『僕の彼女を紹介します』WINDSTRUCK(2004年・韓国)

監督:クァク・ジェヨン。
主演:チョン・ジヒョン。チャン・ヒョク。キム・テウ。キム・スロ。

路上でひったくり事件が起こる。その犯人を追う高校教師のミョンウ。そのミョンウ非番中の熱血警察官ギョンジンは犯人と間違えて逮捕してしまう。警察に連行されるは誤認逮捕した当人のギョンジンは謝ることすらしないは、散々な目にあったミョンウだが、その後教師としての仕事のひとつである夜間パトロールで組むことになったのはなんとあのとんでもない婦人警官ギョンジンだった。この日もまたとんでもないギョンジンのせいで散々な目にあわされるのだが、いつしか二人は恋に落ちていた。破天荒なギョンジンに振り回され気味のミョンウ。それでも楽しい日々を送っていたが・・・。
なんだか最初は『猟奇的な彼女』の焼き直し・・・みたいで半分ダレながら観ていた。しかもギョンジンは『猟奇的な彼女』以上にとんでもない女。というよりなんなんだこの女?!とムカツキを覚えるくらいに傍若無人。ところが、後半からすっかり持ってかれてしまいました。こういうの弱いんですよねぇ。もう物語の破綻やら強引さやらなんてもうどうでもよくなっちゃった。とにかく後半の展開にすっかりのせられ、しかもラストは、思わず「おぉ!」と声をあげちゃいそうになるサービスショット。それに『雨に唄えば』や『ゴースト』が入っていたり、私が気付かなかっただけでなんだか他にもありそうな映画好きを楽しませてくれる趣向があったり・・・。私はこの作品好きだな。

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『ビフォア・サンセット』(2000年・米)

監督:リチャード・リンクレイター
主演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー。

ウィーンで出会い、忘れられない時を過ごし、半年後に再び会う約束をして別れたジェシーとセリーヌ。それから9年が経ち、その時の経験を小説にしたジェシーはパリの書店での朗読会でセリーヌと再会する。その日アメリカへ帰国するジェシーが空港へ向かうまでの85分間、二人は散歩に出かけ、9年前のこと、そして今のこと互いの生活と気持ちを語り合う。『恋人までの距離』から9年後を描いた作品。
私はこの前作は観てないですし、この映画に対する興味もなく、観る予定だった映画がいっぱいで仕方なく(笑)この作品を観たのですが、どうもしっくりこなくてそのあたりをシューテツさんとやりとりしていたらそれがそのまんま感想としてアップできる状態になってしまった(?)ので、シューテツさんにご協力いただき、対話形式でアップさせていただくこととなりました。

とめ:
私この作品ダメだった一つの原因に、イーサン・ホークが今の嫁さんとうまくいってないってことを言うじゃないですか。あれがどうもひっかかりましてね。 私はあの物語自体は嫌いじゃないし、延々二人が散歩する映像とかほとんど二人芝居のようなノリは面白かったとは思うんですよ。 ただ、忘れられない人と9年という別れた男女にとっては非常に長い年月を経て再会して、ああいう会話は嫌だな・・・と。女が自分の本音で物を言うのはOKなんですよ。でも、男は本当に嫁さんとうまくいってなかったとしても、それなりに幸せだよ・・・って言って欲しいな・・・と思う訳でして・・・(^^;) シューテツさんはあれ本音だってとりました?私は一体どっちだろ?って気になっちゃいまして。

シューテツさん:
これはね、むつかしいところですが、私は本音ととりましたよ。というより、この作品って所謂前作ファンに対してのサービスとしての「赤い糸」伝説ありファンタジーでもあるから、その辺りをリアルに受けとめ過ぎると乗れないのも無理は無いかなって感じですかね。

とめ:
ただ、気に入ったとおっしゃる方がどう気に入ったのかな?と気になりましてね。「前作ファンに対する「赤い糸」伝説でありファンタジー」ですか。なるほど。

シューテツさん:
それと、あれは嫁さんとうまくいってないというより、一般的な結婚論として「結婚なんてこんなもの、だからもし僕らがこのまま一緒になっても同じ結果が見えているよ。でもこの恋心をどう収めたらいいのだろう」という二人の心の内をああいう形でつい発露してしまったというところかも知れませんね。 脚本家の苦心というか苦悩が垣間見れます。f^_^;; だって、とめさんのようにそこに引っかかる人だっているのは当然予想つきますものね。

とめ:
アハハ・・・(^^;)。 なんだかファンタジーから一転して、恋愛と結婚は別物なんていうリアリズムが垣間見えますね(笑)。

シューテツさん:
私は、そもそも「恋愛」ってことそのものが人生においてのファンタジーだと思っている部分がありますので、現実世界でも、どっぷりとこの「恋愛」というファンタージーに浸っていられる方々などをみると感心してしまいますけどね。(笑)でも、そうそう現実ではファンタジーに浸りきってばかりではいられないと思うのですが、これも体質なんでしょうかね。 まあ、この作品の良いところは(というか私も含む支持者達には)ファンタジーも含め、現実感もチラチラ垣間見せているから余計にのめり込んでしまうような気がしますけどね。f^_^;;

とめ:
つまり、私はファンタジーならファンタジーのままに、収めきれない恋心は遠い日の記憶に置いて来るしかないだろう現実にホロ苦さを感じながらも、優しい嘘でゆっくりと固めて欲しかった。ってことになるんでしょうかね(笑)。 ま、恋愛に関しては(人生もかな?)どちらかというと私は運命論者なんで、出会わなかった二人はどうあがいても出会わないし、結ばれなかった二人はどうあがいても結ばれない。過去に別れた二人が結ばれるならば、もっと結ばれるべくしたシチュエーションで出会うはずだと思うんですよね。
9年という月日はどんなに愛しあった二人でも、運命のいたずらで狂わされて離れてしまって結ばれることのなかった二人には、今再会したからってどうすることも出来ない隔たりを感じさせるものだと思うし、確かにあの映画ではそのあたりもうまく描いていたと思うんですよ。あのときのその人が目の前にいるという喜びと戸惑いと・・・あのラストも結局は飛行機に間に合うように帰ったと思いますし。もうただただ嫁さんとうまくいってないというのが気に入らなくて(笑)。
もしばったりと別れた男と出会って「今、幸せ?」って聞かれたら、「幸せっていう定義が結婚や家庭なら不幸せだけど、自由で気ままっていうのであれば最高に幸せですよ」というセリフを用意している私には、やはりどうにも納得いかないんですよね(笑)。

