『みなさん、さようなら』Les invasions barbares(2003年・カナダ/仏)

監督:ドゥニ・アルカン
出演:レミ・ジラール。ステファン・ルソー。マリー=ジョゼ・クローズ。

ロンドンで証券ディーラーとして働くセバスチャンは、父レミが重病だとの母ルイーズのの知らせでしぶしぶ帰国する。大学で歴史学を教えていたレミだが、私生活は女好きで身勝手、そんな父を嫌うセバスチャンだが、母の頼みは断れず、レミの幸せな最期を演出することになる。世界中に散らばったレミの友人たちを集め、病院を買収し、使われていないフロアを豪華な病室に改装。アメリカの友人医師の薦めのヘロイン治療を施すために、非合法なヘロインまで用意する。父を嫌っていたセバスチャンだが、彼のために彼のために時間を割くことで父への愛を取り戻し、自分とは違う道、自分にはわからない道を進む息子を理解出来なかったレミは、親しい友人に囲まれ、楽しい時を過ごす中で息子の生き方を理解するようになる。
もっとドタバタの喜劇を連想していたのですが、全然ドタバタしていなくてちょっと肩透かしをくらった気分です。確かに人の最期の時をこんなにもブラックユーモアで包んだ作品というのは、なかなかに面白い作品ではあるのでしょうが、私にはちょっとこの良さはわかりませんでしたね。ただ、やたら札びら切る息子のセバスチャンの行動にあきれながらも世の中お金なのね・・・という皮肉が伺い知れて苦笑いしてしまいました。しかし最初は苦笑いながらも彼が全く悪びれる様子もなく、ごくごく普通にお金を使っているからだんだんおかしさがこみ上げてきちゃいましたが・・・。それがこの映画のうまさなんでしょうかね。さすがに皮肉な笑いで包み込んだこの作品もラストにはなんだか考えさせられましたし、ラストの映像はきれいだったな。死の演出はするべきなのか?してはいけないのか?むずかしい問題ですね。

2004年5月10日(梅田ガーデンシネマ)

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『ミッシング』THE MISSING(2003年・米)

監督:ロン・ハワード。
出演:トミー・リー・ジョーンズ。ケイト・ブランシェット。エヴァン・レイチェル・ウッド。

1885年。アメリカのニューメキシコ州。二人の娘と暮らすマギーは農作業のかたわら治療師としての仕事もしていた。ある日、彼女の元にインディアンの格好をした一人の白人の男がやってくる。彼は20年前に家族を捨てアパッチ族と生きることを選らんだマギーの父ジョーンズだった。彼のせいで人生の歯車を狂わされたマギーは彼をあっさりと追い返す。翌朝、二人の娘とマギーの牧場で牧童として働くマギーの恋人でもあるブレイクは町の祭り見物に出かけるが、騎兵隊の斥候として雇われ造反して脱走したインディアンたちに襲われブレイクは殺害され、上の娘リリーは誘拐されてしまう。何とか助かった下の娘ドットと共に保安官事務所を訪れるが、騎兵隊に任せろと捜索に当たろうとしない。偶然留置場に入れられていたジョーンズに協力を頼み、マギー、ドット、ジョーンズはリリー救出のため彼らの後を追う。
トミー・リー・ジョーンズにケイト・ブランシェット。演技派二人のガチンコ演技合戦。すばらしい。身勝手な父を憎みながらも憎みけれない娘が、あっさりと自分を家族を手放した父と共に、絶対に自分は手放せない娘を助けるために危険を冒しながらも、救出へ向かう。インディアンへの反感、父への反感、この微妙な心の流れが娘を探す過酷な旅でゆったりと描かれ、ケイト・ブランシェットの巧さが映える。一方いきなり娘の前に現れた父は、捨ててしまった家族への贖罪の意識で現れたかと言うとそうではなくってガラガラ蛇に噛まれたら、自分の魂を治すためには、家族によくしないといけない。だから彼はやってくる。そもそもは自分のためなんだけど、私はこれは彼が娘の元にやってくるきっかけを彼に与えてくれたものだったんじゃないのかな?という気がします。本当は娘に会いに行きたい。だけど何の理由もなくは彼には行動できない。彼の生き方は身勝手だけど、誰しもが心のままに生きたいと願いながらも折り合いをつけて生きているのに対し、その折り合いをつけられなが故の生き方なんだと思う。そのあたりの不器用さは、やはりトミー・リー・ジョーンズの巧さで醸し出されている。物語も面白いのですが、巧い俳優を起用しないと成り立たない・・・そんな映画であるような気がしました。

