『グッドナイト&グッドラック』Good Night, and Good Luck.(2005年・米)
監督:ジョージ・クルーニー。
1950年代初頭、ソ連と冷戦が激化する中、マッカーシー上院議員らによる共産主義を排斥する「赤狩り」が行われていた。共産党員と話しをしていた。ただそんな理由だけでも共産主義者とみなされ非国民とされ、仕事を追われ、生活を破壊される。マスコミもその先導役となっている中、世を圧巻する「マッカーシズム」に対し果敢な戦いを挑んだ、CBSの人気キャスターのエド・マローとプロデューサーのフレッド・フレンドリーら番組スタッフの物語。 2006年5月15日(TOHOシネマズ泉北) |
『グエムル -漢江の怪物-』(2005年・韓国)
監督:ポン・ジュノ。
多くの家族連れや恋人たちで賑わう漢江の河川敷。橋げたに妙な物体を見つけた人々が川沿いに次々と野次馬のように集まっていた。やがてそれは川に落ち、そして河川敷を駆け上がってきた!今まで見た事のない正体不明の巨大怪物は、河川敷に集まった人々を次々に襲い、河川敷で売店を営んでいるパク一家の長男カンドゥの娘ヒョンソを攫い川へと消えていった。哀しみにくれるパク一家だが、哀しみにくれている間などなく、あの怪物はウィルスの宿主で怪物に接したものはすべて隔離すると、病院に強制収容されてしまう。そんな中カンドゥの携帯に着信が・・・「お父さん助けて!」死んだと思っていたヒョンソからだった。なんとしても助け出さなければ!父ヒボン、長男カンドゥ、次男のナミル。長女のナムジュ。パク一家は病院を脱走し、政府に追われながらもヒョンソ救出のために漢江に向かう 2006年9月25日(動物園前シネフェスタ) |
『今宵、フィッツジェラルド劇場で』A PRAIRIE HOME COMPANION(2006年・米)
監督:ロバート・アルトマン。
ミネソタ州のフィッツジェラルド劇場で30年あまり続いているラジオの公開生放送番組『プレイリー・ホーム・コンパニオン』が、ラジオ局の買収により打ち切りとなり、今日が放送の最終日。いつものように楽屋入りする出演者たち。姉妹デュオのロンダとヨランダ。カウボーイシンガーのダスティ&レフティ。警備係の探偵ガイ・ノワール。そしていつものように幕が上がる。いつもと違うのは真っ白なトレンチコートを着たブロンドの女性が舞台上と舞台裏に出没することだけ・・・。 2006年3月26日(テアトル梅田) |
『ゴッドファーザー』The Godfather(1972年・米)
監督:フランシス・フォード・コッポラ。
一族の尊敬を集めているドン・コルレオーネ。イタリア移民の裏の世界に君臨する彼の元には、彼の助けが必要なものたちが集まってきた。そんなある日、麻薬を扱うソロッツォが仕事を持ちかけてくる。コルレオーネの持つ政界や警察のコネが必要だったのだ。しかしコルレオーネは麻薬にだけは手を出さないと話を断る。そのために命を狙われ、九死に一生を得るが、これをきっかけにソロッツォと彼の背後にいたタッタリア・ファミリーとを相手の戦いが始まり、一家の仕事には関わらないようにしていた末っ子のマイケルが重要な役目を担うことになる。 2007年3月31日(動物園前シネフェスタ) |
『光州5・18』(2007年/韓国)
監督:キム・ジフン。 タクシー運転手のミヌは、早くに両親を亡くし高校生の弟ジヌと暮らしていた。そのジヌが通う教会に同じく通っている看護師のシネにミヌは片思いをしていた。どうやったら思いを告げられるか?同僚に相談するミヌ。5月の穏やかな気候の中、ごくごく普通に優しく過ごしていた彼らの生活がある日突然一変する。5月18日、大学生のデモを鎮圧するために投入されていた空挺特別部隊が、容赦なく学生たちに襲いかかったのだ。軍のむごい仕打ちに激昂する人々。デモは膨れ上がっていく。そしてついに武器を持たない市民たちに軍の銃が火を吹く。 この映画の流れに実際に何事もなく日々を送っていた人々とこの作品を今見ている私がリンクするような気がした。私自身この光州事件のことは全く知らなかったものだから、緑の木々に囲まれた陽光うららかなのどかな風景から、平凡に暮らす人々の日常に、なんともおちゃらけたコメディシーンに、笑わされなごまされながらスクリーンをみつめていた。ところが映画館のシーンから、とんでもないところに自分自身も放り出され「なんでそんなことになるんだ!?」思わず私は拳を握りしめていた。そして涙があふれて仕方なかった。救いようのないラスト。この事件のことを何一つ知らなかった私は、救いようのないラストが胸に痛すぎて、家に帰って早速のこの事件のことを調べてみた。本当はパンフレットが欲しかったんですが、なんと売り切れだったんですよね。この当時劇中にも出てきますが、マスコミ統制され、軍事政権により「暴徒による暴動」とされ事件は民主化される1988年まで封印されていたようなもので、1990年にやっと被害者への補償法が成立し「暴徒による暴動」ではなく、全国的な民主化運動の流れの一環と規定されたそうです。ラストのみんなが集まる空想の結婚式の模様で、ただひとり笑顔もなく苦しげな表情のシネは、この事件で生き残った人々の心を物語っているのかもしれない。愛する人を逝かせてしまった悔恨。そして暴徒の汚名をそそぐことも出来なかった苦汁の日々。生き残った人々の心の傷は並大抵のものではなかっただろう。「私たちのことを忘れないで下さい」自分たちの正義を信じて逝った人々とその後のこの事件と共に生きてきた人々。忘れてはいけないでしょうね。 韓国映画を観るのは2007年の1月に『王の男』を観て以来なんですよね。久々に観た韓国映画はすごかった。韓流だとチヤホヤされてなんだかなぁっていう作品も入ってきてますが、こういう作品があるから韓国映画って侮れないんですよね。それに私にとってアン・ソンギ出演映画はハズレなしです(笑)。やっぱりアン様は素晴らしい。って結局ここに落ち着く私の感想ってやっぱりゆるいな(笑)。 あ・・・でもちょっと締めよう。この事件のことを調べててラストにかかる曲についてわかったので、書いておきます。 『イムの行進曲』というタイトルで、なんでもこの事件後に作られ歌われだしたものだそうで、この歌詞がまた心にズンときます。 曲はコチラ
愛も 名誉も 名前も 残さず 2006年5月19日(シネマート心斎橋) |