シューテツさん:
おお!、その台詞カッコイイですね。(笑)
お話を伺って思うのは、やはり映画って観る人のそれぞれの「美学」が、好き嫌いや否定・肯定に大きく関わっているようですね。 で、この作品はとめさん的美学に合わなかったということのようですね。(笑)

とめ:
「美学」ですか。なんかかっこいいですね。今度から私この映画嫌いだとかダメだぁ〜って言うよりも「私の美学にはあわないな」って言うようにしましょうかね(笑)。

2005年2月14日(梅田ガーデンシネマ)

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『ビヨンドtheシー 〜夢見るように歌えば〜』Beyond the Sea(2004年・英/独)

監督:ケヴィン・スペイシー。
主演:ケヴィン・スペイシー。ケイト・ボスワース。ジョン・グッドマン。ボブ・ホスキンズ。

7歳の頃、リウマチ熱のために心臓を悪くし、15歳まで生きられないと診断されたボビーに母ポリーは愛情のすべてをボビーに捧げ、自らが若い頃歌手だった経験からボビーに音楽を教える。音楽との出会いが彼の運命を大きく変え、母ポリー、年の離れた姉ニーナ。そして彼の父親代わりとも言える姉の夫チャーリーに支えられ、成長して青年となったボビーはニューヨークでプロの道を目指す。やがて彼はボビー・ダーリンという芸名を名乗り、次々とプロミュージシャンとしての成功を収めていく。
37歳で夭折した伝説的エンタティナー、ボビー・ダーリンの伝記映画。
伝記映画と言っても、単なる実話の映画化には終わっていない。ボビー・ダーリンを崇拝するスペイシー様の手によって当時のショー・ビジネスの世界を、そこで活躍したボビー・ダーリンの勇姿を再現したかのような映画になっている。この映画の隅々まで、スペイシー様のボビー・ダーリンへの愛、映画への愛、そしてショー・ビジネスへの愛で溢れている。スペイシー様が歌って踊って・・・スペイシーファンであればもうそれだけで至福の時を過ごせるのに、映画の出来も大満足の面白さ。もう言うことなしです。歌と踊りの実力をどうだ!と言わんばかりに見せつけつつ、演技派スペーシーの実力もしっかりと発揮し、監督として映画の見せ方もお見事。ここまでやっちゃってよろしいんですか?というくらいに力入ってる映画ですね。スペイシーファンとしては、最高にうれしい作品だったのですが、ふと、このあとの作品ではどうなるんでしょう?長年の夢を実現して燃え尽きちゃってたりしないでしょうね?と心配になってしまうぐらいすごい映画でした(笑)。

2005年2月28日(梅田ブルク7)

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『香港国際警察/NEW POLICE STORY』NEW POLICE STORY(2004年・香港)

監督:ベニー・チャン。
主演:ジャッキー・チェン。ニコラス・ツェー。ダニエル・ウー。

酒浸りの日々を送るチャン。彼はかつて有能な香港警察特捜部のリーダーだった。1年前アジア銀行が襲われ、そしてその犯人グループは大胆にも自ら警察に通報し、警察の到着を待ちパトカーや警官たちを次々に銃撃して逃げるという事件が発生した。チャンはマスコミに「3時間でこの事件を解決してみせる」と豪語し、部下を連れて彼らのアジトに向かうが、犯人グループにより仕掛けられた残忍な罠で部下を全員失ってしまう。失意の中で生きる希望も目的も失くしたチャンの前に新たに相棒として任命されたと一人の若者「巡査1667」ことシウホンが現れ、なんとかチャンを立ち直らせようとする。
今までの元気で明るくスーパーヒーローっていうジャッキーじゃないのがすごくいい!若い頃の彼の作品はあれはあれで私は好きだったんですよ。でも昔のようなの今更やられたら反対にびっくりしてしまうのですが、かつてのジャッキーの役回りだった明るくお調子者というシウホンに若手のニコラス・ツェーを配し、しっかりと年齢と経験を積み込んだようなスタンスで苦悩するチャンを見事に演じている。ご都合主義(いい意味でね)のコミカル場面に手に汗握るアクションシーン。しっかり堪能させていただきました。だたひとつ気になったのが、ニコラス・チェーの着ているコート。香港でも『踊る大捜査線』流行ったんでしょうかねぇ(笑)。

2005年3月28日(ナビオTOHOプレックス)

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『ピアノを弾く大統領』THE ROMANTIC PRESIDENT(2002年・韓国)

