んで欲しかった。σ(^-^)の見方が悪いのかもしれないけど、結局は聖女なんじゃない。って思わせるラストだったような気がする。でも彼女が戦争に参加してからオルレアンの開放まではすごくよかった。彼女をとりまく兵士たちがいいんだ。いい味出してるんですよ。好きだなぁ彼ら。前半までなら満点だったんだけど・・・

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『終電車』LE DERNIER METRO(1981年・仏)

監督:フランソワ・トリュフォー。
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ。ジェラール・ドパルデュー。ジャン・ポワレ。

1942年ナチス占領下のパリ。11時以降の夜間外出は禁止されていたため終電車には人が溢れていた。そして夜の寒さを防ぐため人々は劇場へと足を運んだ。モンマルトル劇場は主宰者であるルカ・シュタイナーの彼がユダヤ人であるために国外へ亡命、彼の妻であり女優であるマリオンがかわって経営していた。今度新たに上演されるのは「消えた女」新人俳優ベルナールを迎え、舞台稽古が続けられる。ドイツ兵を嫌い、利用し、それぞれの事情を背景に・・・
ナチス占領下のパリが舞台ということで少し暗い映画を想像していたのだが、なんて面白い作品なんだ。舞台で上演される「消えた女」というタイトルに亡命したと見せかけ劇場の地下に密かに隠れ住むシュタイナーが「消えた男」としてかぶっているのがうまい。複雑に密かに揺れるマリオンの心の描き方がいい。ヘタなセリフで心を吐露させるのではなく、夫やベルナールに対する視線や行動にその心を映している。だから余計に映画に引き込まれる。ラストシーンが最高にいい。なんて憎い演出なんだろ。またひとつ好きな作品が増えたな。

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『将軍の娘/エリザベス・キャンベル』(2000年・米)

監督:サイモン・ウエスト
出演:ジョン・トラボルタ。マデリーン・ストウ。ジェームズ・ウッズ。

ジョージア州陸軍マッカラム基地で女性大尉であり、なおかつマッカラム基地を指揮する将軍の娘でもあるエリザベス・キャンベルの全裸死体が発見された。陸軍の犯罪捜査部のポール・ブレナーが捜査に乗り出し、彼女が基地内のほとんどの男性と関係を持っていたことが明らかになるが、さらに捜査をすすめるうちに彼女の過去に起こった軍という閉ざされた社会故に隠蔽されてしまったとんでもない事件が発端になっていた。
シリアスでおもしろい映画だと思います。ただ、結果的な犯人と基本ストーリーの彼女の過去がどうも妙にずれてるような気がした。ま、こっちだと思わせておいて実はこっち!って手法なんでしょうが、σ(^-^)としてはもう少しスムーズな流れが欲しかったなぁ。 それかもう少しドロドロしてくれてもよかったかも。この映画のジェームズ・ウッズよかったなぁ。ちょっと女性っぽい雰囲気を感じてしまった。彼のために料理を作っていたからだろうか?(笑)でもかっこよかった。色気を感じましたねぇ。

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『小説家を見つけたら』FINDING FORRESTER(2000年・米)

監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ショーン・コネリー。ロブ・ブラウン。F・マーリー・エイブラハム。

バスケットの得意なブロンクスの高校生ジャマールは、学校が終わると毎日友人たちとバスケを楽しんでいた。そのバスケットコートの近くにあるアパートの窓にはいつも外を覗いている者がいる。長い間外に出たのを誰も見たことの無い風変わりな人物でバスケ仲間たちは幽霊だと噂していた。ある日友人たちにそそのかされ、ジャマールはその部屋へ忍び込むが家人にみつかりあわててその部屋を飛び出す。しかも驚きのあまり自分のカバンをその部屋へ置き忘れてきてしまう。そのカバンの中には彼が誰にも内緒にしているもの創作ノートが入っていた。そう彼にはバスケの才能だけではなく文学の才能もあったのだ。翌日そのアパートの下に来たジャマールにそのカバンが投げ返されてきた。中身を確認したジャマールの目に入ったのは彼の創作ノートに書かれた批評だった。何度かその部屋を訪れたジャマールはその部屋の老人が処女作でピューリッツァー賞を受賞したが2度と作品を出版しなかった作家ウィリアム・フォレスターだということを知る。やがて世捨て人となった大作家の老人と16歳の黒人少年の師弟として、父子として、そして友人としての奇妙な交流が始まる。
ショーン・コネリー演じる大きな悲しみを胸に外界との接触を一切絶った頑固で孤独な老作家もすごく素敵なんですが、このジャマール少年がまたすごくいい。バスケの才能と文学の才能のふたつの才能を持ちながら、決して豊かではない家庭環境。そして黒人という現実に何とか折り合いをつけて生きていこうとしている哀しさがふっと伝わってくる。この二人が適役なんで、この映画には全く嫌味がない。その未来が長かろうと短かろうと人間には生きている限り未来がある。哀しみに立ち止まっていてはいけないということを教えてもらったような気がする。こういう諦めのない映画はσ(^-^)好きだな。ラストの「虹の彼方に」〜「ワンダフル・ワールド」に変わる主題曲がしっとりと心に流れる映画でした。