2004年6月28日(ナビオTOHOプレックス)

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『マッハ!!!!!!!!』(2003年・タイ)

監督:ブラッチャヤー・ビンゲーオ
出演:トニー・ジャー。ステファン・ルソー。マリー=ジョゼ・クローズ。

タイの田舎町ノンプラドゥ村。村の守り神である仏像”オンバク”の首が村の出身でバンコクでやくざな仕事をしているドンにより盗み出されてしまう。悲嘆にくれる村人たち。何としても”オンバク”を取り戻さなくてはならない。そこで寺で育てられ、住職からムエタイの極意を教えられている孤児ティンが名乗りをあげる。村の人々は貧しいながらもバンコクへ向かうティンのために資金を集め、必ず”オンバク”を取り戻してくれるようティンに思いを託す。
1.CGを使いません。2.ワイヤーを使いません。3.スタントマンを使いません。4.早回しを使いません。5.最強の格闘技ムエタイを使います。という力の入った予告に惹かれ観ましたが、宣言通りに見事なまでに本物のアクション映画でした。全盛の頃のジャッキー・チェンの映画を彷彿させる面白さ。ただ、ラストの格闘シーンはリアルすぎて痛々しさを感じてしまいましたが・・・(^^;)。この主人公役のトニーの超人的なアクションシーンだけではなくトゥクトゥクを使った爆走シーンもすごいし、ティンに協力することになるジョージが追手に追い詰められたときに包丁を手にすると、タイミングよく包丁売りが通るという笑いの間もなかなかのものでした。トニー・ジャーは元スタントマンでムエタイだけではなく、体操も棒術もこなせるとか・・・。これからもドンドン本格アクション映画を発信して欲しいものです。

2004年8月17日(動物園前シネフェスタ)

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『モンスター』MONSTER(2003年・米)

監督:パティ・ジェンキンス。
出演:シャーリーズ・セロン。クリスティーナ・リッチ。ブルース・ダーン。

幼い頃女優を夢みていたアイリーン。いつか誰かが声をかけてくれて夢の世界へ行けると信じていた若い頃。そして今はもう若くない娼婦・・・まともな家も家族も金もない彼女は手持ちの金でビールを飲んでから死のうと思っていた。そして彼女が入った酒場でセルビーという少女と出会う。同性愛者だということで父親から勘当され父親の友人の家に預けられているという彼女となぜか意気投合し、「あなたは美しいわ」とアイリーンがかつてかけられたことのない言葉をかけてくれたセルビーに心惹かれるアイリーン。二人で街を出ようと決めたアイリーンは旅費のために道路脇に立ち、もう一稼ぎと乗った車の客から激しい暴行を受け、その男を射殺してしまう。そしてその男の車を奪いセルビーを街から連れ出し二人の生活を始めるが、持ち金も底をつき、娼婦以外の仕事を探すアイリーンだが、娼婦しかしたことのない彼女にはそんな仕事はなく、セリビーを満足させるためにアイリーンが選んだ道は・・・。1991年に逮捕されるまで7人の男性を殺害し、死刑となった実在するアイリーン・ウォーノスの物語。
シャーリーズ・セロンが体重を増やし、特殊メイクでブサイクになり体当たりの演技。ということで話題の作品なんですが、実際にこの作品を観て驚きました。メイクはともかくあの体型。女優であの体型にしてしまうなんてすごいですよ。で、そのあとまたナイスバディに戻れるっていうんだからこの人のプロ根性をみた気がしますね。そしてまた演技もすごい。アカデミー賞受賞も納得ですよ。映画自体は後味が悪いというか痛いというか・・・(^^;)。観終ってため息しか出てこない。なんともつらいお話です。今までの人生で唯一心から自分を愛してくれたセルビーを失いたくなくて必死になるアイリーン。そのために選んだ道が殺人とは・・・。なんでこうなるんだろう?幼い頃から虐待を受け、13歳で娼婦になり、ただただ底辺で生きていただけの女性アイリーン。生い立ちがこうだから殺人を犯してしまった。なんて話は通用しないと思う。だけど、人って結局他者との係わりで人生変わってしまうんですよね。そして他者との係わりなしに生きてはいけないんですよね。愛した相手が悪かった?・・・なんとも言い切れない無常観を感じてしまう。ハァ〜・・・。

2004年10月25日(パラダイススクエア)