監督:チョン・マンベ。
主演:アン・ソンギ。チェ・ジウ。イム・スジョン。

浮浪者のフリをして彼らと酒を酌み交わし、彼らの声を拾おうとしたり、ピアノ演奏を披露したりとして国民の絶大な支持を得ている大統領ミヌク。そんな彼の娘が通う学校に新任教師としてやってきたウンスはクラスの問題児であるヨンヒのあまりにも自分勝手な行動に親に連絡するが、なんと彼女の父親は大統領のミヌク。大統領であろうとお構いなしの対応をするウンスに校長以下職員はみんな大慌て。ところがその大統領自ら学校へやってくる。慌てふためく校長をよそにウンスは「子供が悪いのは親に責任がある」と罰として宿題を大統領に与える。公務の間に懸命に宿題に取り組む大統領はその提出の際、ウンスを昼食に招待する。気さくで誠実な大統領の人柄に惹かれるウンス、そしてまた妻を亡くして以来独身で過ごす大統領も飾らない真直ぐなウンスに惹かれていく・・・。
なんだかこの映画チェ・ジウの『ピアノを弾く大統領』なんて書かれてますが、ふざけてんじゃないよ。これはアン・ソンギの『ピアノを弾く大統領』じゃないか!もうアン・ソンギ様最高!娘を喜ばそうとダンスをするシーンまであって(これはちょっと観ているこっちがこっぱずかしくなっちゃいましたが(笑))アン・ソンギファンのためのサービス映画と言ってもいいくらいだ。いや、これは間違いなくアン・ソンギファンのためのサービス映画(笑)。こんなに明るくてお茶目なアン・ソンギってはじめて見る。なんでもこなしちゃうんですねぇ。韓国の国民的俳優と言われているそうですが、この映画でそれがすごく納得出来ちゃいました。彼にそれだけの不動の人気があるからこそ、大統領という設定をもっていってもおかしくならない器があるからこそこの映画は成り立つんですよねぇ。やっぱアン・ソンギはすごい・・・。かっこいい。素敵だ。映画館をあとにする私の顔はきっと思いっきりにやけていたことでしょう(笑)。

2005年5月30日(シネ・リーブル梅田)

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『バットマン・ビギンズ』Batman Begins(2005年・米)

監督:クリストファー・ノーラン。
主演:クリスチャン・ベール。マイケル・ケイン。リーアム・ニーソン。

幼い頃目の前で両親を射殺され、それが自分のせいであると思い続けてきたブルース・ウェインの心は罪悪感と復讐心・・・他者と自分への怒りで満ちていた。そして両親を殺害した犯人への復讐が果たせず亡き父が貧困と腐敗から守ろうとしていた街が真の悪に牛耳られていることを知った彼は「この街を腐敗した連中から取り戻す」という決意の元、生まれた街ゴッサム・シティを離れる。やがて犯罪者の心理を知るために自らも犯罪者となったブルースの前に一人の男が現れ、彼に導かれるまま「影の同盟」での修行に励むも彼らの方法に疑問を抱いたブルースは彼らと決別し、ゴッサム・シティへと戻る。そしてそこでブルースの新しい人生が始まる。
今までのバットマンシリーズって実は私あまり好きじゃなくってほとんど観ていないんですよね。あの悪役たちのかぶり物やメイクがどうもついていけなくてね。ところがこの作品はバッドマン誕生の物語でなかなか硬派な作りだと聞き・・・え?嘘付けって・・・。ハイハイ、そうですよ。リーアム・ニーソンが予告ですっげぇかっこよかったから観に行ったんですよ。もちろんリーアム・ニーソンがノーメイクでかぶり物もなしだったからなんですけどね。で、その予告編そのままにかっこいい。しぶい。もう言うことなしの大活躍。おまけにマイケル・ケインにモーガン・フリーマン、そしてゲイリー・オールドマン。おやじ好きの私をフラフラさせるくらいの豪華キャスト。気になる点は多々あるものの、そんなことどうでもいいやって思えるくらいに私にはこの映画面白かった。あ・・・そうだこれ渡辺謙さんも出てたんですよね(笑)。いや、こちらはなんとも・・・その・・・。別に謙さんじゃなくっても・・・という気がしないでもない。役がイマイチ重要でない気がしたから謙さんじゃなくっても・・・というのとね、せっかく謙さんが出ているのにいわゆる殺陣のシーンが全然ダメなんですよね。動きにキレがないし、締まりがないんですよね。撮り方が悪いのかなぁ〜。まぁ、確かにいろんな評を読むと結構アクションシーンへのブーイング出てるみたいですけどね、この作品。でもいいんです私は。主役のクリスチャン・ベールも曲者っぽくってかっこよかったし、情けなくって人がいいという今までにないゲイリー・オールドマンも観れましたしね。

2005年7月4日(TOHOシネマズ泉北)

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『ベルベット・レイン』江湖(2004年・香港)

監督:ウォン・ジンポー。
主演:アンディ・ラウ。ジャッキー・チュン。ショーン・ユー。エディソン・チャン。

黒社会の大ボス、ホンの暗殺計画の噂がたちはじめる。暗殺者は顔も名前もわからない誰とつながりがあるのかさえわからない若者だという。互いの腹を探り合うホン配下の三人のボス達。そんな中、ホンに子供が生まれ、ホンの兄弟分のレフティは三人のボスたちに目を光らせながらも、子供のためにホンに引退を勧める。一方、黒社会でのし上がるために、大ボス暗殺計画の実行者選抜の賭けに参加するイックとターボ。イックのためにと当たりを選びイックに渡すターボ。ホンとレフティ、イックとターボ。男同士の友情が雨降る夜の街で交錯する。
これネタばれになるのかなぁ〜・・・。ま、とりあえず。改行






『インファナル・アフェア』とキャストがよく似ているんで、このオチ(っていうのか?)はすぐにわかった。だから妙にわからないようにしているストーリー展開がイマイチ面白く感じなかったんですよねぇ。最初からわかっている方が私は面白かったような気がします。でも、なかなかにシブくてかっこいい物語で、私にはレフティの生き方が哀しかった。レフティはホンに成り代わりトップに立ちたかったわけじゃないんですよね。もしホンが妻も子も持たなかったら、二人の絆は永遠のものだったかもしれない。ホンがレフティの勧める引退の話しを・・・レフティの心を本当に理解していたら・・・。雨の夜はじまった二人の男の黒社会での人生は、雨の夜終わる。このラストは本当に渋い。ホンのためだけに生きてきた不器用な男レフティが引いた幕の意味をホンは理解したのだろうか?