BACK

『ショコラ』CHOCOLAT(2000年・米)

監督:ラッセ・ハルストレム。
出演:ジュリエット・ビノシュ。ジョニー・デップ。ジュディ・デンチ。

フランスの小さな田舎の村。伝統と規律を守り自らが定めた不文律を破るものは何者をも認めないという厳格な村長レノ伯爵の治めるこの村に北風と共に赤いコートを着たヴィアンヌとアヌーク母娘がやって来た。閉店したパン屋を借りチョコレート・ショップを開くヴィアンヌ。期待と不安に恐る恐る店を覗く村人たちにヴィアンヌはそれぞれの人にぴったりのチョコレートを勧める。チョコレートにより心を開き明るくなっていく村人たちだが、カトリックの断食期間である四旬節にも関わらず教義に背きチョコレートを食べている村人たちの姿に危機感を募らせたレノ伯爵は村の戒律を守りぬくためにもヴィアンヌの店をなんとか閉店に追いやろうと村人のチョコレート・ショップへの出入りを禁じ、教会のミサでもチョコレートは悪だという説教を神父にさせるが・・・
北風と共に赤いコートに身を包みやってきた母娘。甘くておいしいチョコレートが人々の舌をとろけさせるように人々の鎧をまとったような硬い心も溶かしていく。まるで御伽噺のような映画です。でも、甘いチョコレートに御伽噺のような優しさを持っているからと言って、甘ったるい映画ではない。スタイルのいい女性のように締まるところはきっちりと締まってるそんな印象のある映画でした。それに出てくるキャストがみんないい。なかでもσ(^-^)が一番気に入ったのはこの映画の中では唯一の悪役セルジュ役のピーター・ストーメア。暴力的でとんでもない奴なんだけど、妙に憎めないんですよね。性根まで腐ってる悪い奴ではないんだろうなぁ〜。と妙な温情を抱かせてしまう哀れさがある。ホントうまいですよ。そしてこの映画音楽もいいんですよ。σ(^-^)はこういう音楽大好きです。ドブロギター独特のあの金属音が見事に生かされた素敵な音楽です。あのチョコレートソースをかけたチキンおいしそうだったなぁ。心は満たされておなかの空く映画ですね。

BACK

『シラノ・ド・ベルジュラック』CYRANO DE BERGERAC(1990年・仏/ハンガリー)