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『Mr.インクレディブル』(2004年・米)

監督:ブラッド・バード。
日本語吹き替え:三浦友和。黒木瞳。宮迫博之。

悪をやっつけ、人々を助け守ってきたスーパーヒーローたちは、その特殊能力故のパワーのせいで反対に人々からクレームを受けることになり、政府から活動を禁止されてしまう。スーパーヒーローとして活躍しなくなってから15年。かつてスーパーヒーローとして大活躍していたMr.インクレディブルも同じくスーパーヒロインとして活躍していたイラスティガールと結婚。ダッシュ、ヴァイオレット、ジャック・ジャック三人の子供たちと平凡な暮らしをしていたが、Mr.インクレディブルは昔の活躍が忘れられず、自分のパワーを持て余していた。そんなある日スーパーヒーローの力が借りたいと密かに連絡が入るが・・・。
サラリーマンの悲哀を描いている・・・と言えなくもない作品ですね。この作品を観た方ほとんどが「これって子供向けか?」と疑問符を投げかけているのですが、確かにその通り、物語の展開は完全に大人向けですよね。お父さんが悪者に囚われて危ない!さぁ、みんなで助けに行くぞ!という後半の大活躍ぶりは子供にも充分わかって楽しいものだとは思うのですが、そこに至るまでの物語は、ホント大人向け(笑)。あの頃はよかったよなぁ〜・・・と現実逃避しながらも、家族のためにとシブシブ働くお父さん。今が大事なのよしっかりしてよお父さん!と堅実に現実の道を歩むお母さん。アメリカでもこのあたり同じなんですね(笑)。ヒーローが訴訟で負けてしまう・・・というのはアメリカならではかもしれませんが・・・。親の血を受け継いで特殊能力を持っている子供たちの使い慣れていない能力の使い方がすごく現実的で面白かったな。

2004年12月6日(動物園前シネフェスタ)

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『マイ・ボディガード』MAN on FIRE(2004年・米)

監督:トニー・スコット。
出演:デンゼル・ワシントン。ダコタ・ファニング。クリストファー・ウォーケン。ラダ・ミッチェル。

元CIAの特殊部隊員ジョン・クリーシー。対テロ対策で暗殺任務に明け暮れた彼は、心も体も傷つき酒びたりの日々を送っていた。そんな彼はある日唯一心を開ける元同僚レイバーンの元を訪れ、彼からボディーガードの仕事を紹介される。誘拐事件の多発するメキシコシティではボディガードが必須となっていたのだった。彼が護衛するのは実業家サム・ラモスの9歳の娘ピタ。彼女は一目でクリーシーの心の傷を見抜き、友達の様に接するが「私の仕事は護衛、友達じゃない」と突き放すクリーシー。しかしいつしか彼女の笑顔に彼の心は癒され、クリーシーにとってピタはかけがえのないものとなる。ところがピアノのレッスンの送迎中ピタは誘拐されてしまう・・・。
『マイ・ボディガード』というタイトルは少し甘すぎますね。このタイトルでR15、なんでだろう?と思っていたら・・・すごい(笑)。後半復讐鬼と化したクリーシーの凄まじいこと。しかも冒頭の心に傷を負い、生きる目的を失くし酒びたりの日々を送っていたときと同じような無表情なんですが、怒りを胸に秘めた冷たい無表情という感じで、無表情の中にも感情を表しているデンゼル・ワシントンはさすがに巧い俳優さんです。それにしてもクリストファー・ウォーケンが常に優しい表情で人のいいおやじ役をやるとは・・・。人間年をとると顔が温和になるんですね(笑)。ふむふむと素直に納得出来るような物語の流れではないし、ラストがどうも煮え切らないというか、終わりきれないというか、ちょっと物足りなさを感じるし・・・と私としてはいいとは言い切れない映画なんですが、もうただただデンゼル・ワシントンの演技力で持ってってるって感じで、デンゼル・ワシントンも好きな俳優さんの一人でもある私としては納得の作品でした(笑)。

2004年12月30日(アポロシネマ)

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『ミリオンダラー・ベイビー』MILLION DOLLAR BABY(2004年・米)