2005年10月17日(動物園前シネフェスタ)

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『ホテル・ルワンダ』HOTEL RWANDA(2004年・南ア/英/伊)

監督:テリー・ジョージ。
主演:ドン・チードル。ソフィー・オコネドー。ニック・ノルティ。ホアキン・フェニックス。

1994年ルワンダ。フツ族とツチ族の間で続いていた内戦がようやく終結し、和平協定が結ばれようとしていたが、フツ族の民兵はフツ族至上主義を唱え、ラジオでも公然とツチ族への非難が放送されていた。首都キガリにあるホテル”ミル・コリン”の支配人ポールは、そんなきな臭い情勢に不安を覚えていた。なぜなら彼の妻はツチ族だったから。何かあっても自分たち家族だけは助かるようにと、日頃からホテルに出入りするビジムング将軍に高級酒をこっそり渡したり、フツ族至上主義を唱える民兵組織を率いる物資調達業者にも高級な葉巻を渡したりと準備はしていた。やがてその危惧が現実になる時が来た。「フツ族大統領がツチ族に暗殺された」ラジオから流れるフツ族至上主義たちの放送。自分たち家族だけなら助かるはずだった。しかしポールを頼り逃げてきた隣人たちを見捨てる訳には行かない。ポールは家族と隣人たちを連れてミル・コリンに向う。街中に響く銃声、あがる炎。修羅場と化した街から難を逃れた人々は海外資本であり、国連兵士がガードしているため民兵たちも手は出せないミル・コリンに集まり、ホテルは難民キャンプの様相を呈してた。やがてやってきた国連軍は外国人を退去させるためのもので、それは世界がルワンダを見捨てたことを意味していた。自分たちが助かる方法は?家族さえ助かれば・・・最初はそう思っていたポールだが、このホテルにいるすべての人を助けるためにあらゆる手を使い奔走する。
すごい映画だ。これがフィクションではないというのが、あまりにもすごすぎる。同じ国の中で同じ言葉を話し、姿形も私にはどこがどう違うのかすらわからない。ただ種族が違うだけ。しかもIDにそれが記載されている。何なの?そして私はこの映画を観終って早速この映画のサイトへ行ってみた。『ホテル・ルワンダ』公式サイトここのHISTORYを読んでただただ絶句。単純に言っちゃえばベルギーって国家最低。ってことになるんでしょうが、そんな単純な話じゃないんですよね。人間の差別意識っていうのは結局は刷り込み。三毛猫の団体が黒猫をいじめているなんて話し聞いたことないし、そんなことが起こるはずもない。それは区別する必要も差別する必要もないから。すべては為政者によるマインドコントロールなんですよね。日本でも過去に作られた身分意識は100年以上経った今でも残っている。愚かなものです。そう言っている自分自身はそんな意識は皆無です。なんて大きなことは言えない。やはりそれは心のどこかに潜んでいるのだと思う。台等するフツ族至上主義を苦々しく思いながらも自分はフツ族だから大丈夫、でも妻はツチ族だから一応手を打っておこう。とにかく家族だけは守らなければ。そんなポールに自分と同じ物を感じた。差別される側に立っていない無意識の差別。しかしこの主人公ポールは目の前で繰り広げられる暴虐に、目を開かされる。そしてホテルを守る国連軍の指揮官から「君たちは白人でもないしニガーでもない」という言葉を聞かされる。ルワンダという国の中では差別される側ではなかった彼が思い知らされる現実。世界中どこに行っても必ずそこにある差別。取り返しのつかないルワンダの大虐殺の事実に「ひどい話だねぇ」と言いながらディナーを続けた私たちに一体何が出来るのだろうか?せめて心の中にある無意識の差別に常に目をむけ戒めていきたいと思う。

2006年2月13日(シネ・ヌーヴォー)

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『PROMISE』無極(2005年・中国)

監督:チェン・カイコー。
主演:セシリア・チャン。チャン・ドンゴン。真田広之。ニコラス・ツェー。

無数の死体が転がる戦場で食べ物を漁る一人の少女。少女の前に現れた運命を司る女神“満神”は少女にこう語りかける「約束しましょう。望むものはすべておまえに与えます。ただし真の愛だけは永遠に手に入らない。それでもいいですか。」そして少女は答える「それでもいい。」やがて少女傾城は美しく成長し王妃となる。真実の愛を得ることは出来ないという約束に自らの運命を委ね愛することを拒絶してきた傾城の前に現れる三人の男。傾城を我が物にするために王への裏切りさえ厭わない冷酷な北の国の公爵無歓。無敗の大将軍光明。そして光明と行動を共にする奴隷の昆崙。王の死により動き出した彼らの運命。傾城は「真の愛だけは永遠に手に入らない」その意味を知ることとなる。
おバカ映画だという情報をしっかりとインプットして劇場へ。ところが・・・え?これおバカ映画ですか?嘘。すっごくわたくし堪能したんですが・・・(^^;)。いや、確かにね、水牛と共に四つん這いになって疾走するチャン・ドンゴンの姿には吹き出すどころか目が点になっちゃって、一瞬呆然としてしまいましたよ。でもここを乗り切っちゃうともうセシリア・チャンが凧になろうと、ニコラス・ツェーが意味があるんだかないんだかわかんない鼻血を出そうがもう全然気にならない。すっかり映画にのめりこんで思いっきり楽しんじゃいましたよ。いやぁ〜いいですわこの映画。アジア版『ロード・オブ・ザ・リング』『ナルニア物語』って感じで。なんだったらいっそのこと最初に現れる女神を魔女かなんかにしてその魔法解くためにはどっかの険しい山登って聖水かなんかとってこなきゃいけないってことにして3部作にしてもらったってよかったってくらいに私は好きだ(笑)。物語が安直と言えば安直かもしれませんが、いいじゃんわかりやすくって(爆)。冷酷で 誰も信じないと言っているわりにはあっさり信じてるやんって感じの無歓のちょっと抜けた感じのするキャラもいいし、無敗の大将軍って割りにはあっさり女の色香で腑抜け状態になっちゃう光明も世俗臭があってよし。あれだけ足が早くって時空さえも超えられるんなら怖いものなしだろう?って思えるのに奴隷だっていうのが不思議な妙に人のいいあんちゃん風の昆崙もよし。なんだか余計なこと考えないでいいってのがとにかくいいです(笑)。ラストのやっぱりそれかよっていうわかり易さに思わず吹きだしかけましたけどね。ややこしいこと嫌いな人にはおすすめかも(笑)。