監督:ジャン・ポール・ラプノー。
出演:ジェラール・ドパルデュー。アンヌ・ブロシェ。ヴァンサン・ペレーズ。

誰にも劣らぬ剣を誇り、詩人としても優れた文才を持つ近衛騎士のシラノは密かに従妹のロクサーヌに想いを寄せていたが、人並みはずれた大きな鼻のため自らの容姿にコンプレックスを持つ彼には打ち明けることが出来ずにいた。しかしロクサーヌの意中の人は同じ隊のクリスチャンだとわかり、シラノは愛する人のためにと文才のないクリスチャンの代わりに恋文をしたため二人の仲を取り持つことに・・・
媚びへつらうことを嫌い、名誉や金のために自らの意志を曲げるなどまっぴらごめんというシラノ。自由人であることに誇りと尊厳を持ちながら生きているはずの彼は現実社会では黒子の役回り。なんとも風刺のきいた設定だ。しかし私は彼の生き方に憧れる。俗世にまみれてしまった今となってはなかなか難しいかもしれないけど、少しは彼のような部分持っていたいな。14年間ロクサーヌへの想い、彼女の心を揺さぶった愛の言葉は本当は自分のものだったのだということを一言も語らず、何も求めなかった彼の強さ、愛の重みに憧れる。14年間欠かさず毎週土曜日の7時にロクサーヌの元を訪れたシラノ。彼はきっとそのひと時の逢瀬に自らの楽しみを求めていただけでなく、彼女が哀しまないように傷つかないようにと彼女への熱き想いで暖めた愛の風を密かに送り届けていたのだろう。「私心なき恋愛の殉教者」・・・かっこよすぎるよ。恋愛に関しては決して消えることない私心だらけの私には絶対に真似できないな。勿論こういう風に愛されるのも無理だ。(苦笑)1950年版の『シラノ・ド・ベルジュラック』も観たのだが、絶対にこっちの方がいい!ジェラール・ドパルデュー主演だから・・・かもしれないけど、この映画のラスト15分はジェラール・ドパルデューの独断場。このシーンがすごくいい!彼のこのシーン観たらもう他の人のは観れないよ。

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『スターリングラード』(2001年・米/独/英/愛蘭)

監督:ジャン=ジャック・アノー
出演:ジュード・ロウ。ジョセフ・ファインズ。レイチェル・ワイズ。エド・ハリス。

1942年9月。ドイツ軍の猛攻に陥落寸前のスターリングラード。上陸直後のソ連軍補充兵を襲う砲弾、幾重にも折り重なったおびただしい死体、そして恐怖に逃げようとする兵士を脱走兵だと簡単に撃ち殺してしまう上官たち。兵士たちの士気は日々衰える一方だった。そんな中司令部へ向かう途中敵の攻撃に遭い、死体の山に埋もれて身を隠していた共産党のエリート将校ダニロフは同じように身を隠していた若い兵士ヴァシリと出会う。そしてヴァシリはダニロフの目の前で冷静にライフルを手にし、ドイツ軍士官を次々に仕留めていく。日々衰えていく士気を高めるためには英雄が必要だとするダニロフはヴァシリ・ザイチェフを狙撃部隊に入れ、1人、また1人とドイツ人士官を倒していく彼の活躍を記事にし、彼を国民的英雄へと祭り上げて行く。しかしヴァシリの名前がドイツ軍にも知れ渡り、ヴァシリ暗殺のためにドイツ軍きっての狙撃手ケーニッヒがスターリングラードへ送り込まれる。
現在もなお英雄として語り継がれている実在の人物ヴァシリ・ザイチェフが主人公の映画というだけ聞けば何やらヒーローもののような気がするが、この映画は決してヒーローものではない。1人の英雄にスポットをあてながらも非常に心に痛い映画である。この痛さなくしては戦争映画はとんでもないシロモノになってしまうのだと改めて感じさせられた。冒頭真っ白な雪山で祖父から銃の撃ち方を教わる幼いヴァシリのシーンから戦場へと切り替わる映像でまず、ぐっと映画に引き寄せられる。そのあとの壮絶な戦闘シーン。ダニロフとの出会いや女性兵士ターニャとの出会い。ケーニッヒとの戦い。すごく丁寧に作られているという感じがした。特に防空壕でのベットシーンはインパクト強かったなぁ。そんなとこにスポットあててどうする?と言われそうだけど、もし、今までに観た映画の中で一番そそられたベットシーンは?と言われたら今後はこの映画の防空壕でのシーンをきっとあげるでしょう(笑)。それにキャストもいい。特に主役のジュード・ロウがすごくいい。銃を構え冷静に敵軍を的確に打ち抜くスナイパーとして英雄に祭り上げられながらも本来の姿ウラルの羊飼いの家に生まれ、文字もあまり知らない純朴さを失わない青年ヴァシリを本当にうまく演じている。σ(^-^)は基本的に若くて端正な二枚目の俳優は好きにはならないのだけど、この映画のジュード・ロウは本当にいい。本来のσ(^-^)ならきっとエド・ハリスに目を奪われるはずなんだけど(笑)。戦争映画なんだけど、愛憎劇のような要素もあってなかなかの力作ではないかと思います。

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