監督:クリント・イーストウッド。
出演:クリント・イーストウッド。ヒラリー・スワンク。モーガン・フリーマン。

ロサンゼルスのダウンタウンにある小さなボクシング・ジム。名トレーナーでありながら、選手たちに再起不能のリスクを冒させることを恐れるばかりに大試合を避けてしまうジムの経営者でもあるフランキーの元に貧しさ故に苦しみそれから逃れる手段としてボクシングを選んだマギーがやってくる。最初は「女性ボクサーは育てる気はない」と断るフランキーだが、フランキーの相棒でこのジムの雑用係りをしている元ボクサーのスクラップが彼女にサンドバックの叩き方を教え、彼女の素質に気付く。やがて彼女の熱意に絆されたフランキーはマギーのトレーナーを引き受け、マギーの素質は開花し連戦連勝のボクサーとなるが・・・。
ボクシングの話だけど、スポ魂モノではない。解説を読むとラブストーリー、父と娘のラブストーリーということだ。なるほど。確かにそうだ。マギーがボクサーとして快進撃をはじめ、ボクサーとトレーナーという絆以上につながりつつあるマギーとフランキー、そしてそれを見つめるスクラップの三人の姿が微笑ましくも楽しくもある中盤までが私は好きだ。でも本来のこの映画の核となるのは後半なんですけどね。その後半に描かれるのは「愛」と「生」。感動の涙を流す人もいるかもしれないけど、私にはこの涙なんてこれっぽっちも出なかった。ましてや感動なんかもしなかった。なんだかすごく重たい荷物を持たされてしまったような気がする。素晴らしい映画だ。アカデミー賞4部門受賞も納得する。フランキーがマギーにプレゼントする試合用のガウンに刺繍されたゲール語の「モ・クシュラ」最後の最後に明かされるこの言葉の意味に私の荷物は余計に重たくなってしまった。本当の愛の形・・・それは愛への殉死なのかもしれない。自分の人生を葬ってでも(肉体の死という意味ではなく)果たすもの・・・無理だ。どう生きるかどう死ぬか・・・状態ではなく心の生・・・難しすぎる。本当にこの荷物は重たすぎる。

2005年5月29日(TOHOシネマズ泉北)

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『ミュンヘン』MUNICH(2005年・米)

監督:スティーヴン・スピルバーグ。
出演:エリック・バナ。ダニエル・クレイグ。ジェフリー・ラッシュ。マチュー・カソヴィッツ。

1972年9月5日、ミュンヘン・オリンピック開催中に、“ブラック・セプテンバー”と名乗るパレスチナゲリラによりイスラエル選手団が襲われ選手11名の命が奪われる。このことに激怒したイスラエル機密情報機関“モサド”は、“ブラック・セプテンバー”の幹部の暗殺を計画。そしてこの計画のリーダーに選ばれたアヴナーは国に出産間近の妻を残し、4人の仲間と共にただ国を信じ、任務遂行の旅に出る。一人また一人と着実に任務を遂行していく彼らだが、幹部の一人を殺害してもまた新たな幹部が生まれる。終わることのない任務?やがてアヴナーたちの存在に気付いた何者かによって、今度はアヴナーたちも狙われることになる。
なんだか淡々とした気分でこの映画を観終えてしまった。70年代の映画の匂いが色濃い作品だという好評判なんですが、残念ながら私はそのあたりの作品には造詣がないんでその良さはわからないんですよねぇ。かと言って面白くなかったのか?って言われるとそうでもない。この映画の長さは全然気にならなかったですから。でもなんか物足りないんですよ。多分ねぇ、出演者に華がないからそう感じたんじゃないかなぁって思います。誰が出ていようといい映画はいい映画じゃないかって言われるかもしれないんですが、確かにそうなんだけど、こう・・・なんて言うのかなぁ。監督の名前にはどちらかと言うと疎い私でも絶対に知っている。月に何本も劇場で映画観ますっていうような映画好きでなくても案外知っているというスピルバーグ監督作品で、全国で大々的にロードショーって作品という大物感が先にインプットされているものだから、どうしても華を求めてしまうんですよね。案外ミニシアターあたりでこの作品観てたらもっと感想違ったかも・・・(笑)。エリック・バナ好きとか嫌いとかどうこう言う前に私全然認知してないんです(爆)。私が認知するには地味過ぎるんだよねぇ。多分しばらく覚えられないと思います。(^^;)

2006年2月6日(TOHOシネマズ泉北)

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『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』
The Three Burrials of MELQUIADES ESTRADA(2005年・米/仏)