2006年2月20日(TOHOシネマズ泉北)

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『ヒストリー・オブ・バイオレンス』A History of Violence(2005年・米/カナダ)

監督:デヴィッド・クローネンバーグ。
主演:ヴィゴ・モーテンセン。マリア・ベロ。エド・ハリス。ウィリアム・ハート。

アメリカ、インディアナ州ミルブルックの小さな田舎町。この町で"STALL'S DINER"という小さな店を経営しているトム・ストールは弁護士の妻エディと二人の子供たちと静かな幸せな日々を過ごしていた。ところがある夜トムの店が二人組みの強盗に襲われる。「金ならすべて渡す」と言うトムに、常に人を殺害しないでは終わらない二人は銃を向ける。危険を察知したトムは強盗の隙をついて反撃、二人の強盗を撃ち殺す。一躍町のヒーローとなるトム。ところが彼の活躍がメディアを騒がし、新聞に書き立てられたことでトムの前に左目に深い傷を負ったフォガティというマフィアに絡む男がやってくる。トムをジョーイと呼ぶこの男の来訪がエディの知らないトムの過去を蘇らせ、幸せな家庭が徐々に壊れ始めていく・・・。
もうただただ、ウィリアム・ハート見たさにいそいそと映画館へ出かけた(笑)。出演時間が短いのにも関わらずこの映画でアカデミー賞助演男優賞ノミネート。一体どういう役でどういう演技だったのか気になって仕方なかった。彼の登場シーンは後半。なんでも出演シーンは8分ということなんですが、あれが8分なんて短い時間だとは感じられないくらいのインパクト。エド・ハリスより長く出てたんじゃないの?って感じるくらいでした。アカデミーノミネートも納得ですね。いやぁ渋くてかっこよかった。・・・で、映画の方ですが・・・(笑)、う〜ん・・・悪い映画ではないと思うのですが、なんだか私にはちょっとわかりかねる作品でしたね。トムをジョーイと呼ぶ男が現れて、ジョーイは人殺しだと伝えるんだけど、トムは自分はトムでジョーイなんかではないと否定する。人違いだと・・・っていう部分の流れをサスペンスっぽくしているせいか、人違いだと何事もないように知らん顔するトムがなんか真剣味がないんですよね。何人も人殺してきた男で、フォガティと同じ世界にいたのなら、もっとフォガティたちへの恐怖を持ってもいいと思うんですが、どうもそこが感じられない。多分実際に戦えば自分の方が強いってのはあるんだろうけど、ジョーイとしてではなくトムとしてこの生活を守りたいと思うなら彼らのやり方に恐れを抱くだろうし、どうにかして妻や子供に知られないように必死になるんじゃないかな。確かに暴力を肯定している映画ではないのはよくわかります。でもねぇこのラストはどうなんでしょう。いや、確かに何事もなかったように今まで通りとはいかないのはわかるんですが・・・。あとは自分で考えろってことなんですかね?(^^;) カタつけ終わったあとは必ず警察につかまる『網走番外地』や『昭和残侠伝』に慣れている私にはどうも納得のいかない終わり方でした(笑)。え?映画の主旨が違う? ま、確かにそうなんですが・・・(笑)。

2006年4月17日(シネ・リーブル梅田)

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『ポセイドン』POSEIDON(2006年・米)

監督:ウォルフガング・ペーターゼン。
主演:ジョシュ・ルーカス。カート・ラッセル。エミー・ロッサム。リチャード・ドレイファス。

大晦日の夜、超豪華客船「ポセイドン」が大西洋上を進んでいた。船内は新年を前に盛大なパーティが繰り広げられいた。人々が歓喜にわくポセイドン号を50メートル級の超巨大波が襲う。船内は一瞬にして地獄絵図と化し、辛うじて助かった数百人は船長の支持によりボール・ルームで救助を待つことにする。そんな中プロギャンブラーのディランは船長の制止を振り切って、数人の乗客と共に今やポセイドン号の頭上となった船底を目指して生への行軍へと出る。
1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』から34年の時を経てリメイクされた本作。生き残った老若男女入り混じった数人が決死のサバイバルへと臨むという基本設定だけがリメイクであとの登場人物、物語の流れなどは全くの別物なんですが、34年という月日はこれでもか!というくらいに特撮技術の進歩を見せ付ける。そしてとにかく余計なものは何もない、ただただ手に汗握るアクションパニックムービー。この余計な贅肉をとことんそぎ落としたこの作りに納得出来る人は、すごく楽しめる作品だと思うのですが・・・(^^;)。あまりにすごい映像とハラハラドキドキ感に、この作品の半分以上過ぎたところまで、何も気付かなかったのですが、終盤にさしかかり「あれ?」って気になった。そういやこの人たちは一体何者なんだろう?(笑)。元ニューヨーク市長とその娘と彼氏っていうのだけはっきりとしてるんだけど・・・。それにリチャード・ドレイファス扮するゲイの建築家は高波くる前は自殺志願だったじゃない。なのになんでそんなに必死に生きる?(笑)。余計なものがないからいいという人もいるんですが、やはり私はドラマが欲しい。こんな切羽詰った時に愛やら生やら死なんてどうでもいいだろう・・・ってことなんだろうけど、どうも私はそういうのがないと納得出来ないんですよねぇ。出来るなら劇場のスクリーンの迫力ある映像と、音響で観るべき映画かもしれない。家でだとバッサリ切り捨てられたドラマ部分抜きの本作はすごい物足りなさを感じるんじゃないかなぁ〜なんて思います。それに私としてはリチャード・ドレイファスもっと活躍して欲しかったなぁ。