監督:トミー・リー・ジョーンズ。
出演:トミー・リー・ジョーンズ。バリー・ペッパー。フリオ・セサール・セディージョ。

アメリカ・テキサス州の国境に近い荒地で何者かに埋められたメキシコ人カウボーイのメルキアデス・エストラーダの死体が見つかる。彼と心からの友として付き合っていたピートは、深い哀しみに沈む。なんとしても犯人を見つけ出したいピートだが、保安官はメルキアデスが不法入国者だということで全くやる気をみせない。そんなある日ピートはダイナーのウェイトレス レイチェルから国境警備隊員のマイクが犯人だと聞かされる。マイクを襲い連れ出したピートは共同墓地に埋葬されたメルキアデスの遺体を掘り起こし、マイクと共にメキシコへと出発する。「俺が死んだら故郷ヒメネスに埋めてくれ」メルキアデスと交わした約束のために。
「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格はない」なんて言葉がありましたが、まさしくこの映画のピートはこの言葉がぴったりと当てはまる。寡黙なカウボーイ。かっこよすぎます。最愛の友メルキアデスの死に傷つきながらも、友との約束を果たすためにただひたすらヒメネスを目指す。そしてメルキアデスを不慮の事故とは言え殺害してしまったにも関わらず国境警備隊員であるということ、メルキアデスが不法入国者であるということから罪にも問われず、罪の意識すら持たないマイクに何も語らず罪を攻め立てることもなくただ旅の道連れにすることで贖罪の旅をさせる。この映画には同情でもみせかけでもない本当の優しさ、純粋な善が描かれているように思う。妻さえも本当に思いやっていたのかすらわからないマイクがラストでピートにかける言葉で胸が熱くなる「一人で大丈夫か?」。単純なセリフの中に、単調な流れの中に、深い何かが埋まっているような映画です。一度観ただけでは読み取れなかったものがあるような気がする。DVDが出たら家でじっくりともう一度味わいたいと思える作品でした。

2006年4月24日(梅田ガーデンシネマ)

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『ミリキタニの猫』the Cats of Mirikitani(2006年/米)

監督:リンダ・ハッテンドーフ。

2001年。この映画の監督であるリンダは、ニューヨークの路上でひたすら絵を描いている一人の日系の老人と出会う。彼の名はジミー・ミリキタニ。自らを絵画の巨匠だという彼に興味を持ったリンダはカメラを回す。そして2001年9月11日。世界貿易センターが瓦解し、ニューヨーク中が騒然とし、みんなが恐怖に怯える中、いつものように平然と絵筆を動かすジミーにリンダは声をかける「うちに来ない?」リンダとジミーの奇妙な共同生活の中で明らかになっていくジミーの人生。日系人強制収容所に送られ、アメリカの市民権を捨て、それでもアメリカでアメリカを憎みながら生きてきた彼の戦後60年史。

人との出会いって本当に不思議だ。 ジミー・ミリキタニの絵は彼が自らを巨匠だと言うほどに上手いものなのかは、私にはわからない。もし路上で彼の描いた絵を見たら、買ったかな?どうだろ?不思議な絵ですよね。 今彼が画家として生きているのかどうかはわからないけど、路上画家ジミー・ミリキタニとして彼の名は、アメリカでそして日本で知られるようになった。でももし、彼がリンダと出会わなければ、確かにあのニューヨークの路上で路上画家としての彼の人生はそのままにあったかもしれない。だけど、彼の怒りも思いもまたそのまま彼の中だけで、彼はただの浮浪者としてニューヨークの路上に息絶えていたんだろう。 私は運命論者だ。だからきっと彼の人生を知らしめるために、日系人だというだけで収容所に入れられて、大人になることもなく逝ってしまった猫好きの少年のことを、ピースサインが決して古びたダサいサインではなく、今でも堂々と掲げなければならないサインであることを見せつけるために、ジミーとリンダの出会いがあったのだろう。 しかしアメリカという国は不思議な国だ。『シッコ SiCKO』で描かれているように、金持ち崇拝のとんでもない医療制度がまかり通っているかと思えば、この映画では、社会保障番号をなくしたジミーの社会保障番号を探し出し、あっさりと見つけられる彼の新居。おまけに老人施設では、日本では絶対に通らない偏屈な老人の「わしは絵画の巨匠だ」という言葉に「じゃ、絵画教室の先生をやってもらいましょう」って・・・何よこの寛容さは。「アメリカなんてクソッタレだ」そんなジミーを支える彼ら。アメリカと比較して日本を褒めるジミーの言葉に恥じないような日本人でいなければ・・・。肝に銘じさせられました。何があっても「ピース!」

2007年10月29日(シネ・ヌーヴォー)

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