2006年6月11日(TOHOシネマズ泉北)

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『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006年・米)

監督:ゴア・ヴァービンスキー。
主演:ジョニー・デップ。オーランド・ブルーム。キーラ・ナイトレイ。

ブラックパール号を取り戻してから3年。近頃やけに精彩を欠きだしたジャック・スパロウの前にとうとう彼が恐れていた“深海の悪霊”デイヴィ・ジョーンズがかつてジャックと交わした契約の履行のためにやってくる。その契約とは13年間ブラックパール号の船長として過ごせば後はデイヴィ・ジョーンズの元で永遠の労役に服すという契約だった。なんとかその契約を反古にするために必死にある宝物を探すジャック。そしてそのジャックを3年前に助けたために結婚式を前に捕らえられてしまうウィルとエリザベスは、自分たちの身を守るためにジャックと再会することに・・・。
2時間半という長い作品なんですが、その長さは全く感じなかった。面白く楽しく観られたんですが・・・。訳わかりにくいよぉ〜(笑)。なんか物語の流れについていくのに必死って感じで観てました、展開が早い上に長い。つまりわかりにくい・・・んですよねぇ。おまけに3年前に観た前作はすご〜く大まかな部分しか覚えてないし、キャラで見覚えあるのって、ポスターに載ってる三人だけですもの・・・(^^;)。結局最後まで「東インド会社」のあの小男が一体何者で、何をどうしたいんだかわからなかった。おまけにまた、遠い昔の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』での「このあとどうなるんだよぉ〜、おいてかないでくれ〜」という気持ちを再度味わうことになるとは思わなかった。(^^;) 事前にそういうことちゃんと掌握してなかった私が悪いのかなぁ〜。

2006年7月24日(TOHOシネマズ泉北)

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『プルートで朝食を』BREAKFAST ON PLUTO(2005年・英)

監督:ニール・ジョーダン。
主演:キリアン・マーフィ。リーアム・ニーソン。ルース・ネッガ。ローレンス・キンラン。

舞台はIRAのテロ活動が活発だった1970年代。アイルランドの小さな町で、生まれてすぐ教会の前に捨てられていたパトリックは養子に出され普通の男の子として育てられたが、幼い頃からドレスや化粧品に興味を持ち「変わり者」のレッテルを貼られるようになる。しかし本人は周りなど一切気にせず自らを「キトゥン」「聖キトゥン」と名乗りあるがままの自分で過ごしていた。そんなある日、ある出来事をきっかけにキトゥンは本当の母親ためにロンドンへと旅立つ。
「人の迷惑顧みず・・・」ってな感がなきにしもあらずなキトゥン。でもそう感じるのはきっと私が世間の常識という何々はこうあるべき!的な枠を持って生きているからだろう。出来うるなら何事にも寛容に「そういうこともアリだな」と動じることなく生きていきたいものですが、やはり私は小心者。マジョリティーに迎合することで保身を図ってしまう。ふわふわとヘラヘラともうちょっと真剣に物事を考えなよ!と言いたくなってしまうようなキトゥンに「真剣、真剣って・・・真剣って嫌いよ」とバッチャリやられてしまった。真剣に・・・そう思ったとき人は自分の作った枠の中に入り込み、枠の外にいるものに敵愾心を抱き、自らの行動を正義と決め付けたとき、枠と枠の衝突が起こり、憎しみと暴力の連鎖が生まれるんですよね。キトゥンの生き方はどこかいい加減なんだけど、ある意味良い加減なのかもしれません。「プルートで朝食を」地球から遠く離れた星でゆっくりと何に惑わされるでもなく朝食をとる。そんな気分で過ごせたらいいんですけどねぇ。寛容に寛容に・・・狭量な心の私にはなかなかに難しい生き方ですね。(^^;)

2006年8月18日(テアトル梅田)

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『墨攻』(2006年・中/香港/韓/日)

監督:ジェイコブ・チャン。
主演:アンディ・ラウ。アン・ソンギ。ワン・チーウェン。ファン・ビンビン。

紀元前370年頃の戦国時代。趙と燕の国境にある梁城は、燕に侵攻しようとする趙軍の進路にあたるため趙軍の攻撃は必至となっていた。趙軍は10万。梁城の全住民はわずか4000人。勝ち目のない戦に墨家の協力を要請していたが、救援は未だ訪れず、降伏を決断したとき一人の男がやってくる。墨家の革離。彼は梁王から兵に関する全権を与えられ、梁城の守備を固める。彼の動きから趙軍の指揮官・巷淹中は革離を好敵手と判断、やがて10万対4000の熾烈な戦いが始まる。
映画館で、この作品のチラシをみつけた時、『墨攻』・・・どっかで聞いたことあるタイトルだなぁ、こんなマンガなかったっけ?と思いながらみつけた出演者欄のアン・ソンギの名前。よし!絶対に観に行くぞ。それだけで観賞予定に入ったこの作品。日本のマンガで・・・と思った私の記憶には間違いなく、それが原作だそうで、この作品は中国・韓国・香港・日本というまさしくアジア映画!それだけでも震えるほどうれしい。そしてテーマの大元は「非攻」今にこそぴったりなテーマだと思う。そしてこの物語の中では「非攻」「兼愛」を唱える墨家が、戦いに勝つべく協力を要請され、戦をする。少ない兵で勝つ戦略を練り、死者を出さぬように・・・と配慮しつつも、戦では人は死に、傷つき、勝者と敗者が生まれる。勝者と敗者が生まれることでまた、新たな戦いの火種が生まれる。戦いはイコール破壊であり、戦いでは何ひとつ生まれるものなどない。結論は「非攻」しかないんだ。その結論へと結びつける説教臭さは微塵もなく、純粋に映画を楽しむだけでその結論へと導かれる。しっかりと真面目な作品だ。アン・ソンギはすごくかっこいいし・・・と結局はそこへ行くらしい(笑)。 でも、アン・ソンギだけではなくキャスティングがいいですね。この作品は。ムダで無理なキャストがいない。主役のアンディ・ラウはこの作品ひっぱっていくには充分な貫禄だし、Mr.マリックに似てると思ってしまった梁王役の人も巧いわ。これからもこういうアジア映画観たいですねぇ。「アジア映画」という発想で、こういう方式の作品がどんどん出てくるといいのに。

2007年2月5日(TOHOシネマズ泉北)

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『パフューム -ある人殺しの物語-』PERFUME: THE STORY OF A MURDERER
(2006年・独/仏/スペイン)

監督:トム・ティクヴァ。
主演:ベン・ウィショー。ダスティン・ホフマン。アラン・リックマン。

18世紀のパリ。悪臭たちこめる魚市場で死産だろうと産み落とされ、放っておかれたジャン=バティスト・グルヌイユは、生きるために産声をあげ、そのために母親は子供を殺そうとした罪で絞首刑となる。そのまま孤児院へと連れていかれたグルヌイユはそこで育つが、異常に発達した嗅覚を持つ彼は他の孤児たちと一線を画していた。やがて孤児院からなめし革職人の元へと売られ、そこで過酷な作業に従事する日々を過ごすが、ある日彼は彼の嗅覚を刺激する素晴らしい香りを放つ少女に出会う。その香りを異常に求めるあまりに少女を手にかけてしまうグルヌイユ。香りに執着する彼はなめし革の配達で知り合った香水職人バルディーニに弟子入りする。生来の嗅覚を活かし最高の香水を調合するグルヌイユだが、彼の欲するものはただの香水ではなかった。
えーっと・・・はっきり言います。私この作品全然ダメでした。いや、実はこの物語を香水の調合師として究極の香りを求めるために禁断の実をもぎ取るように女性を使い香水を作ろうとした男の物語だと思ってたんですよ。つまり一線を越えて狂気へと走ってしまった・・・みたいなね。まさか最初から狂気な人だったとは・・・(^^;)。グルヌイユ自身には体臭がない。ただ産み落とされ、誰からも愛されることなく育ち、という部分で彼を肯定(人間としてね)しないといけないんでしょうが、私には出来ない。彼にはあまりにも感情が無さ過ぎる。だから自分には体臭がないということに哀しみを感じているようには思えない。というよりその哀しみの感情があるなら、他の感情もあるはずだと思うんですよね。だから私にはこのグルヌイユはただただ狂気な人。人間とさえも思えなかった。この作品観終ってネットで検索してて知ったのですが、何でもこのクルヌイユってカエルって意味があるそうです。なんだか納得(笑)。それにしても・・・アラン・リックマン恰幅よくなりすぎ。オフ会でアラン・リックマン=名和宏と言われ「え〜!!」と思ったけどこの作品観て納得ちゃったよ(笑)。

2007年3月19日(TOHOシネマズ泉北)

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『ブラッド・ダイヤモンド』BLOOD DIAMOND(2006年・米)

監督:エドワード・ズウィック。
主演:レオナルド・ディカプリオ。ジェニファー・コネリー。ジャイモン・フンスー。マイケル・シーン。

内戦が続く、アフリカ、シエラレオネ共和国。この国の唯一の資源ダイヤモンドは反政府軍RUFの資金源となっていた。そしてRUFは罪のない村を襲い壊滅させ、人手として使えそうな男はダイヤモンドの採掘場へと連れて行き過酷な労働を強いていた。メンデ族のソロモンもその一人だった。彼はそこで大粒のピンクダイヤを発見し、危険を覚悟で監視の目をかいくぐりそのダイヤを隠したとき政府軍の襲撃を受けRUFの兵士たちと共に捕えられる。一方ダイヤの密輸を生業にしているダニー・アーチャーは、密輸に失敗し、ソロモンが収監されたと同じ刑務所に投獄されていた。そこでピンクダイヤの話を聞き、ソロモンに近づきなんとかピンクダイヤを手に入れようとするが・・・。なんとしても家族を探し出したいソロモン。ダイヤを手にいれたいアーチャー。ダイヤが密輸されることで内紛が続き「ブラッド・ダイヤモンド」と呼ばれている真相を探ろうとしている女性ジャーナリストのマディー。ピンク・ダイヤをめぐり三人の旅が始まる。
今までディカプリオってあまり好きではなかったのですが、この作品での彼かっこいいですわ。年齢的にも汚れ役が似合うようになってきたのでしょうか。これって実話ではないですが、「ブラッド・ダイヤモンド」っていうのは実話らしくって、自分自身本当に何にも知らないんだなぁと自分の無知さ加減にあきれてしまう。戦争・内紛、この世で起こっている人殺しの一端はすべからくしてすべての人間が担っていると言っても過言ではないんですよねぇ。この作品ではダイヤモンドを買う人たちがいるから、ダイヤモンドが貴重な資金源となり武器となる。だけど自分がダイヤモンドなんて興味ないし買わないもんね。なんて言っても日本の経済の一部・・・いやもっと多いかも・・・の部分で世界のどこかで今も使われている武器に係わっているんですよね。つらい現実だな。そしてこの作品で登場する少年兵。これほどつらいものはない。自分を心から愛してくれる父親さえもわからなくなってしまう洗脳。大袈裟でもなんでもない描写なんですよね。それぞれの立場でそれぞれの思いで、レオナルド・ディカプリオ、ジャイモン・フンスー。ジェニファー・コネリーがいい感じで演じているから物語の流れに無理がない。とは言えラストはアフリカで終わりでよかったんじゃないかな?って気がします。現実的にはソロモンの息子の回復にはもっと時間がかかるし、あのラストで弾劾される会社一社だけが悪いってもんじゃないんじゃないのかな?確かに全体のつくりは完全に娯楽作品だ。でも、娯楽作品として機能しながらも社会派的な要素もしっかりあるんだから、ラストはもっと苦いものを残してもよかったんじゃないかな?って気がしました。

2007年4月16日(アポロシネマ)

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『バベル』BABEL(2006年・米)

監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。
主演:ブラッド・ピット。ケイト・ブランシェット。ガエル・ガルシア・ベルナル。役所広司。菊地凛子。

モロッコを旅するアメリカ人夫婦の妻スーザンの肩が、バスで山道を走行中バスに向けられて発射された銃弾が撃ち抜かれた。銃を発射したのは、山間に住む羊飼いの兄弟。ジャッカルを撃つためにと父親から渡された猟銃を長距離だと命中しないと、悪気なくバスを目がけて撃った一発が被弾したのだった。アメリカではスーザンの事故で、ベビーシッターのアメリアは、息子の結婚式のための里帰りが出来ずにいたが、どうしても帰りたい彼女は二人の子供を連れて国境を超える。一方、モロッコで使われた猟銃の持ち主である日本人の聴覚障害を持つ娘チエコは、母の死により満たされない怒りと不満の中で日々を過ごしていた。一発の銃弾から始まる4つの物語。
高く聳え立つバベルの塔を建造したことで、人間は言葉を分かたれてしまう。この物語はその言葉の通じない人々、心の通い合わない人々の悲しみと苦悩の物語・・・なんだろうなきっと。カンヌ国際映画祭最優秀監督賞受賞で、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞のノミネートで、これは絶対に観ないと!と意気込んでいたのも、公開前まで。公開されてから、どうも自分向きではないような気がしてきて、観に行くのどうしようか?と悩んでたんですが、とりあえずはこういう有名作品は観ておかないと、ということで出かけたんですがね・・・。嫌な予感は当たりましたね。決して悪い作品ではないと思います。ただ私には、全然わかんねぇ。この作品の登場人物全員が私にとっては異邦人・・・というよりも異星人だ。人それぞれにいろいろな思いがあるんですから、その心がわかるってのは、そうそうあるものじゃないかもしれない。でも、そう行動する、そう思う部分を、こうだから、こうなんだろうなとわからないながらも理解出来るっていうのがあると思うんですよ。でもこの作品中の人物たちすべてが私には理解不能。「なんでそんなことするの!?」っていう思いがこの映画を見ている間中、私の頭を駆け巡り、終わったときにはゲッソリしてしまってました。まずアメリカ人夫婦。一番下の子を亡くしたことで隙間風の吹きかけている夫婦間を癒すためか、子供を亡くした心を癒すためなのか、わからないけど二人で旅行。という発想がわからない。これはアメリカ人だからなのかなぁ・・・普通二人の幼い子供残して海外旅行なんていかないでしょ?しかも子供亡くしたばっかりなのに・・・。羊飼いの兄弟。特に弟、包囲されてんのに、なんで撃つ?ああいう地域って家長制度が色濃く普通は父親の言うことは絶対でしょう?あんな勝手なことはしないと思うけどなぁ。ベビーシッターのアメリアの行動はわかるようなわからないような・・・。で、日本人パートは特にわからない。チエコはなぜあんなに男に抱かれたがるんだ?受け止めてくれる誰かが欲しいのか?っていうかそもそも、障害を持つ子を置いて自殺する母親の心理がわからない(爆)。それに何?あの豪奢なマンション。ま、アメリカ人と日本人は富める人っていう設定なんだろうね。私にはどうあがいても理解出来る物語じゃなかったです。(^^; 単純バカは見るなって映画なんだろうね。観た私が悪かった。

2007年5月14日(TOHOシネマズ泉北)

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『パンズ・ラビリンス』PAN'S LABYRINTH (2006年・メキシコ・スペイン)

監督:ギレルモ・デル・トロ。
出演:イバナ・バケロ。ダグ・ジョーンズ。セルジ・ロペス。アリアドナ・ヒル。

1944年のスペイン。 内戦で父を亡くした少女オフェリアは、臨月の母と共に母の再婚相手であるビダル将軍が、内戦終結後も政府に対抗しようと立てこもるゲリラ鎮圧の指揮をとる山間部へとやってくる。あまり具合のよくない母と、冷酷な義父、初めての地。恐怖と不安な夜を迎えたオフェリアの前に、昆虫の形をした妖精が現れ、彼女をパンの元へ導く。そしてパンは、彼女が魔法の国の王女で、満月の夜までに3つの試練を乗り越えれば魔法の国へと帰れるのだと言う。3つの試練に立ち向かうと決めたオフェリアだが、一つ目の試練をクリアしたとき母の容体が悪化する・・・。 ダークファンタジーと言うものらしいのだが・・・。それで、なんでR12なんだろう?って思ってたんですが、そら、これ無理だ。 何度目をそむけただろうか。クリーチャーがこれまた気持ち悪い(笑)。妖精だって、最初昆虫の形で、「妖精はこれよ」とオフェリアから本を見せられてその形に変えるんだけど、それでもなんとも色が暗くって、かわいくないんですよね。 でもそのダークな部分が全編に生きてて、なんか『残酷大人のためのグリム童話』って感じです。 ネタばれします。







これ観終わって思ったのが、「あ・・・『マッチ売りの少女』だ」ってこと。 幸せってなんだっけ?な映画ですね。ラストシーンに私は歯がゆさと切なさで胸が熱くなった。どれだけ辛くったって、悲しくったって、今ここに生きていることがすべてだと、死んじゃおしまいなんだと、言い切れないくらいの人生が確かにあるんですよね。この世界から解放されて別世界へ。そこには彼女が望むすべてがある。でも、なんかそんなのは嫌だ。嫌なんだけど、それを否定してしまえない自分がもどかしい。苦い、辛い・・・なんてぇ映画だ。

2007年10月8日(MOVIX堺)

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